インターネット選挙運動を機に「中立」をやめませんか

インターネット選挙運動の解禁で、これまでマスメディアに交通整理された選挙情報は一気に「なんでもあり」状態になるでしょう。人格攻撃から誹謗中傷のネガティブキャンペーンが日本の選挙運動の主流になるかもしれません。こんな状況で、批判ばかりの「ああ言った、こう言った」中立報道がなんの役に立つのでしょうか。

「バラック・オバマを再選させよう」(Barack Obama for Re-election)

ニューヨークタイムズが2012年の大統領選挙の「前」に書いた社説です。2008年にも「オバマを大統領に」(Barack Obama for President)と同紙は打ち出しました。

新聞は中立に報道する必要はありません(憲法で報道の自由が保障されている)。選挙報道だって同じです。そもそも中立なんてムリですし、後で触れるように弊害も多いのです。国の許認可制のテレビは放送法で中立・不偏不党を規定されていますが、現実には多くの場合、ムリです。もちろん、偏向報道がいいというわけではなく、公正(fair)な報道がいいにきまっています。

インターネット選挙運動の解禁によって、ネガティブキャンペーン(落選運動)、誹謗中傷から虚偽捏造も含めてありとあらゆる情報がネット上にあふれるでしょう。だからこそ、これを機に「マスメディア」としての新聞社は、根拠ある分析と評価を読者に提示し、公共の利益にかなう、社会問題を解決するに最もふさわしい(もしくは「まし」な)政党・候補者はだれであるのか、そして、必要あれば支持を打ち出す選挙報道に舵を切るときだと思います。これこそ、公正な報道だと思います。

話を冒頭の話題に戻すと、アメリカ(だけではないけれど)の新聞が特定の候補、政党に対して支持を表明することは「ふつう」で、endorsement(支持)といいます。スポーツ選手や芸能人がギャラもらってCMに出てくるのもendorsementというので、特に政治的に使われるわけではありません。

2012年のアメリカ総選挙では、全米発行部数上位100紙のうち、77紙が支持を表明しました(うち、41紙がオバマ支持)。

アメリカの主要紙すべてが支持を表明しているわけではなく、支持を表明したからといって、その候補・政党にべったりの記事ばかりを掲載するわけではありません(そんな新聞やテレビ局もありますけど)。繰り返しになりますが「公正」な報道をすることが大前提です。

日本だけではなく、アメリカのマスメディアも政治・選挙報道では政局と当落予想(競馬報道と揶揄されています)が紙面を占拠してしまうのが現実です。選挙中のアメリカのテレビは(そしてネットも)、人格攻撃のネガティブキャンペーンCMであふれかえります。しかし、高級紙だけではなく地方紙も政策分析と評価、そして、「ふさわしい候補者」であると判断した場合は支持を表明します。分析評価こそが新聞の存在意義だからです。

では、なぜ日本の新聞社は批判ばかりの「中立」に固執しているのでしょうか。「大統領制のアメリカと議院内閣制の日本では政治環境が違う」、「日本の新聞は部数が多いので特定の政党候補を支持するわけにはいかない」「有権者に投票のための判断材料を提供するのが報道機関の役割云々」というのが選挙報道で「中立」を標榜する新聞社の常套句です。

私の体験をもとにした理由は二つあります。一つ目は、人材登用・昇進制度のまずさに起因する人材不足です。

そもそも中立報道は、分析検証などせずに「ああ言った、こう言った」と双方の主張を書いておけばいいことが多く、やっつけ仕事で一丁上りとなりがちです。これが無責任報道につながることが多い。

逆に、新聞社として特定の候補や政党を評価し、支持するには、いい加減な政策分析ではむりです。支持されなかった候補や読者から、分析の誤りを証明されては形無しですから。ところが、現場の記者は政局ばかりを追いかけ、編集委員や論説委員にしても評論はできても政策分析のできる人は少ない。なにより評価もされない、記事を書けるポジションから追い払われてしまう傾向があるのが、日本の新聞社の実情です。

別の理由は、新聞社の価値観、体質です。批判していれば「かっこいい」と信じていることです。ネット上では、マスメディアは政治、政権の批判などできないという言説(例えばマスゴミ論)が多いけれど、それは事実誤認ともいえます。

(表現は古いけど)「床屋政談」がそうであるように、そしてネット時代、政治家や権力者に対して批判ぐらい誰だってできる。2ちゃんねるを見てみてください。批判ばかりするのが権力の監視ではないのです。

インターネット選挙運動の解禁で、これまでマスメディアに交通整理された選挙情報は一気に「なんでもあり」状態になるでしょう。人格攻撃から誹謗中傷のネガティブキャンペーンが日本の選挙運動の主流になるかもしれません。こんな状況で、批判ばかりの「ああ言った、こう言った」中立報道がなんの役に立つのでしょうか。

だからこそ、公共の利益に立脚した政策分析と評価に基づき、立ち位置をはっきりとさせる公正な報道が必要だと思います。そうすることこそ、ネット選挙運動時代に新聞が「有権者に投票のための判断材料を提供する」ことになるはずです。

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