だからこそ主張し続けよう――東京の森(7)

青天の霹靂(せいてんのへきれき)という言葉があります。晴れわたった空に突然わきおこる雷鳴という意味ですが、突然受けた衝撃を意味する慣用句ですね。数日前に、まさにそれが起こりました。建築家槇文彦先生が「それでも我々は主張し続ける 新国立競技場案について」と題し、JIA(日本建築家協会)の会報『JIA MAGAZINE』2014年3-4月号」に1万8千文字、原稿用紙で40枚以上はあろうかという文書を特別寄稿されました。

青天の霹靂(せいてんのへきれき)という言葉があります。

晴れわたった空に突然わきおこる雷鳴という意味ですが、

突然受けた衝撃を意味する慣用句ですね。

数日前に、まさにそれが起こりました。

建築家槇文彦先生が「それでも我々は主張し続ける 新国立競技場案について」

と題し、JIA(日本建築家協会)の会報『JIA MAGAZINE』2014年3-4月号」に1万8千文字、原稿用紙で40枚以上はあろうかという文書を特別寄稿されました。

公開されて誰でも読めますのでぜひお読みになってください。P12~17です。

その内容とは

『JIA MAGAZINE』295(2013年8月)において問題提起された、「新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」からの半年を振り返られて、なのですが、

この問題に向ける槇先生の真摯さ、そして説得力、

同時になにか決死の覚悟、裂帛の気合といったもの、

真剣さ律儀さ学識に加え、優しさ誠実さ勇気、

それらを総動員したうえで、

あくまで市井の知識人として紳士としての建築家としての、

抑えに抑えた烈火のごとき怒りが、

その切っ先を白銀の錐のように研いで、

揉みに揉み込んだ言葉による一条の矢、

紅蓮の弓矢となって放たれています。

その矢は確実に多くの人の胸に届くことでしょう。

僕のハートには思いっ切り、突き刺さりました。

槇先生は本来そんなことをされる人ではない。

いつも静かだ。

あいかわらずカッコイイ、今も世界中にプロジェクトを抱え、

本当にお若いといっても、御齢85歳でいらっしゃる。

そんな偉い人が、最前線に出張って来られている。

どうなんだ!諸氏たち。

(諸氏というのは新国立競技場コンペの審査員の一人である内藤廣さんが、槇さんと問題提起された建築家の先生やJIAのメンバーたちを十把一絡げにして揶揄したことに起因する呼称のことです。)

参考:内藤文書の解題4 (長いので4から読んでください)

槇文彦さんって人のことは一般にはあまり知られていないと思うんです。

そこは谷口吉生さんと同様です。

マスコミにあまり出ることが少ない、ましてや時事ネタとかでインタビューされることもなく、建築とか都市についてしか語らない、というか語りよりも書籍とか論文でしか出てこられません。

肉声を聞いたことがある人も稀だったでしょう、今回までは。

正直、私もほとんど接点ありません。

唯一あるとすると10年前の、(建築業界の若人が今こんな計画を構想しているよという建築予定作品に賞を出す鹿島出版会主催の)SDレビューの受賞式のときくらい。

しかも、僕は会釈しただけという程度なので声を聞いたことはなかった。

なので、槇文彦さんについて解説しておきますと、

槇さんのおじいさんが竹中工務店の会長竹中藤右衛門です。

慶応から東大に進まれまして、丹下健三先生のところに学びハーバードに留学。

ホセ・ルイ・セルトのスタジオに学び、アメリカのSOMという設計組織で実務をつまれて帰国、東大で教鞭をとるかたわら設計事務所を開設されています。

帰国早々、32歳のときに名古屋大学豊田講堂の設計でさくっと日本建築学会賞をお取りになられ、以降は50年以上も第一線で設計活動されています。

名古屋大学豊田講堂

当時の建築デザインのトレンドである構造表現のブルータリズムと空間単位の集積であるメタボリズムのエッセンスを捉えながら、華奢に軽快に品良くまとめられています。

みなさんがよく知ってる建物とすれば、40年以上も計画が続いている代官山ヒルサイドテラスでしょう。

これは地主の朝倉さんの土地活用という経済的命題と代官山の商業文化ゾーンを形成したという意味と、30年以上の永きにわたる全体計画が破綻無く連続されていったということで画期的な建築です。

僕は槇事務所ご出身の遠藤精一先生の膜構造建築を20代の後半、2年ほどお手伝いしてたのでここに通っていましたが、20年前の当時も今も変わりません。

てことは今後20年も変わらないんじゃないでしょうか。

昭和44年のデザインと平成11年のデザインがつながっている、各時代ごとのデザイン潮流も押さえながら、ということ自体が奇跡に近いです。

今見ても、どれが昭和44年部分かわからないと思います。

機能、技術、経済、デザイン、ディテール、街並み形成、商業活性化、ビジネス用途、居住環境、景観、歴史、といった全ての設問に100点を取ったものです。

当然、時代の議論の中心であった個と公、ミクロな人文学的要素とマクロな都市の構成要素の架橋という課題も見事に昇華されています。

青山通りのスパイラルもみなさんよくご存知でしょう。

写真では青山通りを挟んで正面の幾何学的な構成がほんの少し浮かせたり、振られたり、離したりで、最大限の視覚効果を生んでいますが、この建物の真骨頂は歩行者からの目線を意識したところです。1階のセットバック部分が楽しい、誰でも入ってみたくなるような建築です。

ここではポストモダン的な記号表現や断片の集積といった脱構築的理論を破綻なく収めながら商業建築と文化施設が立体的に縦方向に融合するという画期的な解決策で青山通りの魅力をさらに高めました。

