新国立競技場の建設コンペをめぐる議論について (11)

私が考えるに、現在の日本の建築家が陥っているのは「オリジナル幻想」と「作品主義」です。ただ、彼らが生まれつき建築家なわけでも、はじめから幻想を抱いていたわけではありません。

【関連記事】

国立競技場の建て替え問題ですが

先日、このような記事を見ました。

ニューズウィーク日本版

新国立競技場が神宮の森を破壊する

東京に住む外国人によるリレーコラム

レジス・アルノー

一部抜粋しますと

『新国立競技場が神宮の森を破壊する。1964年の東京オリンピックほど、開催都市に影響を与えたオリンピックは少ない。今の東京の姿は基本的に、あの頃につくられた。・・・・空襲で焼け野原になった東京は不死鳥のごとくよみがえろうとしていた。・・・・東京はバブルから何も学ばなかったのか。この建築計画は、日本のメディアの沈黙の中で承認された。計画に疑問を呈する勇気があったのは、槇文彦ほか数人の建築家だけだ。・・・・京都工芸繊維大学の松隈洋教授(近代建築史)は、新競技場についてこう書いている。「開かれた議論を尽くし、先人たちが築いた景観を次の世代に手渡すための、景観の民主主義はこの国では成立しないのか」・・・日本の進むべき道を知りたいなら、京都の古い通りを歩いてみるといい。・・・・・世界を驚かせるのは、東京ではなく京都だ。・・・・・

・・・・・アルベール・カミュは、57年のノーベル文学賞受賞演説でこう語った。「どの世代も、自分たちは世界をつくり直すことに身をささげていると信じているだろう。だが私の世代は、自分たちがつくり直すことはないと知っている。私の世代に課せられた任務はもっと大きなものだ。それは世界の解体を防ぐことにある」 これこそが、現代の東京人に課された義務ではないかと私は思う。』

Regis Arnaud レジス・アルノー1971年生

フランス生まれ。仏フィガロ紙記者、在日フランス商工会議所機関誌フランス・ジャポン・エコー編集長を務めるかたわら、演劇の企画なども行う。

http://www.newsweekjapan.jp/column/tokyoeye/2013/11/post-755.php

現在の東京の都市の骨格についての歴史、現在起きている議論の中心について、そして海外から見た日本の魅力、最後にアルベール・カミュの言葉でしめくくられた文章のここかしこにアルノー氏の日本への愛があふれると同時に、本当に真心のこもったご意見と思います。

また、日本文化の研究家で名著「犬と鬼」などで知られるアレックス・カーさんが

「何でもない」風景を守ることの難しさ

日経BPネット

2013年11月13日

こちらも一部抜粋しますと

『ヨーロッパで古い街並がそのまま残っているのは、人々が観光客向けにそうしているわけではないのです。まず、(古いものを尊重する)「態度」があって、古い建築を保持するための条例が作られている。・・・・日本には、最新の技術を見せたいという、いわば高度経済成長時代の価値観がまだなおあります。できるだけ大きく、人をあっと言わせる技術で作るべきだという価値観です。・・・・・

私の師匠である白洲正子さん――8年くらい前に亡くなってしまいましたが、彼女の東京玉川にある自宅に、こんな短冊が飾ってありました。「犬馬難、鬼魅易」――これは、絵を描くときに、犬や馬のように自分の身近な存在は描きがたく、グロテスクで想像の産物である鬼は描きやすいということ。・・・・

・・・・・想像にまかせて巨大でグロテスクな建築物を造るのはたやすいこと。本当に守らなければいけないものは身近にある、何でもない景観なのではないか。この言葉は、日本の景観を考える上で重要な言葉なのではないかと思っています。』

日経BPネット

2013年11月13日

http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20131112/373377/

アレックスさんはただ単に理想を語るのではなく、実際に日本の小さな寒村や離島に残る生活資源の活性化、再活用による景観維持に取り組まれています。

実際に私はその島に訪問して見学していますが、素晴らしい取り組みでした。

上記お二人のご意見など、日本の建築文化の現状を見るにみかねてのものだと推察します。

なぜ、このようになってしまったのか、

図らずもお二人のご意見が一致していますが、高度成長期に生じた日本の土木建築における進歩主義が、時代や環境および経済要因の変遷により以前は適正であった状態から、不適正な状況になってしまった。

