空気を読み過ぎて人間関係がつらいあなたへ 第3回

あなたが自分の能力に気づかずに謙遜していると、それが長所で特別ということに気づきにくくなります。
Woman chatting on the phone
Brais Seara via Getty Images
Woman chatting on the phone

まわりの人たちにも(私のため)空気を読んで行動して欲しいと期待するが、願いが叶わない

「自分にできるのだから、あの人にもできるはず」

そういう思いを抱くことは、よくあることです。

では、その逆はどうでしょうか?

私たちは相手ができることについて、「自分はできない、スゴイ!!」と素直に評価するほどには、

自分ができること、特徴や長所を「どうだ!スゴイだろう、ほかの人にはできないよ!」とは、

ジョークにすること以外では思わないものです。

日本人らしさ(謙遜、謙虚)を発揮しているとも言えるでしょうか。

空気を読み過ぎて人間関係がつらいあなたへ第2回でも問いかけているのですが、「空気を読んで行動することができる人」とは、そんなにはいません。

空気を読めるということは、1つの能力です。

能力、長所、特徴......こういったことは、その人の魅力や評価につながるものでもあります。

では、改めて「空気を読んで行動できる」とはどんな能力なのでしょうか?

1.客観的な観察力がある (・周囲の人の能力や状況 ・進行している事態や計画など......)

2.予想する、展開を読む力がある

3.経験の応用ができる(あのときの状況に似ているから、こんなことが起きそうだ)

4.上記の3つにより、リスクを想定し、対応、管理することが得意(これまでもそういう経験をしている)「言ってるそばからそんなことして......」「きっとこうなると思ったんだよね......」

このようになるでしょうか。

「広くまわりを見渡し、未来の可能性を考え、機会を捉えて発言行動するチカラがある」

格好よくまとめるとこんなフレーズになるのではないかと思います。

こうやってみると、なかなか有能で仕事ができそうなイメージですね。

その一方で、悪い面が強くでると以下のようになるでしょうか。

観察力を発揮しすぎると、余計なお世話とか、お節介と取られる。

いくつもリスクを挙げていくと、否定的、ネガティブ思考と取られることもありそうです。

さて、あなたはどうでしょうか?

際立つ能力、長所、特徴とは、抑えつけるとか、しまいこんで隠しておくことが難しいものです。

たとえば、かつての体育の授業の時間を思い出してください。

「走ること」は得意不得意がハッキリと誰の目にも分かる、公平で残酷な競技です。

残念なことかもしれませんが、走ることが苦手な人が

息を切らして必死でだした50m走のタイムでは、

トップはおろか、上位にランクインすることはできないでしょう。

「得意な人が軽く流して走った」50m走のタイムにさえ、届かないはずです。

それくらい得意なこと、長所とは強力なものです。

このような能力は、自然に発揮されてしまうものです。

ということは、空気を読むことが得意な人は

「習慣的に相手のことや場の雰囲気を読んでいる」といえます。

それが長所で得意なことですから、その気がなくても発揮してしまうものです。

ですから空気を読むことは当たり前で、それが自然なことになっています。

すると繰り返し空気を読む経験を積むことになり、

当然のことですが、繰り返し反復練習することは上達しますよね。

だからあなたは「空気を読むこと」が得意だし、得意だから空気を読んでしまう。

さらにあなたが能力を発揮すると、相手が言葉で明確に要求し、

依頼をする前にやってしまうことができます。

先回りして心配し、思いやることで対策を考え、提案し、実行や対応ができる。

こうしたことが上手くいったら、みんなに一目置かれますよね。

一目置かれる、認められることがあったら、だれでも嬉しいものです。

あなたの能力に、報酬が与えられているといえます。

すると当然のことですが「空気を読むこと」はあなたにとって意味のあること、利益のあること、

気持ちのいいことですから、さらに繰り返されていきます。

こうした強化のループができている人には、まず勝てません。

あなたがまわりの人に、「私にできるのだから、みんなもできるはずだ」と期待してみても、

同レベルの能力をみんなが獲得して、バランスがとれるという未来は難しいでしょう。

得意なこと、長所とは、人それぞれに違ったものなのです。

あなたが自分の能力に気づかずに謙遜していると、

それが長所で特別ということに気づきにくくなります。

「100mを10秒で走れ」と要求することが

バカげた要求だということは誰にでもわかることです。

それは特別だということが、誰にでもわかりますから。

では空気を読むということは、どうなのでしょうか?

「せめてもう少し(私とおなじように)やってくれたら......」

「なんでわからないかなぁ(俺はわかることなんだけど......)」

空気を読み過ぎて辛いならば、それは「高いレベルで空気を読んでいる」から、

ということでもあります。

誰もが高いレベルで備えているものではないのです。

空気を読むことを高いレベルでできる人が望むほどには、

みんながやろうと思ってもできることではないようです。

無理な要求やできないことを期待するということ......

まわりに空気を読むように求めるということは、ガッカリしたり、腹が立ったたり、

貧乏くじを引いているように感じる原因をつくっているといえるでしょう。

これだけ助けてあげているのに、自分は助けてもらえない......

忙しいにもかかわらず無理しても、報われない......

満たされない期待、要求から生まれるもの......

「損」とは、感じたくない気持ちです。

いつも関わり合う相手や仲間に、疑いや悪意のようなものを感じたくはありません。

そこで悪意のようなものを感じる替わりに、「もう少しやってもらえたら」などと期待をしても、

相手が持っていない能力は発揮されず、自分が「助かった」と感じることがない......

つまるところ自覚のない長所があるので、空気を読んでまわりを助けることができる。

それは特別なチカラや能力ではなく、自分にとっては普通で当たり前のことだと思っている。

だから、「相手にも自分とおなじくらい空気を読んで行動して欲しい」という要求に気づかないうちになってしまう。

そして相手に無い能力は発揮されず、あなたの期待に応えてくれる人はいない......

これが「まわりの人たちにも(私のため、みんなのために)空気を読んで行動して欲しいと期待するが、願いが叶わない」

という構造なのです。

(2016年07月21日「ボトルボイス」より転載)