嘉悦朗氏(後編)~横浜F・マリノスをビッグクラブにするために改革は第2段階へ~

横浜F・マリノスの再生に向けて新社長となった嘉悦朗氏が立ち上げたのは、日産の再生を支えたのと同じ「CFT(クロスファンクショナルチーム)」でした。

横浜F・マリノス(以下、マリノス)の再生に向けて新社長となった嘉悦朗氏が立ち上げたのは、日産の再生を支えたのと同じ「CFT(クロスファンクショナルチーム)」でした。現場から生まれたたくさんのアイデアを着実に実行することで、マリノスは再生への道を歩み始めることになりました。後編ではマリノス再生のための具体的な活動に加え、ビッグクラブを目指すマリノスの新戦略についてお話をお聞きしました。

嘉悦 朗(かえつ あきら)氏

横浜マリノス株式会社 代表取締役社長

CFTから生まれた55のアイデアがマリノスを変えた

-前回は「ホームタウン活動」「プロモーション活動」「ホスピタリティ活動」の3つのCFTを立ち上げたことまでをお聞きしましたが、そこからはどんなアイデアが生まれたのでしょうか。

嘉悦:CFTには約2ヶ月の活動期間を設けましたが、3つのCFTから合計55個の本当に面白いアイデアが出てきました。正直、これには驚きました。こんなに短い時間で、これだけの画期的なアイデアが出て来るというのは、想定を超えていました。恐らく社員の多くは、こうすればもっとお客さんが増えるのに、と密かに温めていたアイデアを持っていたのだと思います。ただ、自分はチケット担当ではないし、そのアイデアを提案する機会もなかった。それがCFTという場を与えられ、ワイワイ議論するうちにお互いが触発されて、斬新なアイデアが次々と生まれたのだと思います。

まず「ホームタウン活動」についてですが、これまでもマリノスは年間900回以上、地域貢献活動を行っていました。例えば1年に250以上の小学校を訪問し、サッカーの授業を1時間行って、昼休みには給食を一緒に食べながら食育を行う。そのほかにもさまざまなところに出向き、4万人を超える市民の皆さんと触れ合う活動を行っていました。

しかし、横浜市の人口は370万人です。もう1つのホームタウンである横須賀市と合計すると、400万人を超える巨大な都市で、1年に4万人程度の活動では、すべての人と触れ合うには100年かかることになります。これでは親近感も好意度もなかなか向上しません。

そこで、より効率の良い活動にするために、従来の市内全域を対象とした活動に加えて、日産スタジアムがある横浜市港北区にフォーカスした特別な活動を行うことにしました。というのも、定期的に実施している来場者のサンプリング調査によれば、近くにスタジアムがあるにもかかわらず、1試合の来場者に占める港北区民の皆さんの割合は4%、約1000人に過ぎませんでした。人口30万人を超える地元の港北区から、わずか1000人ですよ。これはショックでした。

-近くにスタジアムがあるのにもったいないですね。

嘉悦:そこで、港北区の皆さんにもっとマリノスを身近に感じてもらおうというコンセプトから、港北区にある25の公立小学校に、トップチームの選手を2名ずつ派遣し、さらに児童全員に選手の名前と顔写真が入った下敷きやクリアファイルを配るというアイデアが出て来ました。中村俊輔選手や中澤佑二選手といったスター選手が直接サッカーを教え、子供たちのランドセルにはマリノスの下敷きが入っている。そうなれば、マリノスに対する親近感は格段に上がります。

結果として、4%に過ぎなかった来場率が、今は10~15%にまで増えて来ました。ただし、本当の成果が出るのは、この子供たちが、自分のお金でチケットを買い、仲間や家族と一緒にスタジアムに駆けつける10年、20年後だろうと考えています。その時は、港北区だけで数万人の来場というのも夢ではないと思います。

