よど号メンバーの拉致容疑は政治的なフィクションの可能性がある

少なくとも拉致疑惑については、彼らは無関係だと思う。いやそもそもこの疑惑そのものが、壮大なフィクションである可能性が高い。

■平壌の風景はカーキ色。道路は広い。でも走る車は少ない

平壌へと向かう機内の乗客の半分以上は、意外にもヨーロッパからの観光客だった。北京からはおよそ二時間のフライト。機内食は紙に包んだハンバーガーひとつ。トマトもレタスも挟まれていない。ただしビールは自由に飲める。ビールを飲んでからハンバーガーを一口齧れば、少し変わった味だけど、決してまずくはない。不思議においしい。何だろう。ひょっとしたら添加物や化学物質の味かもしれないけれど、何となく懐かしい味なのだ。

空港では少し緊張した。なぜなら税関や入国審査の職員たちの制服が軍服に見える。実際に街には軍人が多い。しかも一般男性の多くは人民服を着ているから、遠目にはやっぱり軍人と見分けがつかない。

つまり平壌の第一印象はカーキ色。道路は広い。でも走る車は少ない。数時間前までいた北京の道路はとにかく車だらけで慢性的な渋滞状態だったから、その違いを強く感じる。バスの数も多くない。ならば移動はどうするか。

平壌市民はとにかく歩く。なぜか自転車も少ない。ひたすら歩く。ハンドルを握る若林盛亮さんが、後部座席の窓ガラスに顔を押しつけるようにして街を眺める僕に、「彼らは一時間や二時間くらいは平気で歩きますよ」と教えてくれる。

写真では何度か見たチュチェ思想塔が見えてきた。その近くには例の金日成の巨大な銅像がそびえている。横にもう一人いる。金正日だ。そうか。死んだから銅像になったのか。ならば金正恩の銅像はまだ先だ。

そんなことを思いながらも、「たぶんこの国では、そんなことを思ったとしても公の場で口にしたらいけないのだろう」とも考える。金日成と金正日、そして金正恩は、この国では特別な位置にいる。別にそれが異常だとは思わない。先の大戦が終わるまで日本もそうだった。天皇の御真影は学校などに配置され、その前を通るときに職員や児童は最敬礼を強要された。学校が火事になって御真影が焼けたときは、校長が割腹自殺した。守ろうとして焼死した校長については、新聞は美談として大きく伝えている。

それらすべてが無理矢理だったとは思えない。自殺はともかくとして最敬礼くらいは当然のこととしていた人が大半だったはずだ。指導者への過剰な崇拝は人の(本能的な)属性のひとつなのだと思えば異常ではないけれど、それによって多くの人が苦しんでいるのなら尋常でもない。

■拉致問題の背景には、強く政治的な意図が働いている

「まずは日本人村へ行きます」

ハンドルを握りながら若林さんが言う。「森さんは今日と明日はホテルですね。通訳がつきますから、たっぷり観光してください」

そう言ってからミラーに映る若林さんはにっこりと笑う。白くなりかけた頭髪は短く刈り揃えられていて小柄な体躯はリタイアした元スポーツ選手のように引き締まっているけれど、彼は1970年に起きた日航機ハイジャック事件の犯人の一人だ。いわゆる「よど号ハイジャック事件」。そのときのメンバーは9人だが、今も平壌に暮らしているのは、若林さんも入れて4人になった。僕の横に座っているのは、グループの現在のリーダーである小西隆裕さんだ。迎えに来たもう一台の車には、魚本公博さんと赤木志郎さんが乗っている。そして日本人村では、二人の女性が僕たちを待っている。グループのリーダーで赤軍派幹部だった田宮高麿(1995年に病死)の妻だった森順子さんと、若林さんの妻である佐喜子さんだ。

かつて世界革命戦争を起こすためにハイジャックを行った彼らは今、自分たちの思想と行動の過ちを認め、刑に服する覚悟で帰国の準備をしていた。でも帰るに帰れない事態が発生した。日本人拉致に関与していたとの容疑で、彼らのうち3名に逮捕状が出されたのだ。2007年。第一次安倍内閣時代だ。このときに共同通信が配信した記事(6月14日)を以下に引用する。

1980年に松木薫さん=失跡当時(26)=と石岡亨さん=同(22)=が欧州から北朝鮮に拉致された事件で、警察庁は9日までに、警視庁公安部が結婚目的誘拐容疑で逮捕状を取った森順子容疑者(54)と若林(旧姓黒田)佐喜子容疑者(52)について、国際刑事警察機構(ICPO)を通じ国際手配した。(略)調べでは、森容疑者らは田宮元幹部の指示を受け、1980年5月上旬、スペイン・マドリードで松木さんと石岡さんを旅行に誘い、同年6月初めごろ、北朝鮮に連れ去った疑いが持たれている。

