空気を読み過ぎて人間関係がつらいあなたへ

そもそも空気を読み過ぎてつらい人とは、いい人です。

空気を読み過ぎて人間関係がつらいあなたへ

「この仕事、俺がやらないと誰もやらないんだろうなぁ、きっと」

「言った方がいいのかな? 気づいてなさそうだし。でも言ったらやらされそうだし......」

「大丈夫、応援いらないと言われたけど、助けに行った方がいいかな?でも予定が......」

忙しいときに限って、気づいてしまう......

ほかの人に見えない「落とし穴」を見つけてしまう......

このタイトルの文章に興味を持つあなたは、きっとこのような体験をしたことのある人ではないでしょうか。

そもそも空気を読み過ぎてつらい人とは、いい人です。

相手を思いやる親切心があります。

「きっと、~してあげたら助かるだろうな」という相手への気づかいの中には、

「気づいたとしても実行しない」という選択肢も、本当はあるはずです。

ですが親切で優しいから、「~しないこと」を選ばず、「~すること」を選んでしてしまう......

そんなあなただって、暇なときばかりではありません。

自分のことで手一杯のときでさえも、空気が読めるのでさらに自分を忙しくしてしまう。

自分には関係のないこと、責任のないこととわかっているのに、見捨てたり、放っておくことができずに関わりにいってしまう。

「どうして苦労を自分で拾いに行ってしまうのか?」

そんな葛藤もあることでしょう。

そうやって空気を読んでいるうちに、どんどん仕事が増えてしまったり、時間や手間がかかり、

責任を増やされてしまったりと、悩みが増えて......

「いっそのこと気づかなければ良かったのに」と後悔し、苦しむこともしばしばでは会いませんか?

心理的葛藤を生む3つの理由

その葛藤は、整理してみると理由が3つあります。

空気を読むということは、主体性がなく「やらされ感」がある。

自分が損をしていると感じる。

まわりの人たちにも(私のために、みんなのために)空気を読んで行動して欲しいと期待するが、願いが叶わない。

空気を読むということは、主体性がなく「やらされ感」がある。

ほかの人からしたら、あなたが積極的に手を挙げ、声を上げているように見えたとしても、

あなたからすれば自分が「気づいてしまった空気」を読んで動いたにすぎません。

それはどちらかというと、雰囲気に行動を催促された、とも言えるのではないでしょうか?

空気を読むとは、一人のときには発生しない現象です。

その場に仲間がいる(職場、クラス、サークル......)とか、いましていること(仕事、プロジェクト、旅行やイベント、心配......)

の関係者のことを、「心配する」とか「思いやって」する想像からはじまることで、

ほとんどの場合「こちらから相手にしてあげること」です。

その想像とは、未来予想です。

あの言い方じゃ、本当は応援に来て欲しいのだろう。

忘れているかも? 忘れているに違いないから(テストやプレゼンなど)困るだろうなぁ。

意見を聞かれているのにどうして言わないのだろう? いつも愚痴っているのに......みんな言わないなら仕方ない、代表して私が発言するか......

言わなきゃ何も変わらないし、また愚痴を聞かされるのもイヤだし......

あのときこんなことがあった。似ているケースだから対策しないとおなじような失敗が起きそうなのに......

ほかにもいろいろな、予想される光景がありそうですね。

その場の雰囲気、直接的ではない相手の言い回しや声の大きさ、ハリ、語尾、ちょっとしたしぐさや目線といったボディランゲージ、いまの流れ、過去の経験からくる予感のような感覚......

明確な言葉となっていないものを敏感に受け取り、肌で感じ、目で見る、そのようなことからはじまります。

このようにして空気を読み、未来のことを予想して、あなたが行動することが「空気を読む」ということです。

言葉とは裏腹なものを感じたり、目で訴えられたように感じたり、相手を心配したり......

