「ファスト風土が、末端から壊死していく」

少子高齢化問題は、国全体としては多分なんとかなる余地があるだろうし、なんとかすべきでもある。しかし、それはそれとして、地方には「どう考えても手遅れ」なエリアが幾つもある。

ゆうべのNHK 『クローズアップ現代』は、東京への一極集中と過疎地の消滅、そして日本全体の出生率低下についての特集だった。かじりつくように視聴した。

地方の幹線道路沿いに住んでいると、こうした過疎や出生率の問題は肌感覚としてなんとなくわかる。朝、ニュータウンの通学路を歩く子どもの姿が少なくなり、ファスト風土の賑わいがゆっくり縮退しているエリアも目にうつる。そういうエリアでは、老人介護施設だけがピカピカの威容を誇っているのが常だ。

ところが、番組で放送されていた内容は、そうした肌感覚の一歩先を行っていた。NHKの集計によれば、全国市町村の1/5ではお年寄りの数が減少に転じているという。老人介護施設に入所するお年寄りすら減少していく超過疎地の現状――これはまだ、私の体感レベルではピンと来ていなかった。じきに体感レベルでわかるようになるのだろう。

地方の風景は、昨今、ファスト風土とまとめられがちだし、実際、地方に並んでいる店舗や売られている商品には大きな差異は無い。けれども、そのファスト風土にもピンからキリまであって、神奈川県や埼玉県や滋賀県のような、新陳代謝の良好なファスト風土がある反面、イオン系列やセブンアンドアイ系列すら進出を躊躇うような、壊死したファスト風土も目に付く。

その「壊死したファスト風土」とでも言うべき、廃墟の立ち並んだロードサイドが少しずつ近づいて来る有様は、眺めていて良い気分がしない。だが、そういう縮退していく風景こそが、ある意味"最新の日本"だし、そうした縮退する風景を踏まえた処世術やライフスタイルのうちに、近未来のメンタリティを紐解くヒントがあるようにも思える*1。日常の舞台が縮んでゆくことが与件となった社会で生きていくためのヒントが。

少子高齢化問題は、国全体としては多分なんとかなる余地があるだろうし、なんとかすべきでもある。しかし、それはそれとして、地方には「どう考えても手遅れ」なエリアが幾つもある。もちろん、土地や歴史や地域文化を捨てるのは難しく、「どう考えても手遅れ」と言及すること自体、政の場では難しい。それゆえ、この問題はズルズルとなし崩し的に顕在化していくのだろう。

村落が廃墟となり。

ファスト風土が末端から壊死して。

「すっきりする」、という声もあるだろうし、それはそれで一理ある。ただ、そこに住み続けてきた人には、「すっきりする」では割り切れない何かが残ってしまうのが常だ。それでも、そういう割り切れなさを引きずりながら生きていく術も、きっとこれから学んでいかなければならないのだろう。右肩下がりの時代を生きていくために。

【追記】「ファスト風土が元々進出してもいない地域が云々......」とコメントを頂きました。もちろん、そういう過疎地は多いでしょう。でも、90年代末にファスト風土がいったん出来あがった後、波が引くように寂れていったエリアもよく見かけます。

※たぶん次回に続きます。

*1:だからこそ、ファスト風土の精神性や文化表象やマーケティングを論じることには、今日的な意義があると思う

(2014年5月2日「シロクマの屑籠」より転載)

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