-短期的な成果を求めるだけでなく、長期的な視点での底上げも考えてのことだったのですね。

嘉悦:「プロモーション活動」ではこれまで市内にある多くのエンターテイメントをライバルとしか見ていなかった発想を根底からくつがえし、積極的にコラボするようになりました。

例えば、横浜にはプロ野球の横浜DeNAベイスターズがありますが、マリノスの中村俊輔選手とベイスターズの三浦大輔選手が一緒にポスターに映っていれば、両方のファンが目に留めます。マリノス単独のポスターでは元々マリノスに興味がある既存のファンしか関心を持たない可能性が高いため、新規の広がりは期待できませんでしたが、このひと工夫によって告知効果が格段に改善されました。

また劇団四季の「キャッツ」の公演中は、舞台に出る俳優さんが、あの衣装のままスタジアムに駆けつけてくれました。「キャッツ」の告知にもなりますし、キャッツのファンがマリノスの試合に足を運んでくれるきっかけにもなります。他のコラボでは、お互いの半券を提示すればチケットの割り引きをするというキャンペーンも行いました。これにより、まったく新しいファンの獲得につながったと思います。

「ホスピタリティの向上」については、ディズニーランドをベンチマークさせていただきました。実際、ディズニーランドの研修に私も含めて多くのスタッフが参加し、たくさんのことを学びました。サッカーの試合を運営するためには少なくとも700人以上のスタッフが必要ですが、このうち内部の人間はせいぜい100人程度で、ほとんどが警備やボランティア、売店のスタッフなど、外部の方々です。

しかし、みんなが同じ志を持ち、同じおもてなしの精神で動かないと「楽しかった」「また来たい」と思ってもらうのは至難の業です。そのため、全員に「クレドカード」を渡し、試合が始まる4時間前には全員がスタジアムのスクリーンに流れる映像を見て、おもてなしのフィロソフィーを共有しています。これだけで動き方が劇的に変わります。

-超一流ホテル、リッツ・カールトンでも採用されている「クレドカード」ですね。マリノスのクレドカードには、何が書かれているのですか?

嘉悦:3つのキーワードが書かれています。1つ目は「SAFETY」、安全であること。これは言うまでもなく絶対ですね。2つ目が「FAIR PLAY」です。お客さまによって対応が変わるということは、あってはなりません。3つ目は、「TEAM WORK」です。何か聞かれた時に、「私は担当ではないので分かりません」ではなく、お客さまにとっての効率を最優先に考え、メンバー同士で連携を取って迅速に対応するという意識を持つということです。

-こうしたアイデアはすべてCFTから生まれたのですか?

嘉悦:すべて55のアイデアの中から生まれました。それらを実行した結果として、1年で集客16%アップを実現することができました。目標の20%には届きませんでしたが、私にとっても、スタッフにとっても大きな自信、成功体験になりました。

改革というのは一過性の打ち上げ花火になってはいけません。本当に優れた企業体質というのは、自律的に改善や改革が進む状態を言います。つまり、持続性がないとダメなのですが、そのためには最初の改革を成功させることが必須だと考えていました。もしそこで失敗してしまうと次への挑戦意欲が失われますが、成功体験を一回共有すると改革を持続するモチベーションとエネルギーが生まれます。

この成功体験をもとに、2011年以降は新たに6つのCFTを展開し、あらゆる売り上げを劇的に伸ばすことを目指しました。これらのCFTから新たに144の斬新なアイデアが提案され、それを今、地道に実行しているところです。

-これまでのところ順調に成果が出ていますね。

嘉悦:私が社長に就任した2009年と比べると、2013年の入場料収入は約27%増えましたし、スポンサー収入も約12%増えています。グッズの売り上げは80%近くも伸びて、スクール事業は20%以上拡大しました。その結果、2013年度は、改革の目的であった「自力での黒字化」を実現することができました。

