日常とは、現実に目を背けること。朽ち果てた北の大地で気づいた日常の残忍さ

旅は「インスタ映え」だけではない。

北海道の芦別市に行ってきた。

旅というものは日常の論理的思考、脳みそ重視の身体の使い方から解放されるためのものだ。自然の心地良さを体感することにより、日々を過ごすためのエネルギーをチャージをすることが、一番の目的だろう。

今回、僕もそういう一般的な、「マイナスイオン!イェーイ!」的な、リラクゼーション・トリップを期待し、猛暑の東京を逃れ北海道にやってきた。どんだけリラックス出来るのかを楽しみに来たのだ。

でも、この旅のなかで僕は、日常では目を背けている現実を目の当たりにした。

そして、心が軽くなるどころか、重くなって東京に帰ってくることになったのだ。

今からその話をさせてほしい。

廃墟マニアに人気の街

仲間が移住した北海道芦別市。

大自然との戯れを期待して、僕はこの街にやって来た。だけど、来る途中でググってみたら、どうやら廃墟マニアに人気な街のようだ。

炭鉱で栄えた時には、人口7万人を超えていたそうだが、今は1万ちょっと。その大部分を占めるのは60歳以上という街だそうだ。

旭川空港から車で約1時間30分で、芦別市に入る。

街に入ってすぐに目に付くのは、超でかい大仏。牛久大仏のようなでかさ。88メートルあるそうだ。車を走らせながら見える、街から飛びぬけた異物感満載の真っ白な大仏によって、街がウルトラマンのセットのように見える。

大仏の横を通り過ぎると、誰も居ない無人の大型施設があった。五重塔、三十三間堂、タージマハール、ムスク・・・かなりの大きなサイズ感の建築物が連なる。

そこにいた、お掃除をしているおばさんに声を掛ける。

「中入ってもいいですか?」と聞いたら、「今は一般人は入れない」と丁寧に教えてくれた。

宗教団体の施設だそうで、札幌テレビと揉めて以来、中に入れなくなったそうだ。

「おねえさんも入会しているのですか?」と聞いたら

「私はお掃除させて頂いているだけで充分ですの」

と仰っていた。

街中が、まさにゴーストタウン。

商店街のシャッターは閉じていたり、いなかったりする。だが、人の気配は全然ない。

無人のパラレルワールドに来てしまったよう。

園子温監督の映画『ひそひそ星』ででてくる、福島の帰宅困難地域を神楽坂恵さんが自転車で走るシーンを思い出した。

立ち寄ったスーパーも、お客様の数と品揃えのミスマッチが、街の歪みを増幅させている。絶対に、こんな沢山のいなり寿司が売れきれる訳がない。

人口の急激な減少というのは、街に不思議な違和感を与えるということか。

この違和感が人間で言うところの、背伸びや自己の蔑みであり、身の丈を理解していないということであり、品格ということなんだろう。

自然と触れ合う、ポジティブパート

芦別市に移住して2年経った仲間の家にお泊りして、自給自足的な田舎ライフを満喫させてもらうトリップ。

釣りして、狩猟を見せて貰って、魚や獣肉をバーベキューして、自然と触れ合って、身も心も濾過するトリップ。

の予定だったが、朽ちた街並みに、出だしから何だかどんより気分に陥った。

しかし、アトラクションは楽しいに間違いなし!ワクワク。

宿泊先に着いて、気を取り直して渓流釣りへ。

車で川の下流に到着し、釣り名人のOPUST光が皆の釣竿をセットする。それを待つ。

待つ。

一竿一竿を緻密な手さばきで糸を付けて、ウキを付けて・・・・・。

待つ。

もう暑い。暑い。駐車場は川のせせらぎが聞こえるような場所ではない。山の木々のモワっとする鬱蒼なたまり場。

虫の量が凄い。べたべたする身体にまとわりつく虫。色んな虫。

待つ。

やっと準備完了し、川下から上流に向かって登っていく。

おおおおおお。インスタ映え。映え。

正にマイナスイオン祭り!!

水も冷たすぎるくらい冷たい。東京の猛暑から逃れた私は生き上手!!

なんて思う瞬間もあれば、虫。虫。虫。ぬるっと滑って痛い!というのもある。

渓流釣りというものを全く理解していなかった私は、裸足で川を上流に向かって歩く。

足の裏は永遠足つぼマッサージ。いい加減痛くなる。

初めての渓流釣りで何匹か釣れた。嬉しかった。ちゃんちゃん。

命を、食らう。

その後、鹿を撃ちに行った。今の時期、狩猟は出来ない。

しかし、この街は正にニュースでよくやっているような「鹿が田畑を荒らす」という地域。農作物の被害が尋常じゃないそうだ。

害獣駆除が必須の地域。

移住した男は、行政の有害鳥獣駆除をする係なのだ。それを見学することに。

山の中の木々を分け入って、登って、息を潜めて・・・・というハードワークを想像していたが、実際は車で移動して、山から下りてきている鹿がよくいるポイントを巡る。

2か所目に訪れたところで、鹿発見。僕らに車で待つように指示し、男は車を降りて数秒後に発砲。

40メートルほど先に居た小鹿が一頭倒れた。大きな鹿2頭が逃げていく。

近づく。首に命中していた。

原っぱに血を滲ませながら、足をばたつかせている。

ごめんな~と遠い目をしながら、小鹿の目を閉じさせ息絶えるのを待つ。

首にナイフを刺し血を大量に出す。

小鹿の動きが止まった。

初々しい毛の上に赤いスプレーで今日の日付を書く。それを撃った人間と共に写真で収める。役所に有害鳥獣駆除の報告をしなければいけないそうだ。

トラックの荷台に積んで家に持って帰る。

本来は、そのままゴミ処理場に持って行って、ゴミとして処理するそうだが、その前に我々は食べられる部分をさばいて頂くことに。

背骨のラインに沿って、ナイフを入れる。毛皮がめくれて綺麗な光る筋膜が露わになる。

背中のロースを剥いで、腸の中身を出さないように内臓を取り出す。心臓、肝臓・・・。

もも肉を剥いで、最後に舌。首筋の喉の方からナイフを刺して舌を取り出す。口の奥には食べかけの草が残っていた。

釣った魚を焼いて食べる。小鹿の肉を刺身で食べる。

真っ暗で無音の世界。スウェーデントーチの光の下で、命を食らう。

旅とは、日常を知ること

有意義な旅だった。「イェーイ!インスタ映え!」「イェーイ!アウトドア!」「イェーイ!マイナスイオン!」なんて気楽なものではなかった。

人口減少、高齢化の街に巣食う新興宗教。シャッター通りの寂しさ。

渓流釣りは本当大変だった。まとわりつく虫、刺されたら危ない蜂、アブ、アカダニの恐怖。釣っている時間よりも絡まる糸を解く時間の方が長い。

新鮮な生き物を食べるBBQは、狩猟からはじめることで、命を食べるということを目の当たりにした。

僕たちは「食べる肉」として普段平然と牛豚鳥などを食べる。

写真では伝わらない匂い、暑さ、体感。

食用に加工された肉。目を背けている「命」。

我々の生活というものは、目を背けることで成り立っている。

そんなことを知った旅でした。

本当に有意義だった。

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