そのことを認めようとしない態度、といってもいいでしょう。

公共事業そのものが悪いわけではありません。

以前から私が主張していますように、土木・建築業は災害から人々の生活を守り、雇用や交通、流通を含め国民生活を一定の水準に保つ国防産業なので、

絶対に必要です。

そこに取り組む人々のマインドがズレてしまっているのです。

特に建築家が。

私が考えるに、現在の日本の建築家が陥っているのは

「オリジナル幻想」と「作品主義」です。

ただ、彼らが生まれつき建築家なわけでも、

はじめから幻想を抱いていたわけではありません。

みな、高校、大学、専門学校などの学校で建築を学び、建築家になっている。

「俺は違う!」と否定する向きもあろうかと思いますが、

統計的にいって建築家になっている人は

元々は理数系のもやしっ子、草食系のメガネッ子がほとんどでしょう。

算数とか理科が得意な人たちで、受験でも理数系クラスに属していたような人たちがほとんどです。

だから、高校で日本史とか世界史を履修してなかったり、政治経済や倫理社会の教科書も持っていなかったり、書道や音楽、美術も選択してなかったり。

なので、本来は芸術とか社会やコミュニケーションとかは苦手系の人が多い。

むしろ、独りの世界を伸ばす、落ち着いて考える、公式を覚えて分析するのが得意な人たちなんです。

つまりは、正解を導き出すのが彼らの天性の能力です。

なので、この場合における「正解が何か」が明確でないと連中は迷うんです。

機械学科なら最新のロボット工学とか内燃機関の研究とか、化学科ならあらたな分子化合物や最近では遺伝子の分野とか薬品開発、最新の研究を競い合っています。

建築学科にも構造強度とか材料組成とかそうした分析工学のジャンルはありますが、基本、建築は自動車や飛行機などのプロダクトと違って最先端の科学では作られていない。むしろ枯れた技術の応用や統合がメインです。

