トランプのアメリカだけではない。世界で「疑似右傾化」と「疑似保守化」が進んでいる。

こうしたプロセスが、結果として究極の集団化である全体主義へと繋がることは、多くの歴史が証明している。
A demonstrator puts a banner with an image depicting U.S. President-elect Donald Trump as he takes part in a protest against Trump, outside the U.S. embassy in Mexico City, Mexico November 14, 2016. REUTERS/Henry Romero
A demonstrator puts a banner with an image depicting U.S. President-elect Donald Trump as he takes part in a protest against Trump, outside the U.S. embassy in Mexico City, Mexico November 14, 2016. REUTERS/Henry Romero
Henry Romero / Reuters

世界中の多くの人と同じように、米大統領選の結果については、僕も相当に驚いた。ただしまったく青天の霹靂というわけではない。後付けのようで潔くないけれど、選挙戦終盤の報道を見聞きしながら、トランプ大統領誕生の可能性を多少は意識していたような気がする。

なぜなら僕は、子供の頃から筋金入りのネガティブ思考だ。運動会の徒競走の際には順番を待ちながら、転んでビリになる自分を必ず想像した。受験直前には、落ちることばかりを考えていた。女の子と交際するときは、やがて振られる日のことばかり考えた。飛行機に乗れば、落ちる瞬間について想像する。映画や新刊を発表する際には、世間から酷評されるか黙殺される自分を想像する(これは半分当たっている)。そして選挙の際は、最も実現してほしくない結果をイメージする。

だって最悪の事態を想定していれば、実際に最悪の事態になったときの衝撃が小さくて済むし、もしも最悪の事態を回避できたなら、その喜びは大きいはずだ。まあこれは僕の処世術。このやりかたでこの歳まで生きてきた。

とにかく米大統領選の結果には、ある程度はなるほどと思いながらも、やっぱり驚いた。だってハフィントン・ポストも含めてアメリカの多くのメディアはヒラリー勝利をほぼ断言していたし、反トランプの急先鋒であるニューヨーク・タイムズに至っては、投票が締め切られる直前の時点でヒラリーの勝利を84%と予測している。

この世紀の読み違いについては、世論調査が必ずしも実態を反映しない電話などの手法に頼っていることに構造的な欠陥があったとの指摘もあるし、一%弱の超富裕層が国を支配する状況に対するアメリカ国民(特に中間層)の嫌悪感を過小評価しすぎていたとの説もある。他には、トランプ陣営のメディア戦略(批判も含めて露出されることに徹底する)の巧妙さや、ヒラリーに対するイメージの予想以上の悪さなど、要因は複数ある。

どれも正しいのだろうと思う。理由はひとつではない。世界は複雑だ。様々な要因が絡み合っている。でも僕の視点からは、もっと単純な要因が屹立して見える。要するにアメリカ国民は、強くてマッチョなリーダーを求めたのだ。

アメリカは時おりこれをやる。例えばリベラルの代表格であるジミー・カーター(民主党)政権後に圧倒的な人気で大統領に選ばれたのは、ハリウッド時代に赤狩りを積極的に進めてデタント(米ソ緊張緩和)を否定し、グレナダ侵攻などで対外的な強硬策を行ったロナルド・レーガン(共和党)だ。あるいはブッシュ・ジュニアは、選挙過程は微妙であったけれど、アメリカ同時多発テロ以降にアフガニスタンとイラク侵攻に踏みきり、国民だけではなくリベラル系のメディアからも一時は圧倒的に支持された。ただし、イラク侵攻の大義とした大量破壊兵器の保持が捏造だったことが発覚し、史上最低の大統領の評価と共に任期を終えるのだけど。

いずれにしてもリベラルさへの希求を持ちながらも、基本的には西部劇の国なのだろう。アメリカはマッチョな指導者が大好きだ。

でも懸念すべきことは、この傾向がアメリカだけに限定される事態ではなくなっていることだ。ロシアではプーチン、中国では習近平、フィリピンではドゥテルテ、トルコではエルドアン、オランダやハンガリーやフランスなど多くの国でも、それまでは弱小だった右派政党が、近年は大きな支持を集め始めている。

彼らに共通する要素は、国外的には強気で、国内的には民族や国家の統合や結集を呼びかけることだ(その意味では、安倍政権も同列だ)。

もちろん、政治家としてこの姿勢が間違っているとまでは言えない。逆に国外に対しては弱腰で国内に対しては強気なリーダーでは、どうしようもないことは目に見えている。

ただしここ数年、この傾向が世界規模で明らかに加速している。とても強くなっている。メディアなどではこうした状況をポピュリズム(大衆迎合)の時代と形容するが、ならばポピュリズムが強くなった背景と理由を考えなくてはならない。

イワシやムクドリやメダカやヒツジなど群れる生きものは、例外なく全体で同じ動きをする。彼らは弱いから群れる。人も同じ。特にテロや災害などで不安や恐怖を強く刺激されたとき、全体でまとまって同じ動きをしようとする傾向が強くなる。

つまり同調圧力だ。

多くの生きものは鋭い感覚と本能で全体の動きを察知するけれど、人は進化の過程で鋭敏な感覚を失い、代わりに言葉を得た。

だからこそ集団化が進むとき、多くの人は号令や指示を求めるようになる。つまり強いリーダーだ。そしてリーダーは自らの支持率を上げるため、無自覚に仮想敵の存在を強調する。もしもA国とB国にこうした指導者がいるのなら、互いに相手国への不安や脅威を煽りながら、最後にはどちらかが手を出してしまう。あるいは最前線での発砲が引き金となる。このときに大義となるのは、「国家防衛」や「国民の命を守る」などのスローガンだ。

