【シリーズ:象牙とアフリカゾウ】象牙をめぐる歴史

なぜ今、アフリカゾウを絶滅の危機に追いやるほどの大きな脅威となってしまったのか。
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Thomas Mukoya / Reuters

1年間におよそ2万頭が密猟で殺されているといわれるアフリカゾウ。密猟の目的は、国境を越え、高値で売買されるその牙、「象牙」です。世界の各地で、歴史的、文化的にも長く利用されて続けてきたはずの象牙が、なぜ今、アフリカゾウを絶滅の危機に追いやるほどの大きな脅威となってしまったのか。象牙とアフリカゾウの保護を考えるこのシリーズ、第2回目は、人と象牙の歴史に焦点を当て、その変化を振り返ります。

象牙利用の歴史の始まり

現存する陸上の野生動物では最大の体躯を持つアフリカゾウ。その牙(象牙)もまた、動物が持つ牙の中では、最大級といって過言ではないでしょう。

この牙はオス・メス共にあり、土や木の根を掘るためなどに使われるほか、オスはメスを巡った戦いにも使います。

象牙を使うのは、ゾウだけではありませんでした。ゾウのほかに、この牙を最も使っている動物、それは人間です。

頑丈でありながら、加工しやすい柔らかさを持ち、白くなめらかで貴重な品だった象牙は、珍重され、古くから人々にその所有欲を駆り立ててきました。

日本においては、奈良時代(8世紀)中期に建立された正倉院宝庫に、象牙をあしらった"紅牙撥鏤尺"(ものさし)をはじめとして、その他にも楽器用の撥(バチ)、刀の鞘など数十点以上が奉納されています。1200年以上前に宝物として扱われていました。

そのため、古代や中世の時代までは、アフリカでは自然死したゾウから採取した牙を利用する、という例が多かったのではないかと考えられています。

当時はまだ強力な銃器もなく、野生の生きたゾウを狩るのは、決して容易なことではなかったからです。

そのため、古代や中世の時代までは、アフリカでは自然死したゾウから採取した牙を利用する、という例が多かったのではないかと考えられています。

アフリカの受難の歴史と共に

アフリカゾウと象牙をめぐる歴史が大きく変わったのは、大航海時代以降の16~18世紀、ヨーロッパ人が世界に進出し始めてからでした。

アフリカにやってきたヨーロッパ人の奴隷商人たちが商品として扱ったのは、人間だけではありませんでした。

その他の、さまざまなアフリカの産品、その中の高価な品の一つに、象牙があったのです。

商人たちはアフリカで手に入れた象牙をアメリカ大陸まで運び、砂糖やコーヒー、タバコ、綿花などと交換し、その利益をヨーロッパへもたらす通商ルートを確立させました。

特にその中心地となったのは、ヨーロッパに近く、大西洋にも面した西アフリカです。

現在西アフリカの海岸線にある、コートジボワールという国名の起源も、元の意味は「象牙の海岸(=アイボリー・コースト)」。この時代、奴隷と象牙の一大取引拠点だった歴史を物語るものです。

さらに、19~20世紀にかけて、イギリスやフランスをはじめとする欧米列強の植民地政策が強化され、欧米人による性能のよい銃を使った狩猟(ハンティング)が、全盛期を迎えるようになると、アフリカゾウもその獲物とされるようになりました。