この国際手配に現在は、ハイジャックのメンバーである魚本さんも加えられている。ハイジャックだけならば罪に服したとしても十数年。ならばいま帰ればぎりぎり間に合う。人生の最期は故国で過ごしたい。そう考えていた彼らは、この容疑で帰るに帰れなくなった。

ネットなどで調べると、彼らが拉致工作に加担していたことはほぼ間違いないとの記述を散見する。でも本当にそうだろうか。例えば1996年に偽ドル札偽造容疑で逮捕されてタイに移送されたメンバーの一人である田中義三(2007年に大阪医療刑務所で病死)は、その後の裁判で無罪が確定している。逮捕時にはよど号メンバーが北朝鮮の国家テロ工作に加担していたとして大きく報道されたが、無罪判決の報道はとても少ない。その結果として「彼らは北朝鮮のテロに加担している」とのイメージは、日本国民の多くに刷り込まれている(だいたいドル偽造は犯罪ではあってもテロではない。安易にテロを使いすぎる)。

いずれにせよ彼らへの容疑である結婚目的誘拐罪の背景には、相当に強く政治的な意図が働いている。これは断言していいと思う。そもそも拉致問題は、オウムに続いて日本の世相を大きく変えたイシューだ。サリン事件によって不安と恐怖を激しく喚起された日本社会は、高揚する危機意識の標的として、長く日本人拉致を続けてきた北朝鮮を発見した。911後のアメリカを挙げるまでもなく、国民が危機意識を抱いたとき、仮想敵への強硬な姿勢を主張する為政者は強く支持される。だからこそこの問題を政治的に利用しようとする人や勢力が現れる。そして拉致問題は実際に、彼らにとっては強い追い風になった。異を唱える人は激しく批判された。その程度の認識は持ったほうがいい。

滞在中は二日だけホテルに泊まってからは、日本人村の宿舎に寝泊まりした。文字どおりよど号メンバーと寝食を共にした。疑惑についてはいろいろ質問したし話し合ったが、自分たちは無関係であるとの彼らの主張に、揺れやブレはまったく感じられなかった。何かをごまかしたり隠そうとしている人の言動や表情ではない。

ジャーナリストではないが、ドキュメンタリー撮影や取材でそれなりに場数は踏んでいるつもりだ。第三者からは「森も洗脳されたのか」などと言われるかもしれないが、これはとても強い実感だ(だいたい洗脳とはそんな簡単にできるものではない)。少なくとも拉致疑惑については、彼らは無関係だと思う。いやそもそもこの疑惑そのものが、壮大なフィクションである可能性が高い。

もちろん心証だけではない。他にも彼らがシロであることの根拠は複数ある(ただしこれから国賠訴訟が始まる可能性があるので、ここには書けない)。とにかく拉致疑惑についてはここまでにする。

■日本もそうだった。すべてが無理やりだったとは思えない

初めての北朝鮮ということで、いろいろ案内してもらった。チュチェ思想塔や人民大学習堂、軍事パレードなどで有名な金日成広場や、金日成と金正日の銅像がそびえる万寿台大記念碑。金日成の生家である万景台では、金日成の祖母が使っていたという杖などが展示されていて、なぜこれを見なくてはならないのかと困惑した。開園されたばかりの凱旋青年公園(要するに遊園地)では、金正恩が最初に乗ったという絶叫マシンには乗らなかったが(高所恐怖症である僕には絶対無理)、ジェットコースターには乗った。もっともほとんど目をつぶっていたけれど。

食事は美味しかった。ほぼ毎日、夜はビールと焼酎を飲んで、最後は冷麺のコース。やはり最近開園したばかりらしいムンス・ムルノリジャンにも行った。温水プールやウオータースライダーのある巨大アミューズメント・パークだ。正面の扉が開くと、いきなり等身大の金正日の蝋人形が目の前で笑っている。人民服を着たカーネル・サンダースかと本気で思った。写真を撮ろうとカメラをかまえたら、横に立っていた衛兵から強い調子で叱責された。どうやらお辞儀をすることが作法らしい。うーむ。でも仕方がない。古い格言ではあるけれど、郷に入っては郷に従えだ。

これは帰国してからの話だけど、一般国民と話はできたのかと、多くの人から何度も訊かれた。答えはイエス。ガイド(兼通訳)は確かに一緒に行動するけれど、「じゃあここからは好きに行動してください」と言われたことは一度や二度ではない。ガイドのキャラクターにもよると思うけれど、撮影も比較的自由にできた。ガイドとのこんな会話を覚えている。