さきほど「一人のときには発生しない」現象と書きましたが、その主体はやはり、あなたという個人ではありません。

相手のため、誰かのため、私たちのため......という他者のための行動を、あなたが空気を読んで気づき、予想して行動するという形ですから、あなたが「自分で積極的にやりたいように行動した」

ということではありませんよね。

自主的にではなく強制と感じる

私たちは誰でもそうだと思いますが、やらされる、強制される、あれこれ指示されるということは、好みません。

嫌な上司や取引先、先生など、嫌われる人はこのようなことがとっても得意ですよね(笑)

自分で判断しなくて良いのでラク、責任がなく気楽、というような理由でもない限りは、

納得して行動したいものですし、自分で考えて判断し、思うように行動したいはずです。

あなたが空気を読み過ぎて辛いのならば、それは相手やまわりの空気に動かされているように感じるからではないでしょうか?

カタチの上では自主的でも、その実態が「やらされている」としたら、それはスッキリしないことも当然だと思います。

自分が損をしていると感じる

2つめの理由として、「損」ということも大きな要素でしょう。

自分が空気を読む → 相手やまわりのために行動

相手やまわりも空気を読む → 自分やまわりのために行動してくれる

このような関係だとすると、お互いを思いやり合って、あたたかい配慮のある居心地の良いグループですよね、きっと。

天秤が釣り合っている(偏りが少ない)状態ですから、とってもバランスがいいですね!!

ここでちょっと思い返して欲しいのですが、あなたとおなじくらい空気の読める人って、

どれくらいの人数、その場にいるでしょうか?

全員ですか?

半分くらい?

2、3人?

もし全員だったら、あなたが空気を読み過ぎて辛いなんてことはないでしょう。

あなたが気づく前に、別の人が気づいて動くケースもたくさんあります。

空気を読んであなたのことを、みんなでサポートしてくれることでしょう。

半分くらいいたら、ラクができそうでしょうか。

お互いの思うことやタイミングなども近く、まとまった力強いエネルギーで推進力のあるグループになっていそうですね。

どうでしょうか?

そんなにたくさんはいませんよね?

いるはずがないのです。

......だから大変なのではないですか?

こうした空気を読むということは、1つの能力、才能です。

誰でもがおなじように持っている、使っている能力ではないと思います。

いつも気づくのは、おなじ人ではありませんか?

それが次のようになると、バランスが崩れます。

相手やまわりは空気が読めない → 自分のために何もしてくれない

それなのに......自分はいつも空気を読んで行動する → 相手やまわりがラクをしているように感じる

相手やまわりが空気を読んで行動してくれないとすると、

いつもあなたが空気を読んで行動することになってしまいます。

これが何度も繰り返されると、あなたの役割になり、そのグループのパターンになります。

習慣ができあがるのですね。

あなたがいつも空気を読む

→ その場での役割が生まれる

→ たまたま誰かが先に気づいても、「あの人がやるだろう、言うだろう」

とまわりが遠慮(配慮、押し付け、責任放棄......)して、あなたの役割が守られる

→ あなたが空気を読んで行動する

役割になるということは、何度も繰り返されているということ。

繰り返されるということは、自動化されたパターン(習慣)があるということです。

こうした役割も、報酬や対価があるならば満足することもできます。

感謝される

(空気を読む行動=感謝されるので嬉しい、みんなに承認される)

表彰されるような名誉がある

(空気を読む行動=誇り、能力の証明)

出世や給料といった評価につながる

(空気を読む行動=報酬、将来の出世)

いつもお世話になっているので、当然のことだと思える

(空気を読む行動=お互い様)

たとえばここにあげたように、天秤のバランスをとるようなことがあるとすれば、

まわりのために空気を読んで行動することを、自分の役割として積極的に受け入れられることでしょう。

そこには空気を読むということのポジティブな意味が存在します。

けれどもあなたが空気を読んで行動するだけで、相手やまわりが空気を読んで行動しない。

さらに報酬や対価もないとすると、錘(おもり)をのせた天秤は「損」側にかたむいたままになります。

空気を読んで行動すればするほど、錘は増えていく構造ですから......

そこには満足感や納得はありません。

不平等感や不満を感じたら、それは「損している」ということでしょう。

(2016年07月20日「ボトルボイス」より転載)