忘れられし難民たち~パレスチナ難民キャンプを訪れて~

世界は難民で溢れている。情勢によって、メディアに取り上げられる難民は変わっていく。そして、世間から忘れさられる難民がいる。

世界は難民で溢れている。情勢によって、メディアに取り上げられる難民は変わっていく。そして、世間から忘れさられる難民がいる。

今年の夏休みに私は、パレスチナ自治区のラマッラーに住んでいる友人の下を訪れた。

三大宗教の聖地であるエルサレムからラマッラーは北に10㎞離れておりバスで行くことができる。ラマッラーはパレスチナ自治政府が置かれている、パレスチナの実質的な首都である。

車窓からベルリンの壁よりも遥かに高い壁が見えてきたら、そこから先はパレスチナ自治区である。

チェックポイントでイスラエル軍の兵士から厳重なチェックを受け、ようやくパレスチナ自治区に入ることができる。

パレスチナと聞くと「危険」という2文字がすぐに浮かぶが、全くそんなことはない。とても平和で、活気で溢れ、物価の高いイスラエルよりも物価が安くとても過ごしやすい町である。

STARS&BUCKS CAFÉという某有名コーヒーショップからインスパイアーを受けたであろうカフェまで存在する。

その一方で、イスラエルに対し抗議デモをしている集団や、イスラエルに対しての政治的メッセージを含んだ落書きが町中にあった。表面的には平和であるが、市民の不満がいつ爆発してもおかしくないという、緊張感も感じ取ることができた。

パレスチナ人の友人と話をしていると、彼が、この近くにパレスチナで2番目に大きいパレスチナ難民キャンプがあると教えてくれた。そして、是非とも行くべきであると勧められたので、彼と別れ、アル・アマリ・キャンプへ向かった。

そもそもなぜパレスチナ難民が生まれたかを、簡潔に説明すると。1948年パレスチナの地にイスラエルが建国された際、約75万人の人々が住居を失い、故郷を追われ難民となったことに由来する。

彼らはイスラエルによって、ある日突然故郷を奪われたのである。

難民キャンプ内を歩いていると、ある男性に呼び止められ、室内に招かれた。

彼は、ベン・グリオン国際空港の近くの村に生まれ、パレスチナ自治区内を転々とした後、約17年前にここに移り住み、現在は、家族6人と共に小さなアパートに住んでいる。

私は彼にここでの生活についてなどの話を聞いた。

彼は開口一番に言い切った。

「ここでの生活は最悪だ」と。

「私たちはきちんと税金を納めているにも関わらず、政府や警察は私たちをいじめてくる。」

「同じパレスチナ自治区に住んでいる、同じパレスチナ人なのに難民キャンプとそれ以外に住んでいる者との間に格差が生じている」

「自由に移動し、できることなら生まれ育った故郷へ帰りたい。しかし、私たちには自由がない。」

その後、彼の悲痛な叫びは止まることがなかった。私はただ彼の話しを、相槌を打ちながら聞くことしかできなかった。自分があまりに無力な存在であることをまざまざと感じさせられた。

私に故郷の場所を教えるために、彼が地図を描いていた時。

私が何気なく「あー、これはイスラエルの地図か。」と呟いたところ。

彼から「君たちにとってこれは、イスラエルの地図に見えるかもしれないが、私にとってはパレスチナの地図だ。エルサレムもガザもテルアビブもそして、今いるここも、全て私たちの土地だ。」と声を荒げた。

私は、彼の言葉に衝撃を受けた。

彼はパレスチナ自治区で生まれたパレスチナ人ではない。彼は、パレスチナ(現イスラエル)で生まれた、パレスチナ難民なのである。彼の訴えはもっともだ。

ふと彼が私に尋ねてきた。

「日本人は私たちの存在を知っているのかと」

私は正直に答えた。

「日本であなたたちのことを知っている人は恐らくほとんどいないだろう。正直、私の友人たちは、イスラエルとパレスチナがどこにあるのかさえ知らない。メディアも君たちのことを全く報じていない。そして、現在の日本で難民と言えば、シリア難民のことである。残念ながらあなたたちは、忘れ去られている。」と、私は彼の眼を見て伝えることができなかった。

今回のパレスチナ難民キャンプでの取材から私は、世界の問題は何一つ解決されることなく、次から次へと積み重なっていき、そして、積み重なった問題は徐々に露出を減らし、人々の記憶からも消えていくこと。私が日本で平和に育った19年の間、世界には時間の止まったままの地域があることを知った。

インターネットを使えば、何でもすぐに調べることができるこの時代に、私たちは彼らのことを知らない。

果たして知らないという1言で済ましていいのだろうか?この時代に、知らないという言い訳が通じるのだろうか?

私は思う、我々は彼らのことを知らないのではない。

彼らの叫びを無視しているのである。私たちは、世界の現実を直視しなければならない。

1人でも多くの人が、知ることによって、何かが変わるかも知れない。

特にこれからの世界を動かしていく私を含めた若者は、もっと新聞や本を読んで、ニュースを見て、政治や世界情勢に関心を持たなくてはならない。

一つの新聞やニュース番組だけでは、情報が偏ってしまう可能性がある。知りたくない情報からも目を背けてはならない。なるべく複数の情報を得て、それを自らで精査し、自分の考えに変えなければならない。

とても難しい作業であるが、私たちが知ることによって、助かる人がいるかもしれない。

そして、世界が変わるかもしれないのだから。

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