シャルリ・エブド紙襲撃事件と言論の自由 第2回

今年1月にパリで発生したシャルリ・エブド紙襲撃事件をめぐっては、「言論の自由」に関する日本と欧州の見方の違いが浮き彫りになっている。各国が言論の自由という概念を、国情に応じて選択的に適用しているのが現状だ。

今年1月にパリで発生したシャルリ・エブド紙襲撃事件をめぐっては、「言論の自由」に関する日本と欧州の見方の違いが浮き彫りになっている。

日本のブログなどの反響を見ると、「イスラム教やムハンマドを冒瀆するようなイラストを載せる新聞にも責任がある。シャルリ・エブド紙のイラストは、イスラム教徒に対するヘイト・スピーチではないか」という意見が多い。

*言論の自由に関する日欧間の違い

興味深いことに、欧州ではこうした見方は少数派だ。フランスやドイツでは、メディアだけでなく市民の間でも、「言論の自由を封じるために、ジャーナリストや風刺画家を殺すことは絶対に許せない」という意見が圧倒的に強い。私も同意見である。新聞の内容が気に食わなかったら、暴力ではなく言論や法的手段で戦うべきだ。

パリ市内のイスラム教寺院(筆者撮影)

欧州では、「シャルリ・エブド紙のイスラム教に対する揶揄は、ヘイト・スピーチの一種だ」という意見も、ほとんど出ていない。

だが私は日本の市民の違和感も理解できる。確かにシャルリ・エブド紙が過去に掲載したイラストの中には、「ここまでやらなくても・・・」と思わせる、悪趣味なものが少なくない。

ある号の表紙では、全裸のムハンマドがカメラマンに対して「私のお尻が好き?」と尋ねている。これは、ブリジッド・バルドーが映画「軽蔑」の中で言ったセリフだ。別の号の「星が生まれた」というタイトルの風刺画には、肛門を星で隠しただけの全裸のムハンマドが描かれ、性器まで露出させている。

同紙のイラストには下ネタが多く、性器、排泄物、嘔吐、公衆便所の描写もある。私は文章だけでなく生計の一部を風刺画で稼ぐ職業的イラストレーターでもあるが、個人的にシャルリ・エブド紙のイラストは好きではない。ル・モンド紙などの風刺画に比べると、下品だ。

ユーモアやジョークを面白いと思うかどうかについては、民族によって大きな違いがある。そこには感性や価値観が反映するからだ。フランス人や英国人のジョークの中には、日本人には理解しにくいものがある。逆に日本の駄洒落や冗談は、欧米人にはわかってもらえないことが多い。したがって、シャルリ・エブドのブラック・ジョークを我々日本人が理解できないのは、不思議ではない。

さらに「シャルリ・エブドがイスラム教徒をばかにしたから事件が起きた」という、日本での論調は、幼い時から「人様に迷惑をかけてはならない」とか「神仏や宗教など、権威を侮辱してはならない」、または「人の立場になって考え、人の嫌がることをしてはいけない」という日本での「常識」と関係があるのかもしれない。我々の心の奥底には、「悪いことをすると、罰が当たる」という意識が潜んでいる。「触らぬ神に祟りなし」という我々のメンタリティーも関係があるだろう。

ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王が、1月16日に「表現の自由は侮辱を伴ってはならない」と言ったことは、日本人にはよく理解できる。

だがフランスでは、「イラストを下品だと思ったら、その新聞を買わなければよい。しかし、その新聞に対して『そんなイラストは載せてはいけない』と強制することは、言論の自由の制限になる」という意見が、主流だ。

*啓蒙思想に端を発する、フランス人の自由への執着

「神仏や宗教など、権威を侮辱してはならない」という常識は、フランスなど西欧諸国では日本ほど通用しない。日本人が重視する「集団の調和」は、フランスでは二の次だ。あらゆる権威を疑い批判する精神は、フランスの啓蒙思想に端を発し、現在の欧州を欧州たらしめている基本原則の1つだ。特にフランスでは、政教分離と世俗主義を国是としているため、宗教が持つ意味は、ドイツやイタリアよりも低い。

さらに、日本に住んでいる人にとって最もわかりにくいのが、フランス人の自由への執着と、その反映である個人主義だ。フランス人は、新聞や雑誌が発表する内容について、テロリストが暴力によって規定しようとする行為を、「自由の侵害」と見なし、反発する。

長年フランスに亡命していたドイツの詩人ハインリヒ・ハイネは、「フランス人は、男が結婚したばかりの妻を愛するように、命を賭けて自由を愛する」と書いたことがあるが、この精神は今日も生きている。

さらに、シャルリ・エブド事件への反応に見られる日欧間のギャップは、ジョークや宗教についての感受性の違いだけでは説明できない。より重要なのは、日欧間の間に、言論の自由についての考え方の違いがあることだ。本来、言論の自由はどの国でも通用する、普遍的な価値であるべきだ。しかし今の世界を見る限り、普遍的な言論の自由は存在しない。むしろ、各国が言論の自由という概念を、国情に応じて選択的に適用しているのが現状だ。

