官僚「メディアはセクハラに強い女性記者を寄越していると思っていた」…異常な実態と思考

「中央の官庁や議員だけでなく、最初の勤務地である地方の警察関係者や議員がひどい」

メディアと霞が関のハラスメント問題は、4月に財務省事務次官が辞任し、野田聖子女性活躍担当大臣がすばやく「セクハラ緊急対策」をまとめて対処。そして一般企業の女性セクハラ問題も含め、今後の対策については法改正も視野に入れ労働政策審議会(労政審)などで検討していくことになりました。

メディアのセクハラ問題の根っこには、セクハラが常態化している業界全体の風土があります。新聞社やテレビ局など大手メディアに勤務する友人たちは、「セクハラにあったことがない女性記者はいない」と口々に言います。

「中央の官庁や議員だけでなく、最初の勤務地である地方の警察関係者や議員がひどい」

彼女たちはなぜセクハラに耐えて、男性と2人で会うのか? それは「情報」を得るためです。特ダネではなく「特オチ」が怖いからと。

情報を提供してくれる人の機嫌を損ねて、自社だけ情報をもらえなかったら、また先輩たちがつくってきた「関係性」を壊してしまったら、それが怖いから我慢する。我慢するのが当たり前。「プロなら、うまくかわせないでどうする?」という考えがあり、「セクハラにうまく対処するのがプロ」という「風土」が出来上がったのです。

では、男性の記者たちは同じ場所にいて、それを目撃しながら、何をしていたのだろうか? 男性たちはセクハラの代わりに何を差し出して情報を得ていたのか? メディアの男性に聞いてみました。

「そういわれると『取材相手の弱みを握れ』と上司に言われたことがあります。たとえば、取材相手が落としたい女性がいる飲み屋、キャバクラ、風俗などに連れていくこともありました。やっぱりシモのネタが多かった」

そのような取材者も取材相手も男性ばかりの場に、徐々に女性たちが参入してくるようになった。そのなかで、いつからメディア女性へのセクハラが横行するようになったのかはわからない、と彼も言っています。しかし、それ以前から夜のスナック(地方の場合はスナックが多い)などで取材相手と会うのは当たり前でした。

一方、メディアの女性たちに聞くと、セクハラにあった現場は「飲み屋」「タクシー」または相手の「官舎」などでした。「スナックのママがセクハラをとめてくれた」という話も聞きます。

止められない男性記者

ある男性記者は5年前の経験を語ってくれました。

「自分の後任の女性記者を、ある地方の有力者に紹介したんですよ。そうしたら、その場で初対面の女性記者の二の腕をつまんで、プニプニ揉んでいました。今思えば、『やめましょう』と言うべきだった。その場で『あっ』と思ったのですが言えなかったですね」

彼は目の前で後輩記者がセクハラにあっていることは意識していた。まずいぞ、止めるべきだとも思った。でも止められなかった、ということです。

この男性記者に、セクハラの代わりに男性は何を情報提供の対価としているのかと聞いたら「土下座」という答えが返ってきました。文字通りの土下座ではなく、土下座せんばかりの関係性、相手が圧倒的に上位になる関係性に甘んじ、パワハラも我慢するということです。

ある男性記者は、#MeTooに対する社内の上の世代からの反発を教えてくれました。

「じゃあ、お前らは鼻血が出るほど、仕事先を回ったことがあるのか」

「なりふり構わず必死な取材をしているのか」

さらには、女性記者に対して「取材先のガードが緩くなるので、女性だから得をしている」「女を使って情報を得ていたのに、今さらなんだ」という声もあちこちで耳にしました。

いったいいつから、取材対象者は「男性記者にパワハラをしていい。女性記者にはセクハラをしていい」という"学習"をしたのだろうか?

今こそ「アンラーニング」を

人材育成や組織開発などの手法に「ラーニング」「アンラーニング」という言葉があります。「ラーニング」は学ぶこと、「アンラーニング」は「いったん学んだ知識や既存の価値観を棄て去り、新たに学び直すこと」です。

現在のセクハラ、パワハラの悪循環を断つには、個人の問題ではなく「組織としてラーニングしてしまったことを、いかに捨てるか」という課題になります。

これは長時間労働の構造と似ています。長時間労働も組織として「それが良いこと」と学習され、経済の構造が変わっても「アンラーニング」されないままきてしまいました。長時間労働をやめるには、組織的に学び直しをすることが必要です。そのために「消灯」や「パソコンの強制オフ」「残業しないチームにボーナス支給」などのショック療法も必要です。

よく「思わせぶりな女性が悪い」「女を使って仕事をしている」と、セクハラされる側を責める風土があります。しかしこの場合、アンラーニングしなければいけないのは、「メディアの女性にセクハラしても大丈夫」と学んでしまった「取材を受ける側」となります。ある女性記者は#MeToo騒動のあと、官僚に「セクハラに強い記者を寄越しているのかと思った」と真顔で言われたそうです。

今、霞が関では、さまざまなレベルでセクハラ研修が盛んに行われています。しかし意識の低さは「驚くばかり」とのことです。組織として、職業人として、「セクハラは自分のキャリアと組織のリスクとなり得る」ことを新たにラーニングしていくしかありません。

「女性がいかに気をつけるか」という「される側」への働きかけが多いのですが、やはり「セクハラはうまくかわすのがスキルのうち」ということが根付いた労働環境は、とても生産性が高いとはいえません。そのために優秀な人材がメンタルを病んだり、辞めたりする。これは企業としても損失です。また次世代の女性たちはどんどん逃げて行くでしょう。

セクハラをする側の「アンラーニング」を、ぜひ企業の課題としてほしいと思います。

(文=白河桃子/少子化ジャーナリスト、働き方改革実現会議民間議員、相模女子大学客員教授)

(2018年8月14日「ビジネスジャーナル(白河桃子)」より転載)

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