象牙は、そのハンティングの戦利品として高い価値のあるものとされ、持ち帰ることがステータスとされるようになったのです。

取引されていたと考えられる象牙は、莫大な量にのぼりました。

16~17世紀の200年あまりの間は年間100~200トン、20世紀はじめになると年間800トンもの象牙が取引されていたといわれています。

しかも、そのうち自然死したゾウから採られた牙は1割以下で、残りは全て、殺されたゾウから採られたものと考えられています。

このように重要な交易資源や、激しい狩猟の対象とされるようになったアフリカゾウは、現代に続く歴史の中で、確実な減少の道をたどり始めました。

開かれた保護の道

アジアやアフリカ、ラテンアメリカ地域が、植民地支配下にあった時代、盛んなハンティングの犠牲になった野生動物は、アフリカゾウだけではありませんでした。

そうした中、20世紀後半、野生生物の保護に対する意識が世界各地で高まるようになりました。1961年のWWF設立も、そうした動きの端緒をなすものの一つです。

各国政府もこうした問題への取り組みを開始。

ハンティングを規制または禁止する一方、象牙などの野生生物の過剰な利用を調査し、規制して保護に繋げる取り組みが行なわれるようになりました。

国際社会が実現し、最大の効果をもたらした新たな試みは、「ワシントン条約(絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約)」の成立と発効です。

1975年に発効したこの条約は、野生生物を過度な取引から守ることを目的としたもので、生きた個体はもちろん、牙や骨、毛皮などの動植物に派生する品々の、国境をまたいだ取引も規制の対象としていることが特徴です。

実際、それまではハンティングを法律で禁止しても、それを破って行なわれる「密猟」が後を絶ちませんでした。

しかし、この条約によって違法取引の取り締まりは、大きく進むことになりました。

なぜなら、野生生物の「生息国」だけでなく、取引にかかわる「中継国」や「消費国」も取り締まりの責任を負うことで、野生生物の乱獲や密猟にとっても大きな圧力となり、生息現場の保護活動を支える結果を導いたためです。

とりわけ、象牙について大きな進展があったのは、1989年のワシントン条約締約国会議でした。

この時、IUCN(国際自然保護連合)が報告した「取引されている象牙の4分の3は密猟によるもの」という衝撃的な事実がきっかけとなり、会議に参加していた各国政府の代表は、アフリカゾウの国際取引を全面的に禁止する措置=「附属書Iへの掲載」(※)を採択。

このことにより、20世紀後半には年間10~20万頭が象牙目的で殺されたとも言われていたアフリカゾウを脅かす密猟の脅威は、一時落ち着きを見せたのです。

新たな脅威と保護をめぐる問題

しかし、20世紀が終わるころ、再びアフリカゾウと象牙をめぐる状況が変化し始めました。 背景にあったのは、アフリカとアジアの経済成長。そして、国際社会におけるそうした国々の発言力の強まりです。

特にアジアについては、もともと高価な品で、豊かさのシンボルとされてきた象牙の需要が、特に中国で拡大した結果、象牙の違法取引、そしてそこに象牙を提供するための密猟が増加。

経済的な豊かさを手にしたことによるアジア諸国のゆとりが、再び象牙を求める風潮を強める結果となりました。

密猟の防止や生息地消失の抑止をはじめ、ゾウを守るためには、解決しなくてはならない問題が数多く存在します。

その中で、象牙の取引をいかに規制し、違法行為を取り締まるかは、現在も特に大きな課題の一つであり続けています。

長年にわたり生息地の保全や、密猟を阻止する対策の支援を続けてきたWWFとトラフィックでは、違法取引の調査や法規制の整備、法執行への協力についても、活動に力を入れてきました。

この取引規制のカギとなる「ワシントン条約」を、いかに効果的に機能させ、各国での象牙の違法取引を徹底して取り締まるか。

それは、アフリカという場所から遠く離れた国や地域においても求められ、また成果と結果が期待される取り組みでもあります。

次回は、この「ワシントン条約」における、象牙の取引規制の経緯をたどりながら、今起きている課題について紐解きます。

(※)附属書I掲載:ワシントン条約では、取引の規制のレベルを附属書I、II、IIIと区分している。Iが最も厳しい措置。(次回で詳しく紹介)

●0.0は、発見された死体が全て自然死、1.0は全てが違法な捕殺であったことを表す

●アフリカ全土で密猟が確認されているが、地域ごとに傾向が異なる。

●PIKEは、密猟傾向に関する情報を収集しているMIKEの調査地点で、発見された総死体数に対する違法捕殺の割合を測定している。

出典:CITES-CoP17, Doc.57.6(Rev.1))

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