新国立競技場の建設コンペをめぐる議論について (6)

新国立競技場の件は海外でも話題になっているそうですね。

【関連記事】

新国立競技場の件は海外でも話題になっているそうですね。

ニュースサイトBLOGOSの記事です。

・・・ジャパン・タイムズ紙 そのデザインは、建物を取り囲む明治神宮外苑の環境と調和せず、聖徳記念絵画館や、東京体育館などの他の公共建築物の存在を矮小化してしまう・・・・

・・・・ザハ・ハディド氏の設計事務所担当者は、彼らのデザインした競技場は、周辺の既存の建物と調和し、柔軟な設計は、様々な用途に使用が可能だとしている。・・・・

・・・・「ザハ・ハディドには悪いが、自転車用ヘルメットにしか見えない」

・・・・「(現国立競技場について)この時代を問わない素晴らしいデザインの建物を壊そうとしているなんて。建設されてから50年間も経つけど、あのヘルメット建築よりずっと未来的だ」

・・・・、「日本政府が、新競技場建設にいくらかかるか、ざっと見積もることすらできないとは理解に苦しむ。既に当初の2倍に膨らんでるなら、建設が始まれば、3倍以上になるなんてこともあるかも。正気とは思えない。」

まあ、順当な意見ではありますね。

でも、あの大きさについてなんですが、

独立行政法人 日本スポーツ振興センター

が作成した

「新国立競技場基本構想国際デザイン競技募集要項」を先日入手したのですが

その中の条件提示によれば

70メートルまで建てていい。

という条件が初めから出されていたようなんです。

左上となりにある丸いのが東京体育館です。

千駄ヶ谷駅を降りると目の前にありますから、みなさんよく御存知でしょう。

プリツカー賞受賞者で今回の設計コンペに参加資格のあった槇文彦さんの設計です。

で、これを今回の新国立競技場設計コンペの募集要項における70メートルの規模と比較すると

こんな、感じなんですよね。

ああああ、確かに、これは、、デカイわな。

デカいのはいいか悪いかはさておき、デカ過ぎる。

圧倒的壁、そういってもいいんじゃないでしょうか。

間に少々の立木を植えたにしても間に合わない。

もっと湾岸の埋め立て地みたいなスケールが吹っ飛んでいる海浜を、背にしていればなんとかなるのかもしれませんが、

千駄ヶ谷の駅を降りて体育館までの距離を考えればオーバースケール。

賛成派にしても反対派にしても、デカイ。

それは確かでしょう。

この大きさの実感をもっとみなさんに伝える必要があるのではないか、と思います。

ザハうんぬんの前に、反対派のひとたちがやるべき犯人捜しはまず、なんでこの大きさを設定して募集要項組んだのか、誰が組んだのか、でしょうね。

で、ザハが評価された経緯についてなのですが、

「脱構築」ということでした。

で、それはフランスの哲学者、ジャック・デリダが言い出したことだと、

と同時に1980年代の中心的な言説の一部でもありました。

ミッシェル・フーコーとかボードリヤールとかリオタールとかドゥルーズ&ガタリ

とかいった人たちもその辺です。

それを総じて「ポスト構造主義」というんですが、

ここでいう「構造主義」というのは、建築の構造、骨組みとかを指しません。

哲学用語です。

参照:不良の構造について

ものごとや現象の本質的な違いに、要素と要素間の関係にあるといったことを見つけて、その現象特有のパターンを「構造」と呼んだから「構造主義」なんです。

で、この構造主義が大ブレークした1960~1970年以降に登場したのが、

「ポスト構造主義」です。

ポストというのはもちろん郵便ではなくて「post(~の後に)」という接頭語です。

たとえば、ポストドクターとは博士課程修了者、

ポストシーズンといえばプロ野球とかで全工程が終わったのちのシーズンオフのこと、

ポストハーベスト農薬といえば、収穫後のジャガイモやオレンジなどに施す農薬のことです。

なので、「ポスト構造主義」というのは、

構造主義が一世を風靡したのちの見直しとか、一部修正といったところでしょうか。

反構造主義とか非構造主義ではありません。

また、続き書きますね。

(2013年10月28日「建築エコノミスト 森山のブログ」より転載)

ザハ・ハディド氏のデザイン

新国立競技場 画像集

注目記事