連載 過去との対決とドイツのメディア 第1回

筆者は25年前からドイツで働いているが、この国ほどメディアが自国の戦争犯罪について頻繁かつ詳しく報道する国は、世界のどこにもないと感じている。ドイツのメディアは、過去との対決の中で極めて重要な役割を果たしている。その内容、頻度は日本とは比べ物にならない。

筆者は25年前からドイツで働いているが、この国ほどメディアが自国の戦争犯罪について頻繁かつ詳しく報道する国は、世界のどこにもないと感じている。ドイツのメディアは、過去との対決の中で極めて重要な役割を果たしている。その内容、頻度は日本とは比べ物にならない。

*ホロコースト犠牲者追悼式典を生中継

2013年1月30日、ドイツ連邦議会でユダヤ人などナチスの暴力支配の犠牲者を追悼する式典が行われた。この催しは、アウシュビッツ強制収容所がソ連軍によって解放された1月27日前後に毎年行われている。2013年の式典が1月30日に行なわれたのは、この日が、ヒトラーが政権を取った1933年1月30日からちょうど80年目にあたるからだ。

連邦議会のノルベルト・ラマート議長は、「ナチスの台頭は事故ではなかった。偶然に起きた物でも、避けられない物でもなかった」と述べた。

ヒトラーという犯罪者が最高権力を握ったのは、クーデターによるものではない。国民が選挙という民主的な手段で彼の政党を積極的に選び、ヒンデンブルク大統領が正式に権力を与えた。12年間の暴力支配と第二次世界大戦の終着駅が、約600万人のユダヤ人の抹殺(ホロコースト)だった。

ラマート議長のメッセージは痛烈な自己批判を含んでいた。つまり彼は「ヒトラーを選んだドイツ国民も、責任を免れない」と訴えているのだ。

ベラルーシのハテュンでの親衛隊による虐殺現場を訪れたドイツ人(筆者撮影)

この式典に関する記事は、ドイツの多くの新聞が一面トップで掲載した。式典では、ナチス支配下のベルリンに潜伏して虐殺を免れたユダヤ人女性インゲ・ドイッチュコルンさん(91歳)が、メルケル首相をはじめとする閣僚・議員たちの前で、自分の経験について講演を行った。保守系の高級紙である「フランクフルター・アルゲマイネ(FAZ)」紙は、1ページを丸々使って、この講演の全文を掲載した。さらに2013年には、初めてニュース専門の放送局フェニックスが、式典の模様をテレビで生中継した。

我が国で、太平洋戦争の被害者が日本によって迫害された経験を交えながら国会で演説し、新聞がその全文を掲載することはありうるだろうか。今日の日本では、まず不可能だろう。この事実一つを取ってみても、欧州とアジアの間の「過去」をめぐる政治状況がいかに異なるか、そして同じ敗戦国であるドイツと日本が過去68年間に歩んできた道が、いかに異なるかを強く感じる。

2013年は第二次世界大戦中に、スターリングラードでドイツ第6軍が壊滅してから、70周年にあたっていた。ドイツ軍は1941年にソ連に侵攻して以来、破竹の進撃を続けていたが、ソ連南部の都市スターリングラードで、初めて大敗北を経験した。1942年11月に、この町でドイツ軍将兵約20万人と同盟国ルーマニア軍の1万人がソ連軍に包囲された。その内半分近くが戦病死し、捕虜の大半もシベリアでの強制労働で命を落とした。生きて祖国の土を踏んだのは5000人にすぎない。

ドイツのテレビ局は当時の記録フィルムなどを使って、この戦いについて詳しく報じた他、新聞もページの全面を使ってスターリングラードに関する特集記事を掲載。ある新聞は、スターリングラードで重傷を負ったために輸送機で後送されて助かった、90歳の元ドイツ戦車兵とのインタビューを掲載している。

私はNHKの記者だった頃から、ドイツ人がどのようにナチスの過去と対決しているかを、取材・執筆のテーマの一つにしてきた。1989年には、ドイツとポーランドで3ヶ月の取材を行った結果を、NHKスペシャル「過ぎ去らない過去」の中で発表した。(続く)

(朝日新聞社「ジャーナリズム」掲載の記事を転載)

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