パリ会合(COP21)で目指されるべき国際枠組みとは?

今年(2015年)末にパリで開催される気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP21)で合意が目指されている国際枠組みについて書かせていただきます。

このサイトに関心を持たれている方のほとんどは、気候変動問題やそれにかかわる国際的な動きをよくご存知の方でしょうから、基本的な「いろは」の話は省略して、今年(2015年)末にパリで開催される気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP21)で合意が目指されている国際枠組みについて書かせていただきます。

2月上旬にジュネーブで開催された交渉会議の最終日に交渉テキストがまとまり、今後、半年余りをかけて、最終的な合意文書に仕上げていくことになります。「京都議定書に代わる新しい国際枠組み」を目指したのは今回が初めてではありません。2009年のコペンハーゲン会合(COP15)では、2020年目標を含めたなんらかの枠組みに合意することが目指されていましたが、その草案となっていたペーパーは、同会合初日の段階でもまだ100ページを超えたままで、ペーパーがそのまま何らかの法的文書になりえる状態ではありませんでした。20数カ国の首脳らが膝を突き合わせ、そのエッセンスを政治宣言としてまとめたコペンハーゲン合意も、COPに承認してもらえず、了承される(take note)に留まりました。

今回は、コペンハーゲンの失敗を繰り返したくないと考えている交渉担当者が多いようです。順調とまではいえないまでも、現段階で「交渉テキスト」と題された86ページの文書が出来上がったのは、交渉のペースとしては悪くありません。この文書が最終的にどのような法的ステータスを有するのか - つまり、議定書になるのかCOP決定になるのか - という点は未定ですが、議定書とする場合、その交渉テキストがCOPの6ヶ月前までに周知されていなければならないという規定が気候変動枠組条約17条にあり、この期限より前に開催される最後の交渉会議が2月上旬の会合だったため、この会議で交渉テキストが出来上がったことで、この文書が新しい議定書となる可能性を残したことになります。

「交渉テキスト」の完成はめでたいことですが、中を見てみると、すべての国の主張が反映されるように作られたため、一つの論点に対して数多くのオプションが併記されています。これを一つ一つ整理していくには、大変な労力と交渉力を必要とします。今後、6月、8〜9月、10月、と3回の会合で、中身を整理していくのです。

主な争点だけでもたくさんありますが、とりわけ注目されるのは、やはり排出削減に関する箇所です。

まず、各国が今年3月末をめどに提出することが期待されている約束草案の扱いです。昨年のCOP20決定により、各国の約束草案の妥当性や十分性を議論する機会がCOP21までにもうけることが難しいスケジュールとなりました。きちんとした協議なく、各国が出してきた案をそのまま約束として確定してよいのかという議論が一方であります。他方で、国際協議し草案が不十分だと判断されたところで、一旦国内で確定してしまった目標値を再考することは政治的に難しいだろうという意見もあります。

次に、確定された後の約束の取り扱いにも複数の選択肢が考えられます。確定された約束(目標)達成を義務とする方法は、京都議定書の方法ですが、今回は支持を得られないでしょう。目標達成を目指して対策を実施することを義務とする方法は、気候変動枠組条約の中で、先進国の2000年目標に関してとられた方法ですが、「対策をとっています」と言えれば約束遵守したと解釈されてしまうため、目標達成に向けて真剣に努力する国はほとんど見当たりませんでした。このような過去の反省から、今回は、目標達成に向けた活動の進捗を定期的に近況報告することを義務とする方法が選択されつつあります。

これは、最貧国を含め200近いすべての国の参加を得るために考案されたもので、最大公約数の案と言えます。コペンハーゲン会合を繰り返さないために、合意達成を最重視して交渉している結果、どの国にも容易に受け入れられる内容が選ばれつつあります。日本国内の一部からは、「今回の国際枠組みは日本が実施してきたPDCAサイクルを目指していて、世界がようやく日本のレベル(高いレベルという意味)に追いついた」と歓迎する声が聞かれます。しかし、そうだとすると、最貧国でも受け入れられるようなことしか日本は今までやってこなかったという意味にもなります。

