満員電車で死んだ目をしたサラリーマンは死んでいるのではない。チャージしているのだ。

サラリーマン稼業も長くなってくると、エネルギー消費を抑える“スタイル”が人生効率的に望ましくなってくることがある。

もうタイトルで言い切った気がするが、オマケとして、本文のような体裁をつけておく。

「満員電車で死んだ目をしたサラリーマン」とはよく使われる言葉だが、ひどい勘違いである。なかには数%程度、本当に死にそうなサラリーマンも混じっているかもしれないがそういうのは例外で、ほとんどのサラリーマンは死んだ目になってチャージを行っているのである。

サラリーマンの境遇は忙しい。忙しいと書いて「充実している」と読み替えても良い。誠心誠意生きているサラリーマン達は、仕事に、遊びに、家庭に、とにかくやることが多いので寸毫のエネルギーも無駄にするわけにいかない。

無駄にするわけにはいかないのはエネルギーばかりではない。時間もサラリーマンにとって欠くことのできないリソースである。だから電車のなかで読書に励むサラリーマンも、特に若い人には珍しくない。

しかし年を取ってくると、時間と同等以上にエネルギーがネックになってくる。そして満員電車のなかの読書はエネルギー効率があまりよろしくない。身入りのある読書をしたいなら、もっとゆとりのある状況を選んだほうがクレバーだろう。

だったら満員電車の中ではできるだけエネルギー消費を抑えておいて、職場や家庭に着いてからエネルギー放電したほうが人生効率が良くなる。二十代の前半あたりまでは、エネルギーが有り余っているので時間のほうがリソースとして貴重に感じるかもしれないが、年を取って体力や気力が衰えてからは、リソースのボトルネックとして時間と同等以上にエネルギーが無視できなくなる。

そこで、サラリーマン稼業も長くなってくると、満員電車の劣悪な環境下では時間にがつがつせず、エネルギー消費を抑える“スタイル”が人生効率的に望ましくなってくることがある。

エネルギーが有り余っている若者諸氏は、今後、満員電車で死んだ目をしたサラリーマンの群れを見たら「あいつらはチャージしている」「出撃前のスリープ状態だ」と思っていただきたい。満員電車で死んだ目をしたサラリーマンのエネルギーと本領は、満員電車を降りた後で発揮されるのだ。サラリーマン、出撃!

(2016年10月3日「シロクマの屑籠」より転載)

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