津田ホール、千駄ヶ谷駅前にあります。

交差点に顔を向けたたデザインですが、この建物がここまで大きいと意識したことはみなさん無いでしょう。その理由は建物のボリュームを二段階にも三段階にも分けてあることです。道路側からは2~3階建てにしか見えないはずです。

なおかつグレーに統一された色彩と素材のグラデーションは、コンクリート、タイル、石、アルミ、ステンレスと、この写真からだけでも5種使い分けて、さらに引いてます。ドイツ料理のユーハイムが入っている1階からB1へのコーナーのガラス処理が見事で、この空間には自然と誘い込まれませんでしたか。

そして、東京体育館

この建物はアリーナですから本来巨大建築なんですよ。ところが、そうなっていない、そうは感じられない。ひとつには建物を掘り下げてあること、もう一つには建築物の構成要素の円盤を何層にも分割してあるからです。その境目ごとに窓やスリットや空隙をつくって薄く薄く軽く軽くしてある。同時に屋根も一発で単調に終わらせることなく小さな断片を縫い合わせるように構成されてある。そこがちょうど日本古来の鎧の兜のように見える所以です。アプローチが秀逸で広く大きな階段がゆったり両サイドからちょうど地面が踊り場になるように位置取りしてあり、上階と下階にすんなりと入れるようにしてあります。

中に入って予想より意外と大きいことにビックリさせられます。

なおかつこの建物もスカイラインが見事で、水平に広がりながら大空に抜けていく。駅前周辺の広がりをより高める効果があります。

津田ホールと東京体育館はセットで千駄ヶ谷駅前のノンビリとしながらちょっぴりスノッブで落ち着きのある雰囲気を醸しだしています。朝このあたりを散歩している人はもちろんですが、千駄ヶ谷を通勤駅とする人はとてもリラックスした状態で勤務地に赴けているでしょう。

他にもいっぱい著名な建築があります。

そのすべて、特に上記で紹介した建築にも言えるのですが、槇さんの建築は、人間の目線、地上1メートル20~50センチからの建築物の認識をとても大事にされている。

だから怖くない。

そして何か誘われているような、歓迎されているような、ちょっと背伸びして入ってみようかな、自分が少しおしゃれに知的に素敵になれるような気がする、建物そのものよりそこに関わる人自身が魅力的になるように設計デザインしてあることなんです。

スパイラルで働いているとか、ヒルサイドで個展やったとか、自慢したくなる言いたくなるようなところです。

これ、モダニズムの文脈でデザインするのは非常に難しいことなんです。

よくある新奇のクールなデザイン建物はどこか入りにくい、カッコイイ美容院はちょっと怖い、クールすぎてまったく落ち着かないレストランやカフェが多いでしょう。

それは、あまりに空間が単純すぎるからです。色が少ないからです。照明がまぶしいからです。壁や床に凸凹がないからなんです。

空間があまりにノイジーなのも落ち着かないんですが、

まったく抽象化したアノニマスな空間はもっと落ち着かないですよね。

一刻も早く外に出たくなる。

その辺を槇さんは非常によくわかってらっしゃるなあ、と常々思ってました。

なんで、白とか銀とグレーしかないのになぜそれが実現できているのだろうと思いますが、一番の特徴は槇さんの建築は前に前に押してくるのではなく、街の背景の側になろうとしていることでしょうね。

建築に限らず自動車や洋服のデザインなどでもそうですが、ワンアイデアで同じ素材でディテールレスで作る方が簡単なんです。

槇さんのようにワザワザボリュームを分けたり、細かく文節したり、素材を使い分けたりといったやり方は時間がかかります。

適当に流せない、慎重に何度も何度も検討し続けないといけない。

テレビなんかに出てる暇はないんです。

結果として、非常に丁寧につくり過ぎて目立ちとドヤ感が無いので普段見過ごしていると思うのですが、見過ごされるようにデザインしてあるのです。

大人の建築家です。

槇さんはこの50年間、常に日本の現代建築の先頭グループに居ました。

でも、先頭を走りませんでした。常に一歩引いてた。

メタボリズムでは黒川紀章さんや大高正人さんが先頭、ポストモダンでも磯崎新さんとか原広司さんが先頭、ハイテク建築でもロジャースやフォスターが、ミニマリズムでも安藤忠雄さんや妹島和世さんが先頭。

そして、大言壮語を吐かない。

建築家が本来やるべきこと、出来ること以外のことまで、

社会改革とか文化全般の評価まで語ろうとする人がいますが、

槇さんはやらなかった。

現実の建築物の評価以上のものは求めなかった。

タレントや政治家、身近な芸術家や文化人ともつるまなかった。

そんな槇文彦さんが、この新国立競技場問題では先頭。

3歩も4歩も前に出ているんだよ。

そんなこと槇さん個人は全然やる必要ないくらい偉いのにだ。

槇さんにはなんのメリットもないんだよ。

誰のためにやってくれているかわかってんのか。

これからの人たちのためになんだぞ。

槇さんはそういう、もったいつけた事は言わないんだ。

粋だから。

だから槇さんよりも前に出ろ!みんな。

槇さんに矢が当たらないように矢面に立て。

黄母衣衆、赤母衣衆となって先を駆けろ。

今が切所ぞ。

黄母衣衆(きほろしゅう)、赤母衣衆(あかほろしゅう)というのは戦国合戦で大将の周囲を固める馬廻りのこと。敵の攻撃が大将に向かわないよう、狙いが自分の方に向くように目立つ格好をして前に突撃したり伝令したり動き回る遊軍役のこと。母衣が風船のように膨らんでいるいることで矢から身を守る効果もある。

(2014年3月21日「建築エコノミスト 森山のブログ」より転載)

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