たとえばドイツやフランスも、言論の自由を完全に保障しているわけではない。「アウシュビッツのユダヤ人大量虐殺はなかった」という類の、歴史修正主義的な意見を流布することは、犯罪である。つまりこれらの国々は、ネオナチに同調するような意見については、言論の自由を制限しているのだ。ドイツでは、ヒトラーの「我が闘争」は禁書になっている。右腕を高く掲げるナチス式敬礼や鉤十字の旗を掲げること、「ヒトラーにノーベル賞を与えるべきだった」などという発言も、「国民扇動罪」として刑事罰の対象になる。ドイツは、ヘイト・スピーチを世界で最も厳しく取り締まる国の一つである。その理由は、ドイツには、民主主義体制の転覆や外国人の排撃を狙うネオナチ勢力が、今も少数ながら存在するからだ。

フランスでも、以前はメディアが触れてはならない禁忌があった。1970年に、シャルリ・エブド紙の前身である「ハラキリ(フランス語の発音だとアラキリ)」紙は、フランス救国の父であるシャルル・ドゴール元大統領が死んだ時に、その死を茶化したために、政府から発禁処分を受けた。つまりフランスでも、言論の自由は、選択的に行使されるのだ。

一部の日本人が欧州市民の態度に冷ややかな目を向けているのは、欧州諸国がシャルリ・エブド紙のイスラム教風刺については言論の自由を求めながら、一方では体制の維持に不都合な特定の言論を制限しているからだ。

一方日本では、右派団体がデモの際に韓国人や朝鮮人に浴びせるヘイト・スピーチが社会問題になっているが、「言論の自由を制限するべきではない」として、ヘイト・スピーチの法律による禁止に慎重な意見が強い。多くの欧米人は、「韓国人は日本から出て行け」という類の野蛮な言葉も表現の自由の原則によって守られるべきだという主張に、首を傾げている。このように、表現の自由の適用については、国によって大きな差がある。

自分がもしもイスラム教徒だったら、シャルリ・エブド紙のイラストをどう思うだろうか。イスラム教世界で預言者を絵に描くことがタブーとなっていることを知りながら、あえてムハンマドの裸体を風刺画に使うことは、国民扇動罪に該当しないのか。

これらの風刺画が、フランスに住むイスラム教徒の心を傷つけている可能性は高い。彼らは、「紙によるヘイト・スピーチだ」と思うだろう。

*イスラム過激主義をめぐる議論

だがシャルリ・エブド紙のシャルボニエ編集長は、イラストをわざと悪趣味なものにすることにより、イスラム過激主義に反対するという政治的メッセージを強調しようとした。同紙がイスラム過激主義を標的とした理由は、フランスでこのテーマについての論争が激しくなっているからだ。

シャルボニエらが射殺された日に発売されたシャルリ・エブドの表紙は、フランスで大きな議論の渦中にあった作家ミッシェル・ウールベックの漫画だった。テロが起きた1月7日は、イスラム教に批判的なウールベックの風刺小説「Soumission(服従)」の発売日でもあった。

この作品は、2022年のフランスで極右政党の台頭を防ぐために、伝統的な政党が妥協してイスラム主義者を大統領に選び、同国がイスラム教国になったという想定の下で書かれている。フランスの言論界では、発売前からこの小説について賛否両論が戦わされていた。イスラム教徒を直接攻撃する小説ではないが、現在のフランスでイスラム教徒が増えていることについての、作者の懸念が込められている。

フランスに住むイスラム教徒の数は、500万人~600万人と推定されており、欧州で最も多い。人口の7.6%~9.1%に相当する。その理由は、同国がアルジェリアなどの植民地を抱えていたからだ。フランス社会にイスラム教徒たちは、溶け込んでいるだろうか?全てのフランス人はイスラム教徒を差別せずに、同等の市民として扱っているだろうか?この問いに、直ちに「イエス」と答えるフランス人は少ないと思う。

パリ市内のイスラム教徒が、モスクに集まってきた。(筆者撮影)

2010年には、パリ北部の第18区で異様な光景が出現した。何百人ものイスラム教徒が道の両脇の歩道に段ボールと絨毯を敷いてひざまずき、アラーに祈りを捧げたのだ。通行人は歩道を通ることができず、車道を歩いた。イスラム教徒たちは近くのイスラム寺院が手狭になり、祈るためのスペースが不足したので、路上で礼拝を始めたのだ。

同様の光景は、マルセイユやニースでも見られた。政府は近くの空き家を祈りの場所として使うことでイスラム教徒の団体と合意し、路上での礼拝を禁じた。だがイスラム教徒がずらりと歩道にひざまづいて祈る光景は、多くのフランス人に強い違和感を与えた。極右政党フロン・ナショナール(FN)のマリーヌ・ルペン党首は、「フランスに対する挑発だ」と怒りを露にした。

