インターネットでも心理的に未熟な人は不利......だとしたらどうすべきか

どういうインターネットの使い方なら承認欲求や所属欲求のレベルアップを達成できるかと言ったら、やはり、地味かもしれないけれども長い付き合いだと思うんですよ。

「おまえは強者の論理をふりかざしている!」って言われるとドキドキしてきますね。ポジショントークっぽい意識に基づいた発言でなく、日頃、娑婆世界を眺めて本当にそうだと思っている発言が指摘された時には特にそうです。

なるほど、理想はその通りですね。リアルの人間関係が豊かであればそれに勝る幸福なんてない。地道に身近な人との間にface to faceのコミュニケーションの中で地に足のついたコミュニケーションを形成していくことは大事だ。

http://cyberglass.hatenablog.com/entry/2015/11/16/213801

理想?

私は理想だとは思いません。

現実ですよ。

インターネットで不特定多数相手に芸を繰り返してアテンションを集めたって、それだけじゃ心理的な成長なんてあり得ないと私は思っています。パチスロ感覚で動画配信やブログエントリを繰り返したって、承認欲求の「溜め」や「こらえ」が効くようになるわけがない。だから、インターネットを活用する/しないにかかわらず、その手の承認欲求の間欠泉みたいなライフスタイルはやめましょう、少なくとも、それで心理的に成長できるなんて期待はよしておきましょうよ、っていうのが私の主張です*1。

私の主張は、現実の人間関係が安定しない人達からみれば「でも、それが難しいんだよ!」「それが苦もなく出来るのは、あるていど心理的に成熟している人や“コミュ強”だけでしょ?」と否定したくなるものかもしれません。

しかし現実を眺めやる限り、実際そうだと思うんです。金銭も、文化資本も、心理的な成熟機会すら、集まるところに集まりやすく、集まらないところには集まりにくい。それぞれにおいて、強い者ほど洞察を深めやすく、弱い者ほど洞察を深めるための材料を取りそろえられない。もし、そうした現実的傾向を踏まえて考えることが強者の論理だとしたら、なるほど、私は強者の論理で物事を考えているのでしょう。

でも、私はそのような厳しい状況下で心理的成長を考え、追いつけ・追い越せを論議してきたからこそ、ただネットで承認欲求を貪っているだけで救われるなんて甘い考えには与したくないのです。かりに、そんなにイージーな考えで心理的成長が達成できるとしたら、メディアの最前線で活躍している人達もインターネットのお立ち台に立って喜んでいる人達も、平均的な人達よりもずっと心理的に成長し、立派な御姿を皆に示していそうなものじゃないですか。

でも、私にはどうしてもそうみえません。承認欲求を充たし慣れていない人がネット de 承認欲求を遮二無二追いかけたって、社会的に拙いことになったりアカウントを破裂させたり……成長しているっていうより退行しているって言いたくなるような、“病膏肓に至る”光景をよく見かけるじゃないですか。控えめに言っても、そこには承認欲求の無間地獄に突入するリスクがあります。

もし、厳しい現実のなかで未熟な承認欲求を成長させたり未熟な所属欲求をレベルアップさせたりするとしたら……良い経験の場を確保するための工夫、試行錯誤、バイタリティ、それと“運”が必要ではないでしょうか。

  • 誤解を解くために断っておくと、私も「ネットコミュニケーションが承認欲求や所属欲求のレベルアップに寄与する余地はある」と思っています。私自身、はてなダイアリーやはてなブックマークを使ったネットコミュニケーションが無かったら、今よりも承認欲求/所属欲求に飢えやすい中年男性に仕上がっていたでしょうし。

    オンライン空間を駆使して承認欲求/所属欲求の充当とレベルアップを目指すのはいいとして、じゃあ、どんな方法が望ましいでしょうか。逆に、どんな方法なら危険でしょうか。

    三年前、私は以下のような文章を書きました。

    動画配信を承認欲求の“救い”にするとしても、方法を間違えれば大きな社会的ダメージを負いかねない――という危惧は今も変わりません。同じことは、twitterやブログにも言えるでしょう。

    確かに、インターネットはあらゆるコミュニケーションの可能性を秘めています。でも、あらゆる可能性を秘め、無限に広がり得るからこそ、使い方を誤ったまま承認欲求や所属欲求をむさぼり続けた時の危険も計り知れません。常に自省しながら、用心深く使うべきツールだと思います。

    で、もしインターネットを“駆け込み寺”として、承認欲求や所属欲求を温めながら心理的な成熟も視野に入れていくとしたら、

    1.継続的な人間関係を続けられる時間の長さ。気の長さ。

    2.そのためにも、ホントのホントに最低限のコミュニケーション能力と最低限の承認欲求/所属欲求の習熟度

    3.長く付き合うのに適した人を発見し、危険な相手を避ける“人を見る目”

    等がたぶん必須で、ぶっちゃけ、強者とまではいかなくても、本当の本当の本当にコミュ弱者な人には非常に難しいと思うんです。

    考えてみてください。たとえば、人を騙してリソースを搾り取ろうとする人間・調子の良いことをペラペラ喋る人間の後ばかりホイホイついていってしまうような人が、ネットで心理的な成長のチャンスを掴み、幸福に辿り付けるでしょうか?

