イギリスの国民投票から昨日で1週間が経ちました。
国民投票は、残留支持が約48%(16,141,241票)、離脱支持が約52%(17,410,742票)の僅差の投票結果となり、その後インターネットでは"What is the EU?"がイギリスのGoogle検索トレンドで2位になり、国民投票のやり直しを求めて350万人の署名が集まるといった出来事が起きています。
国民投票のやり直しをめぐる騒動は一悶着あるかもしれません。その他にも、「私達はEUに残りたい!」とスコットランドやロンドンが独立を求める動きが生まれています。
イギリスで起きたことは遠い海の向こうのことだと思うかもしれません。しかし、私はイギリスで起きた事件は民主主義国家である日本にも重要な問いかけを発しているのではないかと思います。
「モジュール」という言葉について。
「モジュール」という言葉をご存知でしょうか。モジュールとはの建築やITの分野で使われることの多い言葉で、機能単位の部品や交換可能なパーツのことをいいます。最近ではGoogleが開発しているモジュール型スマホ「Project Ara」(カメラやディスプレイ、センサー単位で人々が部品を購入し自分で組み立てるスマートホン)が注目されています。

お手持ちのスマートホンで、「カメラが微妙なんだよな。カメラだけ変えられないかな。」「色身がなくていまいちなんだよな。自分の好きなカラーに部品を交換できたらな」といった『ここだけ部品交換したい!』という需要に答えるのがGoogleのProject Araです。
イギリスの国民投票は、何を象徴するのか。
国民投票から1週間が経ち、様々な情報が出揃っています。
なかでも私が興味深いと感じたのは、EUの離脱・残留をめぐって、スコットランドやロンドンでイギリスからの独立を視野にいれた動きが始まったことでした。過去にもスコットランドは独立を求めて国民投票が行われましたが、今回のEU残留を獲得するための独立運動はそれとは違い、「イギリス」という国家単位へのもどかしさから生まれたのではないでしょうか。
こちらのNewsweekの記事でも、ロンドンが一国二制度のもとで半独立することを書いています。つまり、イギリスという単位に所属しながらも、ある分野だけはEUという「機能」を求める主張です。さきほどのモジュールスマホに似た構造を観察することができないでしょうか。
国家はスマホとは違うのか。
当たり前ですが、スマホを選ぶように国家を選ぶというのは失笑を買うでしょう(笑)。しかし、これは可能性の話、選択肢として検討できるかというお話です。想像力を豊かに使って考えてみましょう。
そもそも、どうして私達はひとつの国家として、まとまらなければいけないのでしょうか。
私はこれがイギリスでの事件が投げかける本質的な問いだと思います。どうしてイギリスはひとつのイギリスでなくてはいけないのか。ロンドンやスコットランドがひとつのまち単位でEUに加盟してもいいのではないか。これと同じ問いかけを日本にもなげかけるべきではないでしょうか。
どうして、ひとつの日本でないといけないのか。
教育、年金、税制度。その他色々な政策的事柄を国家単位で考える時代は限界なのかもしれません。イギリスはEUという大きな単位に反発して、国民投票を始めたものの、結果的に自国の分裂を想像させる結果を残しました。
日本のことを考えてみましょう。
スマートホンを例に考えてみてください。様々な人がいます。iPhoneやXperia、Nexusなど「用意された部品のパッケージ」としてのスマホを使いたい人もいれば、カメラだけ、電池だけ、背面ディスプレイだけ、と自分にあった部品を選択したい人もいます。
まち単位で、こういうことを選べるべきだと思いませんか。いかがでしょう。「日本」という単位でやった方が安全だし、効率のいいこともあります(軍事や社会保障など)。けれど、iPhoneのディスプレイを一度壊してしまうとスマホまるごと修理しなくてはならないように、国をまるごと改革するにはとても力がいります。
でも、私達はそれをどうやってやったらいいのでしょう?
民主主義は限界なのか。
国民投票を行って1週間たつまでに、国民投票に反発する動きが生まれたイギリスは、あきらかに国家単位のデモクラシーに失敗してしまいました。
一方、日本はどうでしょう?
選挙の度に、政治家に呆れ、「なんとかならないものか」と考える人もいれば、「こうすれば次の選挙で負けはしないだろう」と考える人もいるかもしれません。私達は選挙の度に民主主義を諦めているような気持ちがします。
けれど、モジュール的に「わたしたちのまちはこういう制度にしたい!」「教育はこうしたい、社会保障はこうしよう」と考えるときに、民主主義にのっとった話し合い以外に方法はありません。
望むからには、話し合いに参加する責任があります。
限界だったのは民主主義でなく、私達の覚悟かもしれない。
選挙で選ぶ議会民主主義でなく、国民投票の政治を選ぶか。それは本質的ではないでしょう。なぜなら、その問いかけさえも私達は民主主義(みんなでの話し合い)で決断しないといけません。
重要なのは、みんなで話し合うというときに、どこまでを指して「みんな」とするのか、何をもって「決まった」とするのか。モジュール的に日本を再構成しようとするなら、そのレベルから考え直さないといけません。
これまで曖昧にしていたその部分を見つめ直すことから、モジュール型国家への道は始まります。どこからどこまでが「ひとつのイギリスなのか」、何がいい決め方なのか、イギリスはこのレベルで問い直さざるを得なくなっているのです。
イギリスで起きたことは遠い海の向こうのことでしょうか。私には民主主義国家である日本にも重要な時代が訪れることを投げかけているように思います。