フランスの大半のイスラム教徒は平和を愛する人々だが、中にはイスラム原理主義に感化された、凶悪犯も混ざっている。2012年には、アルジェリア系フランス人がトゥールーズでユダヤ人の子どもなど7人を射殺。23歳の男は、アルカイダのメンバーと名乗っていた。去年5月には、やはりアルジェリア系フランス人が、ブリュッセルのユダヤ博物館で自動小銃を乱射し、ユダヤ人4人を殺害した。犯人は、シリアでテロ組織「イスラム国」のメンバーとなった後、欧州に帰還していた。

フランス社会の闇を象徴するのが、大都市の郊外のバンリューと呼ばれる、低所得層が多い地域だ。高層団地が多いこの地域には、イスラム教徒の移民たち、もしくはその子どもたちが多く住んでいる。

2005年にはパリ郊外のバンリューで暴動が起き、約9300台の車が放火された。フランスのほとんどの大都市の郊外には、このような地域があり、多くの白人たちは治安が悪いためにバンリューには足を踏み入れない。警察官すら行きたがらない地域もある。バンリューの中には、若年労働者の失業者が40%に達する場所もある。

私は高級ブティックが並ぶパリの中心街と、貧しいバンリューのコントラストを見ると、ニューヨークのマンハッタンとブロンクスの対照を思い出す。シャルリ・エブドの編集部に乱入した2人のテロリストも、アルジェリアからの移民の子どもとして、パリ郊外のバンリューで生まれていた。ドイツにも外国人が多い住宅地はあるが、パリのバンリューのように白人が足を踏み入れるのを避ける「移民ゲットー」にはなっていない。

フランス社会は、出自にかかわらず、国民に等しく教育を受ける機会を与えている。しかし学校からドロップアウトしたり、盗みなどの犯罪で罰せられたりしたバンリューの若者たちが、社会のメインストリームに戻ることは難しい。貧しい移民の家庭では、両親が子どもを家で働かせ、学校に行かせないケースもある。

移民二世の中には、インターネットや刑務所での他の服役囚との会話を通じて、アルカイダやイスラム国の過激思想に誘惑されていく者がいる。EU諸国の捜査当局は、現在フランスやドイツなどのEU加盟国から約3000人のイスラム教徒がシリアやイラクに渡り、イスラム過激派に加わって戦っていると推定している。彼らは、祖国へ戻ってテロ攻撃に踏み切る可能性がある。自分を受け入れなかったフランス社会への復讐でもある。

シャルリ・エブドを襲撃した兄弟の内、弟は2008年にシリア経由でイラクへ渡り米軍と戦おうとしたが、渡航寸前にフランスの警察に逮捕され、有罪判決を受けた。兄は、2012年にイエメンのアルカイダのキャンプで軍事訓練を受けていた。フランス警察は2人を要注意人物のリストに載せていたが、凶行を防ぐことはできなかった。

スイスの高質紙「ノイエ・ツュールヒャー・ツァイトゥング」のR・バルマー記者は、1月11日の電子版で、「シャルリ・エブド紙襲撃事件は、フランスが約500万人のイスラム教徒を社会に溶け込ませることに失敗したことを示している」と断定。バルマー氏は、「フランスのイスラム教徒の大半は、真の意味で社会に受け入れられてはいない。これまでもフランスのイスラム教徒は、多くのフランス人がイスラム過激派とイスラム教徒を同一視することに怒りを抱いてきたが、今回の事件は、イスラム教徒に対する差別を悪化させるだろう」と指摘する。

私は、バンリューの問題が解決しない限り、フランスはイスラム過激派の脅威に悩まされ続けると思う。イスラム教徒やユダヤ教徒も含め、370万人が参加した1月11日の抗議デモは、確かに感動的だった。しかし、フランス人はこのデモだけで「やるべきことはやった」と満足してはならない。政府はバンリューに住むイスラム教徒たちの教育水準を引き上げ、差別を減らし、移民の子どもたちの社会への融合に本腰を入れなくてはならない。

フランスやドイツ、英国では、移民の制限を求める右派ポピュリスト政党の支持率が伸びている。ドイツでは、去年の秋以来、「欧州のイスラム化に反対する愛国者たち」(PEGIDA)という市民団体がドレスデンを中心に毎週月曜日にデモを行い、2万人を超える市民が参加している。欧州では、シャルリ・エブド襲撃事件が右派勢力に対する支持率を増やすことが懸念されている。同時に、9・11後の米国のように、欧州諸国が治安維持を理由に、超法規的な措置によって市民の権利を制限する危険について、警告する声も出ている。

ドイツには今年45万人のアフリカ人やアラブ人、東ヨーロッパ人が亡命を申請すると予想されている。移民問題は、21世紀のヨーロッパにとって最大の政治問題、社会問題となるだろう。

朝日新聞社『ジャーナリズム』掲載の記事に加筆の上、転載

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