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2018年01月09日 12時16分 JST | 更新 2018年01月09日 12時19分 JST

「AI議員」という思考実験

これは議員のみならず、多くの人のキャリア全般に言えることかもしれません。

このところ多くのメディアを賑わせているAIは、便利な世の中をつくる可能性がある一方、人とどのように共存できるかについては、これから議論すべきテーマとなっています。2045年には人工知能が人間の知能を超えるとされる「シンギュラリティ」が起こり、今ある職業の50%はAIに取られているかもしれないという研究結果も発表されています。経済産業省も、2030年には最大735万人の雇用がAIに代替されると予測しています。「ディープラーニング」を重ね、自ら進化していくAIとうまくやっていけるのか、人間とAIの仕事の棲み分けはできるのかについては、未知数です。

ところで、私は現在NPOの代表を務める傍ら、港区議会議員を務めています。そこで今回は、議員もいずれAIに代えることができるのか、考えてみました。(追記:読み返してみると、これは議員のみならず、多くの人のキャリア全般に言えることかもしれません。)

(ひとまずの)結論

先に結論から述べたいと思います。議員の役割が「市民の声を政治に反映させること」だとすれば、いずれAIに代えることができると思います。なぜなら、「市民の声」の多くはインターネットのビックデータの中に転がっていて、それをAIがうまく分析できれば、「代弁者」としての議員はいらなくなるからです。  

でも、完全に置き換えるには、様々な障壁があるでしょう。

第一に、「職業政治家の壁」。もちろん多くの議員は志とまちや国を盛り上げようとする強い信念を持って働いています。でも、それで食べている人からすれば、AIに職を奪われることは大きな脅威。きっと法律や条例を駆使して、そのような事態を回避するでしょう。

第二に、「利害の壁」。議員は日々、(地元の)住民とのコミュニケーションの中で政策をつくり、ある特定の集団の利害を代弁しようとします。有権者は一般に、「誰に対しても平等に回答する」AIより、「私たちの言うこと一番に聞いてくれる」議員を選ぶでしょう。

第三に、「発想力の壁」。AIは、今あるデータを元に分析し、発想するのが得意です。しかし、少子高齢化の時代になり、未だ経験したことのない社会課題が次々と生まれる状況では、今ある情報を分析し、従来からある選択肢の中から選ぶだけでは有効な解決策を導き出せず、有権者に見限られてしまうでしょう。「AI議員」が本当に良いかどうかの議論は一旦置いておくことにして、では、それらの「壁」はどうしたら越えることができるでしょうか。

「3つの壁」は乗り越えられるか?

一つ目は「職業政治家の壁」です。確かに、自らの職にしがみつき、当選することが至上命題になってしまっている議員もいます。一方で、議員を支持する既存の利益団体は少子高齢化によりどんどん組織の基盤が弱くなってきています。

だから、インターネット上の意見を含め、彼らにはより多くのコミュニティから新たな票を獲得する必要性に迫られています。今は多くの議員がSNSを駆使して活動する時代です。ネット上に有権者の声があるのだとしたら、彼らはそれを積極的に聞きにいくようになるでしょう。

近い将来、議員は自らのSNSをbotに運用してもらうようになると思います。その方が効率的に意見を収集でき、間違いのない発言ができるからです。もちろん、その先には、「AI議員」の実現があります。

二つ目は、「利害の壁」です。人間は自らの利益を最大化するべく、政治を使うことがあります。経済が成長し、多数の生産が見込める時代には、その配分をどうするかに政治家の手腕がかかっていました。しかし、今は限られた資源をどう分配するかの時代です。

「最大多数の最大幸福」は、AIによって可能になるでしょう。先進国のフードロスを途上国に回すだけで世界の貧困問題が解決すると言われているように、グローバルな視点でみれば、資源や開発の余地はまだまだあります。もちろん、それは国内でも同様です。

そのため、AIが資源の偏りと潜在性を察知し、広く人々に平等に配分することができるなら、加えてそれにより今の生活がより豊かになると証明されれば、人々は「AI議員」の支持へ回るでしょう。(もちろん、一握りのお金持ちには嫌われるかもしれません。しかし、民主主義において、一票は富めない人にも同様に与えられるのです。)

最後は、「変革の壁」です。実は私は、これが一番手強い壁だと思っています。AIにはまだ、ゼロからイチを発想するクリエイティビティがないからです。AIは主にインターネット上から多数のデータを集め、そこから思考していくものです。

