2015年10月19日~23日、ドイツ・ボンにおいて、2015年4回目の国連気候変動会議が開催されました。今回のボン会議では、事前に2人の共同議長たちが準備した合意草案への修正をめぐり、やや混乱が発生したところがありました。しかし、結果として見ると、各国の提案が盛り込まれ、WWFの観点から見ても、11月末~12月にフランス・パリで開催予定のCOP21(国連気候変動枠組条約締約国会議第21回会合)における合意に向けて、希望のもてる草案になりました。まだまだ、対立点を多く残した状態の草案であることに加え、交渉のペースが依然として遅いなど、課題は多いですが、COP21へ向けて、なんとか素地を作ることに成功した会議でした。
今回の会議の位置づけ
2015年10月19日~23日、ドイツ・ボンにおいて、2015年4回目の国連気候変動会議が開催されました。
現在、国連では、気候変動(温暖化)に関する、2020年以降の新規かつ包括的な国際枠組みを作るための国際交渉が続けられています。
その枠組みとは、国際的な地球温暖化対策のルール、目標、支援の仕組み等全体を指し、2015年12月に、フランス・パリで開催されるCOP21・COP/MOP11(国連気候変動枠組条約締約国会議第21回会合・京都議定書締約国会議第11回会合)において合意しようとしています。
このため、その枠組みは「2015年合意」や「パリ合意」と呼ばれることもあります。
成立すれば、1997年に京都議定書が採択されて以降、最も重要な気候変動に関する国際合意となるため、国際社会の注目が集まっています。
2011年に南アフリカのダーバンで開催されたCOP17・COP/MOP7での合意に基づき、その交渉の場として、ダーバン・プラットフォーム特別作業部会(ADP)が作られ、通常年1回しかないCOPの場に加えて、年3~4回の会合を開催してきました。
2015年は、今回の会議までに既に3回の会議が開催されています。今回の会議は、そのADPの会合の第2回第11セッションとして開催されるので、ADP2.11と呼ばれます。
今回のボンでの会議は、COP21へ向けて、合意の草案をまとめていけるかどうかが大きな焦点でした。
2015年の交渉は、COP21での最終的な合意文書採択に向けて、少しずつ合意文書の草案の文言を調整する作業が行なわれてきました。
各国の意見を、異なる選択肢という形で論点毎に並記していった文書は、当初は約90ページ近くになっていましたが、今回の会議の前に出されたADPの2人の共同議長による草案の段階では、それが約20ページにまで削られていました。
最終的な合意はCOP21でしかできませんが、それ以前に、各国の対立点を整理し、最終的な駆け引きをするための素地となる文書が必要とされていたのです。
ADP共同議長による新テキストをめぐる攻防
ボンでの交渉は、初日からやや波乱含みのスタートでした。
議長が用意した合意草案に対して、特に途上国グループが大きな不満を持ち、最低限の修正を入れてから交渉を開始することを要求しました。
途上国側からのこの要求は、会議開始前の共同議長と各グループとの事前協議で分かっていたため、(先進国も含め)各国からの最低限の修正要求を取り入れた上で、交渉を開始することになっていました。
しかし、会議初日、それをどのように取り入れるかについて、共同議長と途上国グループの間で事前協議での打ち合わせ内容に理解の違いがあることが明らかになり、それをめぐって、先進国と途上国の間で意見が対立してしまいました。
結果、「どのようにやるのか」という議論で半日を浪費した後、午後に各国が求める「最低限の修正」を取り入れる作業が行なわれました。
この最低限の修正は、「外科手術的な挿入(surgical insertion)」と呼ばれ、あまり大きな変更はしないはずでしたが、その線引きは曖昧で、各国とも結構な数の修正内容を提案していました。
共同議長が用意した新しい合意草案が、この取り入れ作業によってどんどん膨らんで、また交渉が後戻りしてしまうのではないかということが危惧されましたが、翌朝に共同議長と事務局がまとめてきた草案は、危惧されたほど膨らんでおらず(20ページから34ページに)、結果としては各国の意見がきちんと反映された分、交渉の素地としては強固となりました。
その後、交渉は、「スピンオフ・グループ」と呼ばれる分科会で論点毎に続けられました。スピンオフ・グループでの交渉は、残念ながらNGOを含むオブザーバーには非公開となりました。
この「非公開にする」という案は、元々は共同議長による提案でしたが、途上国グループが公開にすることを主張したので、一度は公開に戻る兆しが見えました。
しかし、そこで、日本が公開に反対したことがきっかけで、非公開になってしまいました。
一国でも反対する国がいれば、原則として非公開になる決まりとなっていたためです。
国連気候変動枠組条約の交渉は、NGOを含む市民社会の関与を重視し、交渉が終盤にさしかかるまでは公開にしておくのが通例ですが、まだまだ交渉が詰まっていない段階で非公開にされたことに対して、市民社会の多くから抗議の声が挙がりました。
元々、非公開にするという提案自体は共同議長から出てきたものであり、かつ、あえて意見には出さないまでも、他の先進国の中にも日本の反対を支持する国があったことは確かですが、会議の透明性確保や市民社会の関与を否定する主張であったことは残念です。
その後、伝え聞く情報では、交渉は決して順調に進んでいませんでした。
このため、最終日までに本当に草案をまとめられるかどうかは予断を許さない状況が続いていました。
一部のスピンオフ・グループでは、相変わらず各国の提案をどのように取り入れるのかという手続き論が繰り返され、実質的な文言をめぐる「交渉」そのものが開始できていない状況があることが伝わってきていました。
結局、最終日まで、合意草案らしいものができるのかよくわからない状態が続いていました。「ストックテイキング」と呼ばれる、途中経過報告の臨時総会の場でも、各国から「このペースは遅過ぎる」という焦りにも似た発言が相次いでいました。
しかし、各スピンオフ・グループで議論されていたものが、なんとかそれらしい形でまとめられ、パリへ向けての素地として、全ての国が、(もちろんそれぞれに不満を持ちながらも)納得する形での草案が最終日にまとめられました。
でき上がった草案は、長さとしては、会議前は約20ページだったものが約60ページまで膨らんだものの、論点は当初よりも分かりやすくなった文書になりました。
これが、今後の交渉のベースとなることは、ほぼ全ての国に受入れられ、最後の総会での発言でも、各国が口々に「国々の草案(text owned by Parties)」であると言っていました。
この後、途上国グループの提案で、一部の重複などを整理することを提案するテクニカル・ペーパーと呼ばれる参考資料を、事務局が作ることも決まりました。
また、非公開にされたスピンオフ・グループでの交渉も、各方面から批判があったことを踏まえ、COP21では再びオブザーバーに対しても公開となることが決められました。
個別の争点でも、長期的な温室効果ガス排出量削減目標、国々の責任や能力をどのように目標に反映させるのかという差異化と呼ばれる論点、そして、5年ごとの目標の見直しの仕組みなど、各種重要論点について、意見が出そろった感があります 。
それでも、本来、パリでのCOP21の前に到達しておきたかった水準からみると、交渉のペースはまだまだ遅いと言わざるを得ません。
草案としての完成度も、まだまだ分かり難い箇所多く、不安は残ります。
パリでのCOP21では、日本も含め、各国の間で、合意できる落とし所を積極的に探していく姿勢が必要とされます。