    いいえ、そういう人間はインターネットでは真っ先に食い物にされるだけです。

    インターネットの特性が「誰とでも繋がり得る」ものである以上、インターネットに自分の可能性を賭けたい人に一番必要なのは、実は、“人をみる目”だと私は思います。この“人をみる目”が弱ければ弱いほど、ネットに賭けたチップを失ってしまいやすいのではないでしょうか*2。

    あるいは承認欲求や所属欲求があまりにも未熟で、他人に対する要求水準が恐ろしく高かったり、誰かと一緒にいても楽しみより先に不満を感じてばかりの人は、オンライン空間といえども孤立しがちです。本当は、そのような人こそが真のコミュニケーション弱者に相当するのでしょうけど、そこまで困窮するとtwitterやはてなブックマーク上のコミュニケーションですら難しいと想定されます。

  • じゃあ逆に、どういうインターネットの使い方なら承認欲求や所属欲求のレベルアップを達成できるかと言ったら、やはり、地味かもしれないけれども長い付き合いだと思うんですよ。承認欲求のお立ち台でスタンドプレイに耽るようなネットの使い方ではなく、ときどきオフ会も織り交ぜながら、五年、十年って単位で他のアカウントとお付き合いを続けていく。それが無理なら、せめて三年。ときには意見が対立することもあるかもしれないけれども、なんとなくお互いを許容しあい、認知しあいながらインターネットの悠久の時を共有していく……そんな感じが正解に近いのではないでしょうか。

    はてなダイアリー/ブログ/ブックマーク周辺のコミュニティが好きだから口にする話かもしれませんが、私は、(株)はてなの提供するサービスの近辺で知り合い、何年もやりとりのあるブロガーやブックマーカーの人達との長期的な付き合いが、なにか自分の承認欲求や所属欲求の成長に寄与してきたんじゃないかな、と思っています。

    別に、それで物凄くレベルアップしたとか、劇的にパワーアップしたとか、そういうものではないですよ?ただ、長年にわたり、肯定も否定も混淆したやりとりを複数のアカウントと繰り返しながら、「自分も相手もそこにいる。ときには批判や揉め事もあるけれど、私達はここにいても良いんだ!」的なフィーリングを共有し、オフ会で時々確認しながら時間を共有できたのは、私の心の歳の取り方にプラスに働いたと思うのです。

    もちろんこれは、(株)はてな のサービス以外の場所でも起こるのかもしれませんが、はてなダイアリー/ブログ/ブックマーク/スター*3といった一連の接続性のある(株)はてなのサービスは、ユーザー同士が長期的に繋がり続ける(それも、広く・薄く・長く)には便利な部類に入るのではないでしょうか。

    まあ、ネットコミュニケーションを介して承認欲求や所属欲求をレベルアップさせるってのは儚い願いで、「うまくいけばみっけもの」みたいな要素かと思います。そして、どこまでがネットのおかげで成長した結果で、どこからがオフラインの人間関係で成長した結果か、厳密な線引きなんて出来ないことも承知しているつもりです。

    でも、長い歳月を経て少しずつ“成熟”の道を歩んでいくベテランアカウント達を観察していると、時間をかけたコミュニケーションをオンライン/オフライン双方で続けていくのが、スポットライトを浴び続けて有頂天モードのインターネットを目指すよりもローリスクで手堅い気がするんです。逆に言うと、ゆっくりとした速度で構わないなら、オンライン上の人間関係やコミュニティを継続している人達は、そこから何かを受け取っているんじゃないのかな、とも。

    いまやインターネットも生活空間の一部である以上、そこでのコミュニケーションをネガティブに捉えるだけでは面白くもないし、建設的でもありません。ただ、どのようなネットコミュニケーションが望ましいのか・どのような心理的成長の余地があるのかは未知数で、統計学的に(断片的な)検証ができたとしても、ネットユーザーそれぞれは用心深く・手堅くやっていくのが穏当でしょう。

    昔、どこかの誰かが「嘘を嘘と見抜けない人には(インターネットは)難しい」と言いました。その点も含め、インターネットはやはり難しいツールだと私は思います。経済面であれ、心理面であれ、インターネットに“逆転の可能性”の期待する人達におかれては、より一層の工夫、より一層の用心深さで臨んで欲しいものです。

    *1:付け加えると、そのようなライフスタイルを強行できるのはせいぜい三十代の後半までで、よほどの特例以外はエイジングとの兼ね合いに押されかねませんよ?という懸念も持っています。

    *2:尤も、これはネットに限った話ではなく、コミュニケーションや進路が自由化した現代社会全般にも、だいたい適用できる話でもありますが

    *3:本当は、ほかにはてなハイク等

    (2015年11月19日「シロクマの屑籠」より転載)

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