そのため、Aが正しいか、Bが正しいかの判断はできても、あるいはAをより改善するための方法を考え出すことができても、これまで全くなかったものを生み出すスキルは持ち合わせていません。

一方、少なくない議員は日々、AかBかで対立している物事を収め、なるべく多くの人の幸福をつくるため、Cという発想をします。時に、これまで誰も思いつかなかった方法によって、Aを支持する人もBを支持する人も納得するような答えを出す場合があるのです。

例えば、ある島に住む人々が地場産業を活性化するために観光農園をつくることが必要だと主張します。でもそのほかの人は、自分たちの住環境が乱れることを嫌がり、それに反対します。

そんな中、政治家は地元の人々がつくった特産品を島外の人たちに向けて出荷するという方法で産業の活性化を図るのです。しかし、これとて、クリエイティビティや提案力のない政治家はどんどん淘汰され、AIに置き替わられるという結末を迎えるでしょう。

「液体民主主義」を補完する可能性?

ところで、欧州では、昔からインターネットを使って政治のあり方を変えるべく、様々な実験が繰り返されてきました。その代表例の一つが、2006年にスウェーデンで生まれた「海賊党」が提唱する「液体民主主義」というシステムです。

ギリシャのポリスで行われていた「直接民主制」は、住民が対面で話し合い、全ての物事に対し直接投票で決める仕組みでした。それが理想ではあるものの、コミュニティの単位が大きくなってしまった現代社会においては、その実現は難しくなりました。決定までに多くのプロセスと時間が必要となるからです。

一方、多くの民主主義国家で行われている「間接民主制」は、有権者が選挙で選んだ代表者にすべての政策の意思決定を委任する仕組みであり、任せた人と完全に意見が一致することはないので、「私たちの意見が反映されていない」と感じる人が多く発生することになってしまいます。そのような中、「直接民主制」と「間接民主制」の両方の長所を活かし、よりよい民主主義の形をつくろうと考え出されたのが、「液体民主主義」でした。

ここで、有権者は自らの意思で法案をつくり、オンライン上のプラットフォームに提案することができます。プラットフォームの参加者は自由に意見を述べ、改正案を出すこともできます。

そして、最終的には参加者の投票によって意思が決定され、最後に自分たちの「代弁者」たる議員が代わりに議会で提案するのです。当該のトピックスに対して判断がつかない場合には、オンライン上での投票権を他人に譲ることもできます。一つ一つのイシュー毎に議論を重ねるこの仕組みにより、参加者にとっては無理なく自らの意思を示し、政治に反映させることが容易になりました。日本でも、2014年に行われた東京都知事選挙で、家入一真さんが「#ぼくらの政策」として、有権者から政策を集める試みを行いました。

海賊党も、「#ぼくらの政策」も、課題の一つはプラットフォームへの参加者が限られてしまい、意見に偏りが生まれてしまうことです。では、今ではほとんどの人が使っているSNSのビックデータの分析から、AIがみんなに受ける「#ぼくらの政策」を勝手につくってくれるのだとしたらどうでしょうか。SNS上に現れる仮想の議員が日々、有権者の潜在的なニーズを集め、政策にしてツイートする。そして、リプライを元に微修正し、それを行政に届ける。そんなことができたら、少なくとも「市民の声を政治に反映させる」だけの議員は要らなくなるでしょう。

必要なのは、社会的弱者の声を丁寧に聞くこと。

もちろん、「AI議員」がバラ色の生活を私たちにもたらしてくれると手放しで喜ぶことはできません。例えば、マイノリティなど社会的弱者と言われる人々の生活をどうするのか。多数決で解決できない問題、すなわち「最大多数」を追求するとどうしても漏れてしまう人々の利益は、AIにはなかなか守りづらいでしょう。

私は、議員には、行政サービスで見落とされがちな、「いない」ものとされている人たちの声を日々のコミュニケーションから丁寧に拾い上げ、彼らの生きづらさを解消する役割があるのだと考えています。SNS上でも現実世界でも声を上げられない人々の声を丁寧に聞きにいき、それを政策に反映させること。自らの想像力や発想力、クリエイティビティを最大限に活かし、彼らの意見をマジョリティの人のそれと接続させていくこと。それらは、これまでもこれからも、ずっと求められていることだと思います。裏を返せば、発想力や想像力のある議員のみがこれからも生き残るということになり、AIをうまく使いこなせる政治家はきっと重宝されるでしょう。

AI議員がいいのか、生身の人間がいいのか、そしてどちらが生き残るのか。議員一人一人の行動、そしてそれを今選ぶ有権者一人一人の判断と選択にかかっています。

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