こうして最悪の事態である戦争や虐殺が起きる。

他国の領土や資源や労働力を奪取することを目的にした戦争は、帝国主義や植民地主義が当然のように存在していた過去にはあった。でも現在の戦争のほとんどは、他国の侵略から自国を守るとの自衛戦争だ。領土を守るため。同胞を救うため。愛するものを守るため。人は集団として連帯する。でもその帰結として、国土は焦土となり、愛するものは地上からいなくなる。

人類の歴史は、こうした過ちの繰り返しだ。でも現在は、世界全体がこの構造にはまり込んでしまっている。世界規模で反グローバリズム(つまり自国内の集団化)が、テロへの不安を燃料にしながら、これまでの反作用のように加速している。集団化が進むから異質なものは排除しようとする。集団化が進むから全体で同じ動きをしようとする。集団化が進むから違う集団との溝が深くなり(要するに分断も並行して進む)、自分が帰属する集団とは違う集団を敵視する傾向が強くなる。

これらの状況を、人は右傾化やナショナリズムの勃興と呼ぶ。確かにそうかもしれない。でも正確ではない。正しくは疑似右傾化であり疑似保守化だ。その内実のメカニズムが集団化。

こうしたプロセスが、結果として究極の集団化である全体主義へと繋がることは、多くの歴史が証明している。

選挙後に初めて行った大学の授業で、一人の学生から「今回の結果を踏まえてニューヨーク・タイムズが謝罪したことについて、先生はどう思いますか」と質問された。

「ニューヨーク・タイムズが謝罪したのですか? それは初耳だな。アメリカのメディアは簡単には謝らないはずだけど......」

授業終了後に調べた。学生の発言のソースになったのは、11月15日に更新された読売新聞( YOMIURI ONLINE )の記事だ。以下に引用する。

【ニューヨーク=吉池亮】13日付の米紙ニューヨーク・タイムズは、大統領選の結果を受けて「我々は新大統領に対し、公正な報道を続ける」とする読者へのメッセージを公表した。

メッセージは同紙発行人、アーサー・サルツバーガー会長らの連名。3ページ目で「選挙結果は劇的で予想外だった。トランプ氏が全く型破りだったため、我々メディアは彼に対する有権者の支持を過小評価したのか。なぜこのような結果となったのか」などと振り返った。

そして「選挙の重大な結果と、それに先立つ報道や世論調査を踏まえ、あらためてジャーナリズムの基本的な役割を果たすことをめざす」と表明した。

同紙は民主党のヒラリー・クリントン氏(69)を支持していたが、「新大統領についても精度の高い公正な報道を続ける」などと訴えた。

これに対し、ドナルド・トランプ氏(70)は同日、ツイッターに「私のことを悪く報じたニューヨーク・タイムズ紙が読者に謝罪の手紙を出した」と書き込んだ。また、「これで報道姿勢が変わるだろうか。疑問だな」などともツイート。同紙が「トランプ現象」を適切に評価しなかった結果、「購読者数を何千という単位で減らしている」などと、具体的な根拠は示さずに主張した。

同紙は選挙期間中、トランプ氏を繰り返し批判したことについて、保守系メディアから「偏向報道だ」と攻撃されている。

よくよく読めば、ニューヨーク・タイムズが謝罪したとは書いていない。記事の見出しである「トランプ氏「NYタイムズが読者に謝罪した」」が示すように、トランプが一方的に「謝罪した」と言っているだけなのだ。

念のためニューヨーク・タイムズの記事原文をネットでチェックしたけれど、やはり謝罪の要素はどこにもない。自分たちの過ちを認めたうえで、「ジャーナリズムの基本的な役割(つまり権力監視)を果たすことをめざす」と宣言はしているが、謝罪の言葉など一言もない。当然だ。メディアは安易に謝罪などしてはいけない。

近年では朝日新聞の従軍慰安婦記事についての騒動が典型だが、日本のメディアはとても安易に謝罪する。あるいは当然のように謝罪を迫る。朝日の騒動の際には、他のほぼすべてのメディアが、朝日を罵倒しながら謝罪を要求した。あまりに浅薄だ。メディアのありかたを根本的に間違えている(念を押すが、朝日を擁護するつもりはまったくない)。

だってメディアの過ちは、謝罪の言葉などでは済まない。時に多くの人が死ぬ。殺される。だからこそ安易に謝罪すべきではない。謝罪の言葉などで帳消しになるなどと思ってほしくない。ニューヨーク・タイムズも含めて欧米の新聞の多くは、謝罪の代わりに「訂正(correction)欄」を毎日のように掲載する。ここで過去の記事の誤りや不備を、その記者やデスクなどの実名を挙げながら明示する。時には、なぜ誤りや不備が起きたのか、記者の裏付け調査の不足や功名心が由来なのか、あるいはデスクの管理不徹底や商業主義が働いたのかなど、その構造も考察する。

これがメディアの謝罪なのだ。その意味でアメリカのメディアは間違えていない。イラク戦争当時のような過ちは繰り返さないと信じることができる。

トランプが今後、アメリカをどの方向へ導くのか、それはまだわからない。政治については素人との意識があるからこそ、周囲の意見を聞くタイプになるという可能性も捨てきれない。何よりも、マッチョな大統領の系譜ではあるけれど、同時にトランプはロシアとの関係修復や他国への不干渉主義を主張している。ならばヒラリーよりも平和に貢献するという可能性も捨てきれない。

まあ、あまり楽観的に考えないようにしよう。ネガティブ思考がいちばん。

いずれにせよ、世界がこれほどに集団化を進める要因の一つは、2001年のアメリカにあったのだから、その意味で今回の結果は、必然的な帰結といえるかもしれない。

(月刊『創』2017年1月号に掲載予定)

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