「一般市民を撮ってもいいですか」

「その人が了解したならOKです。でも嫌がったらやめてください」

「わかりました」と頷きながら、それってどこの国においても当然のルールというかマナーじゃないかと気がついた。ただし話しかけたときの一般国民の表情は一様に固い。午前八時くらいにカメラを手にして住宅街をうろついたときは、道を行く多くの人にじっと睨まれて困った。外国人がひとりで街を歩いてはいけないとの規則は確かにあるらしいので、もしも当局に通報されても文句は言えないのだ。実際に拘束された外国人は少なくない。多くの人の視線を背中に感じながら速足でホテルに戻れば、ガイドと若林さんがにこにこしながら待っていた。

今の朝鮮(北朝鮮はあくまでも日本の呼称)をどう思うかと訊ねれば、ほとんどの平壌市民は「素晴らしい指導者がいるから安心だ」的なことを言う。日本にいるときは建て前で言わざるを得ないのだろうと思っていたけれど、何人もの人に話しかけて実感したことは、彼らは本音でそう思っているということだ(ただし地方についてはわからない)。レストランのカラオケで歌声を披露してくれた給仕の若くて綺麗な女性は、マイクを手に金正恩を称える『我々はあなたしか知らない』を唄いながら、感極まったようにぼろぼろ涙を流していた(このときは歌のタイトルを僕は「我々はあなたなんか知らない」と言い間違えて、よど号メンバーのみんなに大笑いされた)。

洗脳やマインドコントロールという言葉は安易に使いたくない。海外からの情報はほとんど入らないこともあるだろう。何よりも冒頭に書いたように、先の大戦が終わるまでの日本もそうだった。

■でも何か腑に落ちない。何とかしたい。何とか変えたい

北朝鮮に来る直前、僕は鹿児島の知覧特攻平和会館に足を運んでいた。大君(天皇)と日本のためなら自分の命などいくらでも捨てられると書かれた多くの遺書を見た。そもそも検閲があったし遺書には雛形があって本音とは違うとの説もあるけれど、でも実際に国のために死ぬことは当たり前と思っていた若者が少なからずいたことは確かだろう。ところが体制が瓦解すれば、憑きものが落ちたように意識も一気に変わる。人はそういう生きものなのだと考えたほうが腑に落ちる。そしてこんなときに燃料になるのが、外から自分や同胞や国を脅かそうとする外敵だ。

戦勝記念館(要するに戦争博物館)にも行った。北朝鮮にとっての今の仮想敵国はアメリカ。何しろ朝鮮戦争はまだ終わっていない。だからこそ敵の脅威を強く掲げる。これでもかとばかりに仮想敵の残虐さや異常さを強調する。

侵略に対しては断固戦う。自衛のため。国を守るため。家族を守るため。愛する人を守るため。敵は凶暴なのだ。敵は容赦ない。大義はこちらにある。だからこそ戦う。・・・そんなメッセージに溢れた多くの展示を眺めながら考える。現状分析が正しいかどうかはともかくとして、自衛のためには戦わざるを得ないとの理屈は、日本の現政権の主張とほぼ変わらない。

結局のところは自衛の意識なのだ。こうして人は戦争を起こす。互いに相手が悪いと言い合いながら。互いに侵略されたと主張し合いながら。視聴率や部数を上げようとするメディアのそんな報道に国民は眦を吊り上げ、支持率を上げようとする為政者は強気であることを誇示しようとする。911以降のアメリカを例に挙げるまでもない。人類はそんな歴史をくりかえしている。

旅の終わりに僕が抱いた北朝鮮の印象は、一言にすれば北京との往復の機内食のハンバーガーだ。食べてみると意外においしい。でも何か腑に落ちない。何かが決定的に違う。政治的指導者の蝋人形にお辞儀などしたくない。あまりに軍人が多い。兵器や銅像に使うお金があったら他に使い道があるはずだ。職場や学校などの集団レベルで行動することがとても多い。男だけど髪を長く伸ばしたい。本音では髪くらいはどうでもいいけれど、でもそのどうでもいいことを強制されたくない。ネットで世界の情報を知りたい。YOUTUBEでいろいろ見たい。自国を愛するがゆえに批判もしたい。やっぱり腑に落ちない。少なくとも暮らしたい国ではない。変わってほしい。何とかしたい。何とか変えたい。

そんなことを思いながら、再び北京経由で帰国した。戻ればまさしく中国と北朝鮮の危機を煽りながら、集団的自衛権の必要性を首相がテレビで力説していた。

(『経Kei』(ダイヤモンド社)2014年6月号より一部修正して転載)

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