そのとき、他の工学系と違って建築学科には明確な最先端とか新規の発明といったものがない。

なにが時代の中で正解なのか科学、工学的に見出しにくい。

なにが評価につながるのかもはっきりしない。

そこに建築作品の発表というエントリーゲートが開いていたというわけなんです。

そこを通じるとコツコツ真面目に研究やるよりも、

キャリア的にショートカットが可能にになるんじゃなかろうか、、

とみな錯覚しているのです。

なにか自己表現とか自己実現とかの可能性があるような気がしてきた。

雑誌にアーチストのように取り上げてもらってる先輩がいた。

芸術家のひとつとして認められてみたい。

そう思うのも無理もありません。みな青春ノイローゼなのだから。

一方、理数系ですから、あいかわらず公式と正解が好きなので、

その瞬間の建築雑誌の最新作品を正解とみてしまう、

そこに使われている手法を公式とみてしまう癖がついています。

これが作品主義です。

入学のはじめから作品づくりを目指すような人は稀で、

教育を受けているうちに作品づくりが正解と思い込んでいるだけなのです。

だから、ある時期のある雑誌を見返してみればわかるのですが、

70年代は何々風、80年代は何々風、と一定の期間に流行ったデザインにおける決まった型の中にとどまっています。

築後数十年はその建物は残っていくローン支払いも続いてにもかかわらず、

ほんの数年間の瞬間風速のデザイン流行に乗らなくてはならない。

そうしなければ、置いていかれる!そんな強迫観念にとらわれている。

そして、有名建築家においても建築作品の発表の中に、

科学系の論文であれば当たり前の、先行研究の記述が抜け落ちています。

建築作品の発表において、例えばどこの建築の誰の何を参考にしたかは伏せられています。

己の才能だけで創作したものだとふるまう、それがオリジナル幻想です。

つまり、あらゆる創作物には先人の知恵や解釈があって、そこに何を付加できるか、、なのですが、

建築メディアにおいては作者自らそのことを隠すので、新たに勉強する人が体系的にさかのぼれないんですね。

しかも、そこには評価だけでなく、経済的裏付けもあるので困ったものなんです。

建築家の仕事は建てたい人と一対一であって、

一般社会から依頼があって初めて仕事になるといいましたが、

そうでもないケースもあります。

図にしますと、建築家経済市場はたぶんこんな感じになっていると思うんです。

ある仕事で、施主の人の希望にあった需要、

偶然であれ紹介であれ、建築に携わっていない業界外部の方から、

専門家のその得意とする能力や実績に応じて依頼が発生する

このように建築家に依頼が来るかたち、

建築家の外から仕事が来ますからこれを外部建築市場とでも呼びましょうか

これに対し、内部建築市場といえるケースが存在します。

それが、公共工事におけるコンペティションなのです。

依頼者は公共ですから国や地方自治体ということになりますが、

実際にはまわりまわって税金ですので国民全体です。

しかしながら、受託者を決めるのはコンペの審査員です。

受託する側からすると、直接外部の施主ではなく、

同業他社ということになります。

そのため、間接的な審査員のデザイン需要、意向を汲むことになるため

これを内部建築市場と呼びます。

で、あるなら審査員の趣向に合わせるということは、設計者としての経済原則的には合理性があるということになり、

同業者の趣向に合わせて設計デザインしていかざるを得ないということなんですね。

一方、審査員の側も常に常に審査する側ではありません。

前回は自分が審査する側にいたけれども、次回は自分が応募者になることもある。

であるなら、今回の審査過程にもある程度の自己利益的判断、もしくは判断における自己表現といったものも出てこざるを得ないというのが人情でしょう。

もしかしたら、自分のお師匠格、先輩、友人などが応募しているかもしれない。

と同時に、次回は自分が相手から審査を受ける可能性があるわけですから、

あまり辛辣なことや、まったく箸にも棒にかからなかった的な審査はしたくない。

もちろん、審査そのもには厳正におこなうことで、不正や談合はおこらないと思うのですが、自分の好きなタイプのデザインや、自分が今後こっちの方向に進んでいってほしいと思う思想なんかは当然反映すると考えられます。

結果、ある種の流行性に乗らざるをえなくなりがち、、、

それは建築業界内だけの流行であるから不思議な結果が出るんです。

内部市場外部市場というのは、元々労働経済学の分野の言葉なんですけどね。

改変して流用してみました。

参考:

そこらあたりを、ドライに受け止めて成功した建築家にフランスのジャン・ヌーベルという人がいます。

彼は何かのインタビューで答えていましたが、

コンペティションにおいて審査員の構成メンバーを確認したら、その人たちが選ぶであろう建築家、審査員の派閥に属しているであろう建築家、それらに表現を極力似せた案を作成するんだ、と。

その結果一次審査を通過し二次審査で審査員に顔合わせたら、○○さんかと思ったけどなんだヌーベルか?となっても、

そうやって一次審査を数度通過しつづければ、

顔見知りも増えていき最終審査に残りやすくなるんだ。

そんなことを発言していました。

僕はこのコメントを読んだとき、

名を成し功も遂げたんだから隠しておけばいい、黙っておけばいいことを、

何か思うところがあったのだと思いますが、

ここまで言っちゃうのか、、この人も男の中の男だなと思いました。

そういう意味では、審査する側も「こういうのを選んだ俺ってどうよ!」という気持ちは常にあるものなのです。

特に磯崎新さんはそういう傾向が強く、他の審査員が認めていない、まだまだ経験の浅い建築家であっても、堂々と案で推すことで有名な人です。審査員としての力量も示していくタイプでした。

話をザハの案に戻すと

ザハが脱構築からうまく離脱して実作をものにするようになったのにはもう一つ鍵があって、流体形状を採用したことにあります。

ザハが自分の作風を崩さないでより実現性の高い形状で運動の軌跡やネットワーク化された未来を表現するものとして、

プロダクトデザインの手法を流用したわけです。

実はザハよりももっと前にそこに気づいていた人たちがいました。

パッと見、どっちもザハじゃないの?

って見えますが

左がフューチャーシステムズ、右がニール・ディナーリという建築家です。

フューチャーシステムズの方が30年くらい前、ニール・ディナーリが20年くらい前です。

ここから後は早く作ったもん勝ちみたいになって、

90年代後半からは建築デザインの最先端は、このプロダクト風味の流体形状がブームとなります。

最終的に現在この流体形状陣地をザハ・ハディドが獲ったことになっています。

それでも、最初のころは小さなパビリオンとかでしか実現できませんでした。

小規模の構造物であれば、平屋くらいまでなら構造がなんとかなるからです。

また、三次曲面とするためにグラスファイバーとかFRPのモノコック造船技術で出来上がっています。

この三次元形状の作り方が非常に問題というかやっかいなんですが

12に続けないと終わらないですね。

(2013年11月16日「建築エコノミスト 森山のブログ」より転載)

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