空気を読み過ぎて人間関係がつらいあなたへ (8)一方的な損を解決するために(後編)

案外カンタンに答えは決まってくるでしょう。

「空気を読み過ぎて人間関係がつらいあなたへ ⑦一方的な損を解決するために(中編)」

では、あなたの目の前にゴミが落ちていたときに、それが誰の責任なのか不明瞭だったらあなたのモヤモヤは解消せずに「やらされ感」に支配されてしまうでしょう。

というお話しをしました。

責任が不明瞭な場合の一つの例として、仕事の場面で考えてみましょう。

取引先のお願いをどういう基準で判断すればいい?

あなたが営業さんだとします。

あなたが入社前からの付き合いで、長年の取引先であるAスーパーから、通常55円の「ある商品」を今回50円にして欲しいと言われました。

ですが50円だと利益がありません、ゼロです。これは困ってしまいますよね。

  • 新人のときにお世話になり育ててもらった
  • 今年の売り上げが大変らしいから、何とかしてあげたい
  • 担当の○○さんはゴルフ仲間だから、どっちにしても気まずいなぁ
  • 長年の付き合いだから、無下にはできないし...

歴史や受けた恩、親しい人との付き合いなど、たくさんのことが押し寄せてきて、決めるに決められません。どれも理由にはなるけれど、決め手に欠けます。

こうなると思考がグルグル回りはじめています。

Aスーパーに困らせられ、Aスーパーに悩まされ、Aスーパーにプレッシャーを受けています。完全に主役はAスーパーで、あなたは影響を受ける側になってしまっています。

でも、あなたは営業です。

あなたや事務のB子ちゃん、経理のCさんなど、みんなの給料のためには、利益がなければなりません。

会社だって「ない袖は振れない」ですし、無限に湧き出る泉など存在するのでしょうか?

利益のない取引を積み重ねれば積み重ねるほど、終わりが近づいてきます。こんなことではあなたの努力や苦労も報われませんよね。

だとするとやはり、「利益という基準」で考えるよりありません。

  • 今回は断る

    (利益がない仕事は受注しない)

  • 2カ月分を変動で契約して、今月は50円で50個、来月は60円で50個とする

    (利益を確保するために、期間を変える、単価、数量で工夫する)

  • ある商品は50円で妥協して、替わりに別の売り込みたい新商品、困っている在庫をバーターする

    (将来の利益をつくる、抱えている損を圧縮してトータルの利益を考える)

ほかにもいろいろな方法があると思いますが、一貫しているのは「利益という基準」です。

「あなたが利益という基準を持って、Aスーパーに対して△△する」

という形がベースになっていますよね。

一貫した基準がないから主体性がなくなる

もしもこの基準がなかったとしたら、どのようになってしまうでしょうか?

先方の営業とはゴルフ仲間だから、友達価格と考えよう

(公私混同、プライベートでの恩恵があるかどうか?)

付き合いが長く断れないから、嫌だけど仕方ない

(付き合いが長いことが基準)

ほかの営業もいるし取引先もあるから、まぁいいか?

(問題からの逃避、自分が困るかどうか?が基準)

何だかゆるゆるの基準で、こういうことがあるごとに頭を悩ませてしまいそうです。

散々時間を掛けて悩まされた相手なのに、結局Aスーパーに選ばされたようになっています。

先ほどの「利益」があるかどうかのような一貫した基準がないために、「自分で選択し、決断した」というような主体性が失われてしまっています。

おまけにリスクもありますよね。

会社にダメージを与える、上司に怒られる、公私混同の程度によっては処分を受ける...

決断する理由や根拠

やはり営業だったら「利益」がスタート地点です。そこから考えて、選択し、決断する。

白いスタートラインがしっかりと引かれていたら、スタート地点に迷うことはありません。

判断も早いですし、たとえ悩むことがあったとしても、自分の基準(会社の基準)に従って、正しい後悔のない判断をしたと自信を持てるのではないでしょうか?

ちょっと考えてみると、こうした基準とは身近なものです。

法律、社内規定、校則、宗教の教義、信号などの交通ルール...

お堅い社会的なルールのようなものから、慣習、文化的なルール、その人の独自のものまであります。

  • お昼はワンコインで

    (予算内か?)

  • 会社では机やロッカーはキレイ、掃除もするけれど、自分の部屋の掃除や整理はあまりしない。

    (プライベートかパブリックか? 仕事か?)

  • 人前ではスーツにネクタイなどキッチリしているけれど、家ではステテコに腹巻

    (まわりが身内か他人か?)

では、「目の前に、ゴミが落ちている」とき、拾うか拾わないか?はどんな基準でスタートして判断したらいいのでしょうか?

この場合は法律などの社会的なルールではないようですね。

どちらかといえば、個人的なことになるでしょう。

あなたのマイルール、信念、主義、モットーなどになりそうです。

でも、「そんな難しいことを言われても... うーん」と困ってしまう方もいるのではないかと思います。

そんなときにおススメの、誰でも使える基準は、「後悔するかどうか」です。

その決断で「後悔するかどうか」を基準にする。

あとで何度も思い返してモヤモヤするよりも、いま拾った方が後悔しない。

そう思うなら、拾った方がいいですよね。

ここで拾っていたら遅刻する、テストに間に合わなかったら後悔しきれない。

それならいまは通り過ぎて、テストを優先することが正しい決断です。

私は(どちらが後悔するか?という基準を持って)

ゴミをいま拾うことを選んだ。

私は(どちらが後悔するか?という基準を持って)

テストを優先と決断した。

なにせ後悔しないほうを選んでいますから、わずかな可能性ですけれども、後で後悔することがあったとしても、もう片方の選択肢より後悔しないはずです。

「あのときはベストの判断だった」と言い訳を用意できます(笑)

なによりも自分で答えを出したその選択と決断に、意志や強さを感じませんか?

こうなると、「選ばされた」選択とは明らかにその質感が違います。

「させられた」という受身から、「自分の基準で選んだ」につくり変えるのです。

本当のところ、判断の根拠となる基準とは、何でもいいのです。

こういってしまうと無茶苦茶だと思うかもしれませんが、1番大事なことはあなたがその基準で「納得できるかどうか」になります。

美しいか、正しいか、誠実か、自分らしいか、カッコいいか、(家族や子供に)誇れるか...

あなたが1番ピッタリだと思うものでもいいのです。

そもそもこんな風に思う人は、ここまで読んでいないと思いますが、次のような基準でもいいのです。

「こんなにごちゃごちゃ考えずに拾えばいいんだ、回りクドイ! その方がすっきりする!!」

そう思うならば、それは「自分にとって、ごちゃごちゃすることよりもスッキリしたと思えることが大事」という基準を持っているということなのです。

ここでは「後悔」という基準をおススメしておきます。

あなたがテーマとなる信念やポリシーをもっているならば、「それに照らして、いまどうするべきか?」と自分に問いかけてみてください。

そうすることで、案外カンタンに答えは決まってくるでしょう。

(2016年07月29日「ボトルボイス」より転載)