一方、チームの成績はどうしても思い通りには行かないもので、今季は特に苦戦していますが、就任した2009年以降は、リーグ戦の順位を10位から8位、5位、4位と着実に上げ続け、2013年は惜しくも最終戦で優勝を逃し、リーグ2位に甘んじましたが、21年振りに天皇杯を獲得しました。これまでのところ、収益も成績もV字回復をしているという手応えを感じています。

横浜F・マリノスを未来に残すことが何よりのミッション。そのためにできることはすべてやる

-今年、プレミアリーグの名門、マンチェスター・シティを傘下に持つシティ・フットボール・グループ(CFG)との提携を発表されました。海外チームとの資本提携を含めた協業というのは、Jリーグで初めてなのはもちろん、プロスポーツでも先進的な試みのようにも見受けられます。これも改革の一環なのでしょうか。

嘉悦:マリノスは、日本では知らない人がいないようなクラブだと思いますが、海外での知名度と言うと、残念ながらまだまだ低いというのが実情だと思います。こうした中でCFGと提携することは、海外での知名度を飛躍的に高め、グローバルな視点からの商機拡大につながると考えました。サッカーの市場として明らかに過当競争、あるいは飽和状態にある日本国内だけでは、ビジネスの成長は不可能です。この提携は、その閉塞状況に風穴を開ける可能性があると思います。

また、純粋なサッカーという視点では、世界最先端のサッカー理論や技術を学ぶことができますし、CFGは世界中にスカウトネットワークを持ち、豊富な選手情報を持っています。これは、従来限られた情報で選手を獲得しなければならなかった状態から、非常に幅広く、しかも精緻な情報に基づく強化ができるようになるということです。また、選手の育成をはじめ、クラブの運営に関するさまざまなノウハウについても学ぶべきことは多いと感じています。

-adidasとのウェアラブルデバイスでの提携も発表されました。新しいことにどんどん取り組まれていますね。

嘉悦:改革の最大の目的は、持続可能な成長を実現することです。Jリーグの理念は素晴らしいし、これまで実現してきたサッカーに関する数々の成果も、本当に素晴らしいと思います。しかし、ビジネスとしての課題は非常に多く、しかも緊急性の高いものも少なくないと感じています。ほとんどのクラブは親会社や地元の企業、行政に支えられているのが実情で、自力で積極的投資を行いながら、少なくともアジアの強豪に君臨できるような体力を持つクラブは皆無です。

1年1年を乗り切るのに汲々としている状況では、アジアや世界で勝てるチームを作ることなどできません。仮にリスクを負ってでもやるか、と思っても、クラブライセンス制度では赤字や債務超過は許されませんから、結局、現実的なやりくりしかできないという構造になっているわけです。敢えて方法を挙げるとすれば、親会社から多額の支援を引き出すことですが、それはフェアではありませんし、そもそもビジネスとしては邪道です。つまり、今のJリーグの構造を前提とする限り、経営としてやるべきこと、やれることは、自力で経営を安定させる基盤を作り、その上に従来の枠組みとは異なるスキームを乗せて、競争優位に立つことだけです。それが持続可能な成長の条件だと思います。

つまり、CFGとの提携もITの活用も、すべては横浜F・マリノスというクラブの持続可能な成長を確実なものにするための手段なのです。もちろん、こうしたサッカーという産業界の閉塞感を打ち破るために、業界そのものの構造改革は絶対に必要ですから、個人としては、たとえドン・キホーテと言われても、Jリーグの改革につながる意見は言い続けますし、同時に1クラブの社長として横浜F・マリノスを成長させるためにできることは何でもやります。プロである以上、世界で戦えるクラブになりたいという理想は持っていますし、その実現に一歩でも近づくためにできることは何でもやろうと思って経営をしています。

-日本からビッグクラブが誕生したら最高ですね。

嘉悦:そうなれるようにがんばります。

-本日はどうもありがとうございました。

(インタビュー=松尾慎司 文=桑原晃弥)

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