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モノの豊かさは幸せなのか?自然と「内向きになる」国内状況

「物が溢れているということ」は偉大なる先人たちの積み重ねであり、素晴らしいことです。ただ、「豊かさ」によって見えにくくなっていることもあるのではないかと思う。
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こんにちは。TRiPORTライターの石渡航平です。

海外旅行から帰ってきたときに「日本はなんでもあるなぁ」と思ったことはありませんか? 主要な町なら自販機や24時間営業のコンビニなど、周りを見渡せばすぐに発見できると思います。「何か欲しい!」と思ったときでも、その気になれば比較的すぐ手に入れることができるでしょう。多くの旅を経験してきた僕は、その豊かさや不自由のなさが「旅の必要性」を感じさせない一つの理由にもなっていると思うのです。そしてそれは、自然と視野を狭めている気がします。

普通に生きていくなかで、日本にいれば不自由することはないのかもしれません。家電も、食事も、衣服もあり、もはや物が溢れているのではないかと思うこともあります。「物が溢れているということ」は偉大なる先人たちの積み重ねがあってこそのことであり、素晴らしいことです。ただ、その「豊かさ」によって見えにくくなっていることもあるのではないかと思います。

「豊かさ」によって見えにくくなっているモノやコトは人によって様々ですが、その中の一つとして「外に目を向けること」があるのではないでしょうか。確かに、日本には海外からも注目されるようなカルチャーや技術があります。服やデジタル用品など、興味深いものも多く存在しています。それに時間やお金を費やすのは決して悪いことではありません。しかし、そのような消費行動により、視野が「内向きになる」ということもあるのではと思います。

皆さんは、ものの豊かさが幸福度に関連していると思いますか? 世界的には貧しい国と言われている国でも当然、幸せそうに暮らしている人達もいます。衣服がボロボロだとしても、幸せいっぱいの笑顔を見せてくれるのです。

決して裕福とは言えない発展途上国や、24時間営業のお店が一切ないような地域に行ったときに感じるのは「思ったほど不便ではない」ということでした。「むしろこれが『普通』なんじゃないか」。そう感じたのです。

もちろん、「普通」の定義も人それぞれであり、むしろ「普通」などないのかもしれません。しかし「内向きになること」を繰り返す消費ばかりしていると、当然それが普通になります。普通しか知らない「普通」と、様々なことを知った上での「普通」では、その視野の広さも変わってくるのではないでしょうか。

禅の言葉にもある「吾唯足知」。これは一言で言うと「人は欲張らず、今の自分を大切にしなさい」という意味です。物に囲まれるとつい欲張ってあれもこれも欲しくなりますが、それを捨てて軽くなることが、「外向き」になる第一歩なのかもしれません。そうすれば自然と旅に出る第一歩も踏み出してみたくなるはずです。

(ライター:石渡航平

Photo by: 石渡航平

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