そうか、庭に違いがあったのか。日本とアメリカで育った自分のアイデンティティを「建築」から考え直した

日本の家は、中と外の境界があいまいだった
Kazuhiko Kuze

7月3日午前3時。テレビの前で試合が始まるのを待機。もちろん、日本のサムライブルーを応援するためだ。そう、2018年サッカーのロシアワールドカップ、ベルギー戦が始まろうとしていた。

こんなとき、「あー、自分は日本人なんだな」と再確認する。生まれてからこの22年、私はアメリカと日本の両国を行き来しながら育ち、ちょうど今年、それぞれの国に11年ずつ住む節目を迎えた。

日本人の両親のもとに、アメリカで生まれた私にとって、「日本人らしさとは何なのか」という問いかけは常に頭の中を支配している。逆も然り。「アメリカ人らしさとは何なのか」という問題もグルグル頭をめぐる。自分のアイデンティティを確立させるのには苦労したものだ。

今でこそ、日本人・アメリカ人というレッテルに縛られる必要はないんだな、と「自分は自分」という答えに落ち着いてはいるが、やはり時々この問題は頭を駆け抜ける。

森美術館入り口
森美術館入り口
Erika Wakabayashi

■ 建築を通して見えた、自分の中の「日本人らしさ」

そんな私の問いに対するヒントをたくさん与えてくれたのが、先日参加した森美術館で開催中の「建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの」を鑑賞するイベント『朝からアートさんぽする時間』だった。

22年の間、実際に家族4人で暮らしたのは4つの家だった。でもその他にも、父の単身赴任先だったカタールの家、祖父母の家、友達の家、旅行で泊った宿など、たくさんの建物で衣食住を営んできた。それぞれが思い出深いものだ。

そして、引っ越しが多かったせいか、色々な建物を見るということに昔から興味があった。とは言え、建築の勉強をしたこともなければ、正直建築についてほとんど知識がない。それでも、『朝からアートさんぽする時間』に参加した結果、不思議なことが起きた。今まで自分の中にあった「日本人らしさ」というフワフワしたものが、「建築」を通して見えたのだ。

平日の朝はいつもだったら通勤の時間。もしくは既にデスクに座って何か着手している時間。学生だった頃は、授業やインターンがなければ寝ていたであろう時間。学生も、講義やインターンがなければ寝ているかもしれない。そんな「普段」とは違って、この日は自分の中では「ちょっとオシャレであまり行く機会のない場所」というカテゴリーに入る六本木へと向かった。人は(少なくとも自分は)何かちょっとしたきっかけがないと「普段」とは違った行動を取らない習性を持っているんだな、と改めて思いながら。

この展覧会の面白いところは、一人の建築や一つの建築手法などにテーマが絞られていない点だ。つまり、私のような素人でも、見やすい。わかりやすい。さらに、今回は森美術館でキュレーターを務める徳山拓一さんとハフポスト日本版の竹下編集長による、対談形式の音声案内付きで展示を回ることができた。

Kazuhiko Kuze

■ 日本建築の「遺伝子」に、私の求めていた答えがあった

普段は全然関係のない分野でお仕事されているという参加者の1人、米山さんもイベント後、「そういうものだと思っていなくても、言われてみると気づくことがたくさんあって面白かった」とコメントして下さった。そう、無意識なうちに私たちの生活に繋がるような発見がたくさんあったのだ。

貴重な建築資料や模型から体験型インスタレーションまで100プロジェクトを、400点を超える展示資料で紹介するもので、日本建築の「遺伝子」がどのようなもので、どのように受け継がれてきたのかが、9つのセクションで説明されている。ここでいう「遺伝子」が、まさに私の求めていた日本人としての「アイデンティティ」の答えのように思えた。

例えば、日本には古くから外の文化が流れ込み、様々な場面で折衷が行われてきた。言い換えれば、「既存のモノを新しく生み変えることのできる遺伝子」があるとされている。

日本の建築では、これは見よう見まねで西洋建築を真似し、自分たちの建築に取り入れた擬洋風建築という技法に現れているらしい。そういえば、高校の修学旅行で行った北海道・函館市ではたくさんの和洋折衷式住宅を見たのを思い出す。

それに確かに、日本人はインドカレーを独自のテイストに変えてカレーライスという家庭料理を作り出した。中華そばをラーメンとしてローカライズさせた。まるで輪廻のように、何かの魂を受け継ぎながらも、それを新しい形として生み出す。日本人にはそんな「遺伝子」があるのか。

その昔食べた札幌ラーメン
その昔食べた札幌ラーメン
ERIKA WAKABAYASHI

他の場面でもこの、「古いものにインスパイアされて新しいものを作り出す遺伝子」が見られる。例えば、東京スカイツリーの構造は、五重塔から着想を得ているそうだ。私は知らなかったが、もともと、五重塔は倒壊が少ないことで有名らしい。それは、ちょっとした偶然が生み出した特徴なんだとか。

五重塔とは本来、上の相輪(重い金属部分)を高く持ち上げることで、仏像などを祀ることが役割となっている。その結果、重い物を支えるために、心柱が作られた。そして、柱と屋根の間にできる隙間から雨水などが入るのを防ぐために、心柱を下から短くする必要があったのだが、それは相当面倒臭かったことが想像できる。

ということで、いちいち数年ごとに柱を短くするという作業をしなくても済むために、当時の職人は柱を浮かせることを考えついた。これが偶然にも、制振性があることが後年になって発見されたと徳山さんは説明する。この特徴を活かし、応用したのが東京スカイツリーだそうだ。スカイツリーも五重塔同様、心柱が下まで通らず、少し浮かした構造をしている。

Erika Wakabayashi
ERIKA WAKABAYASHI

■ 日本の家は、中と外の境界があいまいだった

もう一つの「なるほど」モーメントは、日本人がいかに内と外を完全には隔てない、「自然と共存する遺伝子」を持っているという説明を聞いた時だった。特に芝棟(しばむね)の話は非常に興味深かった。芝棟とは、植物が植えてある草ぶき屋根の棟のこと。

これは、ただ外見を華やかにするだけでなく、植物の根っこが屋根を補強する役割をしてくれるそうだ。まさに、自然の恩恵を巧みに利用している。自然の力には感謝しなくては、と改めて思う。また、今まで自分の暮らしてきた家を思い返すと、同じことが言えるな、と感じた。

例えばアメリカの家では、庭は「外」にできていた。何言ってるんだ、庭は外にあって当たり前だ、と思われるかもしれない。確かに庭は外にあるものだが、日本の家ーー例えば父の実家富山の昔ながらの日本家屋ーーに比べると、中と外が明確だった。家は家。外は外。

それに対し、日本の家では縁側があり、家の延長線として庭が作られていた。どこからが外で、どこからが家なのか、その境界線ははっきりしていなく、家が自然を囲むような作りになっていた。

この発見は個人的に、とても嬉しいものだった。日本はしばしば、島国で、中と外の者の区別がハッキリしていると言われる。そうした「部外者」・「異端者」に対する差別は、間違いなく存在はしている。しかし、それは私たちの「遺伝子」に反することなんだと思うと、なんだかホッとする。

建築を通じて感じ取った、アイデンティティを再発見する「アタラシイ時間」。

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