結婚や子育てを考える"おのぼりさん"に、どうか幸あれ。

私は田舎者なので、特に“おのぼりさん”が結婚して子どもをもうける決断をする難しさに思いを馳せたくなる。
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リンク先の主旨には賛成だ。「地方創生」とは言うけれども、助成金をただばらまくだけではまずかろうし、廃村が免れないエリアと中核都市然としたエリアを一緒くたに論じられるわけがない。少子化問題に限らず、地方にテコ入れをやるとしたら相応のメリハリは必要だろう。

そんな話はさておいて、私がぼんやりと思ったのは「地方の出生率は頭打ちだろうから、東京(や大都市圏)の出生率をあげてくれよ」という事だった。総務省統計局の未婚率についての統計をみると、25~39歳の未婚率は首都圏や近畿大都市圏で低いので、婚姻率が高くなれば出生率も改善しそうにみえる。だが、首都圏(あるいは他の大都市圏)で結婚し、子どもをもうける決断をするのはなかなか大変だ。

私は田舎者なので、特に"おのぼりさん"が結婚して子どもをもうける決断をする難しさに思いを馳せたくなる。東京をはじめとする大都市圏の子育ては大変だと聞くが、大都市圏で生まれ育った人間と、"おのぼりさん"一世とでは、事情の違った話ではないだろうか。

■"おのぼりさん"一世が結婚し、子育てする際のハンディ

例えば東京は、思春期を過ごすにはスリリングな街だと思う。コンテンツも仕事も人材も集中しているし、大学をはじめ、教育の機会にも恵まれている。思春期以後も、自分自身の可能性を追いかけたりサブカルチャーに身を委ねたりするには最適な街だ。

経済資本・文化資本・社会関係資本に恵まれていれば、子育てに関してさえ案外恵まれている。待機児童のような問題がある反面、地方ではあり得ないようなメリットもある。例えば千代田区や中央区の子育て関連の区政を眺めていると、田舎者の私には進歩的だと感じる。私立の学校も多い。地方では考えられないほど選択肢がある。

でも、これらは「親に経済資本・文化資本・社会関係資本があれば」という前提付きの話だ。子育てに資するリソースに恵まれていれば選択肢を活かせる反面、子育てに資するものが無ければ苦しい。有料サービスを使いまくって私立学校に子どもを通わせる父兄を傍目で眺めながら、そのための諸資本を持ち得ない父兄は指をくわえて見ていなければならないのが大都市圏の別側面でもある。

むろん、今日は地方でも"郊外化"が進み、文化資本や社会関係資本が地域でシェアされる度合いは低下しているので、地方と大都市圏のコントラストが不明瞭なところもある。しかし、東京をはじめとする大都市圏では教育やサービスの選択肢が広いだけに、父兄の――そして子ども自身の――可能性の差異は、地方都市に比べれば著しいものとならざるを得ない。

まあそれでも、個人それぞれが自由に競争でき、選択肢が幅広いのが大都市圏の良いところだから、仕方のないと割り切るのも一つの見地ではあろう。けれども、この「個人それぞれが自由に競争」ってのも、実際はフラットな話ではない。"おのぼりさん"にとっての子育ては、かなりのハンディ戦だ。

首都圏で生まれ育った人間が子育てをする場合は、近隣に住んでいる父母の手を借りやすい。「首都圏では子育てが大変」とはよく言われることだが、(子どもからみて)おじいちゃんやおばあちゃんの手を借りられるか否かは、大変さの度合いにかなりの影響を与える。しかし隔絶核家族な"おのぼりさん"にはこれが期待できない。せめて片親だけでも首都圏出身者であれば、このハンディは半減するのだが。

首都圏で子育てするノウハウも、首都圏育ちの二世三世なら身を持って体験しているところだろう。どこの自治体が子育てに向いているのか・向いていないのかを判断するための情報を持っている可能性も高い。しかし"おのぼりさん"一世にはこれらは未知である。下調べを惜しまない甲斐性を持っていなければ、こうしたハンディは克服できないし、克服するとしても時間や精神力を割かなければならない。なかなか面倒だ。

そして首都圏で生まれ育った人は、なんらかのかたちで不動産を――それが金融資産としては無価値だとしても――持っている可能性があるが、"おのぼりさん"にはそれはあり得ない。結婚し子育てを決断しようと思ったら、不動産の問題について必ずビジョンを持ち、代償を支払わなければならない。"おのぼりさん"には"パラサイト子育て"など考えられないのである。現在なら、"いつまでも賃貸"という選択肢も有力かもしれないが、腰を据えて子育てをしたいと思った際、ローンを組んででもマイホームを取得したいと思う父兄はまだまだ多かろう。しかし、"おのぼりさん"一世はマイホームを自分自身で調達しなければならない。

つまり"おのぼりさん"一世は、

  1. 子育てにかかわる社会関係資本

  2. 首都圏で子育てを行うための情報や経験

  3. 子育ての舞台となる不動産資本

といった領域で、どうしたってハンディを抱えざるを得ない。もちろん、これらのハンディは数千万円をポンと支払える人達にとってはどうというものでもなかろう――大都会のお約束として"カネさえあれば"カバーのしようなんていくらでもあるからだ。しかし平均的なサラリーマン年収でこのハンディをカヴァーするのは容易ではないし、もっと年収が低い人達においては克服し難いものだろう。

もし地元に残っていれば親族や実家に頼りながら子育てできる人でも、単身上京してしまえば、この種のアドバンテージは消えてしまうのである。

私は、こうした「地元で子育てをするアドバンテージ」と「地元を離れて子育てをするハンディ」は意外と馬鹿にならないと思う。どれも"親や地元のしがらみ"と表裏一体ではあるが、いざ子育てを考える段になると、無いよりはあったほうが決断しやすくなる。(子育てにまつわる)不安の多寡にも影響するだろう。

■貧乏な田舎者でも、大都市圏で子育てしやすい世の中になって欲しい

にも関わらず、現在でも首都圏は――いや、一連の大都市圏は――地元を離れた地方の男女を吸収し続けている。いざ結婚し、子育てをスタートする際にハンディを背負うであろう"おのぼりさん"は、まだまだ発生し続けているのだ。

だったらせめて、「諸資本を持たない"おのぼりさん"でも、大都市圏で安心して結婚でき、ハンディがあろうがなかろうが子育てに邁進出来るような、そういう大都市圏であって欲しい」と願う。もちろんシングルマザーやシングルファーザーも困窮しにくい大都市圏でもあって欲しい。諸資本に恵まれない男女でも子育てを決断しやすい大都市圏が出来上がってくれるならば、地方から大都市圏への人口流入が止まらないとしても、それはまあわかる。将来世代にとってそんなに悪い話でもない。少なくとも私は、そう思う。

この私の願いは、地方創生と同じぐらい実現困難な夢想かもしれない。だが、大都市圏に飛び出していく"おのぼりさん"を見送る側としては、(地方再生の次善として)せめてそのように夢想せずにはいられない。地元を離れた"おのぼりさん"に、どうか幸あれ。

*2:例外は、首都圏進学と同時に親にマンションを買い与えられるような、うなるほどカネを持っている地方“貴族”の子弟ぐらいのものだろうか

(2015年4月9日「シロクマの屑籠」より転載)

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