PDCAサイクルがその効果を発揮するためには、いくつかの前提条件が必要となります。一つ目は、取り組む対象(イシュー)が、外部性を持たないという条件です。PDCAサイクルは事業所の改善等に用いられます。一つの事業所がイシューの場合、外部性は問題となりません。事業所内の現状を踏まえ、達成できそうな範囲で目標を設定(Pledge)します。その後実施(Do)し、目標達成の進捗を確認(Check)し、目標が未達なら更なる取り組み(Act)を目指します。当初設定された目標が低かったとしても、あるいは、目標が達成されなかったとしても、社会や次世代に迷惑がかかるわけではありません。ご近所や社会に迷惑をかけている事業所があったら、PDCAサイクルなど回す以前に取り締まりが入るでしょう。

気候変動は、いうまでもなく外部性を有するイシューです。目標の水準が不十分、あるいは目標が達成されないと、結果として気候変動が進み、世界各地で異常気象等による被害が増えると想定されます。「社会の迷惑」以上に、世界的な脅威となるおそれがあるということです。そのため、目標設定の段階で「達成できそうな範囲」と同時に「達成すべき範囲」も考慮して決定する必要があります。

二つ目は、一つ目とも関連しますが、PDCAサイクルには時間的な余裕が必要です。事業所のケースでは、設定された目標が低くても、目標が達成されなくても、事業所の改善により多くの時間を要するという結果で済みます。他方、気候変動は、行動が数年遅れるごとに、対策がより困難になっていく、あるいはより多くの費用を要するようになっていきます。対策が遅れるほど、温暖化影響は深刻になり、より大きな被害を受ける可能性が高まります。

三つ目は、目標設定の際の公平性に関する点です。事業所の例でいえば、規模の違う事業所が近所に複数ある場合です。大企業の事業所が小規模の事業所と同レベルの目標を立てたらどうなるでしょう。小規模の事業所は、大企業でさえ目指さない目標を検討することはないでしょう。目標設定は自主的なものですが、大企業になるほど企業の社会的責任(CSR)を認知し、自発的により高い目標を設定することで、小規模の事業所の参考となり、社会全体がより高い目標に向かうことになります。

気候変動の目標設定でも同様のピアプレッシャー(潜在的な圧力)の存在が不可欠です。今回の交渉では、今までのような「附属書I国(先進国)」「非附属書I国(途上国)」といった2分論は止めようという声が特に先進国から強く出ており、ある程度反映される形で交渉が進んでいます。しかし、それは「先進国と途上国が、同等の責任を負う」ということではありません。単純な2分論はなくなっても、相対的な責任の重さに違いがあることには変わりません。他国より相対的により多くの努力が求められていると自覚する国は、自発的により高い目標を設定することが期待されるのです。

気候変動問題は、上記に示したように、事業所単位の状況とは前提条件が異なるため、PDCAサイクルではうまく対処できない問題です。本来であれば、各国から削減目標案が出揃った後、目標を合計し、目指している地球全体の削減量に到達していない場合は皆で集まって協議し、追加的な削減の可能性を検討しなければなりません。京都議定書の交渉の時にはそのような手続きで目標を確定しました。

しかしながら、今回目指されている新しい枠組みの中で、PDCAサイクルに類似する手続きが中心となることは避けられそうにありません。だからこそ、サイクルがその効果を発揮するための必要条件を満たすよう、その他の制度で補完する必要があります。「外部性」の点に関しては、PDCAサイクルで取り扱う以前のレベルの問題については、別途、他のツールで対処する必要があります。各国の目標達成度合いの確認にとどまらず、実施中の対策についても具体的に報告を受け、必要に応じて、例えば国内の再生可能エネルギーシェアや、自動車の燃費といった観点から、国際基準を積極的に設定していくことが有効です。

「時間的制約」を意識するために、今まで2℃目標などの長期目標が設定されてきました。先般、欧州委員会は、「2050年までに世界の温室効果ガス排出量を2010年レベルより60%削減」という長期目標案をEU加盟国に提案しました。これは、以前より欧州が提示していた「1990年レベルより50%削減」と実質的にはほとんど変わらない目標ですが、このような長期の方向性を予め示しておくことで、短期目標の水準の妥当性をチェックできるようになります。

「公平性」に関しては、一部の国はその国のステータスを自覚し、いち早く目標案を提示しました。もちろんこれらの目標の水準が気候変動の抑制に十分ということではありませんが、経済発展水準が相対的に低い国が参加するためのモチベーションを高めるための第一ステップと位置づけられます。より多くの国が実施していくことで、予想されていたよりも早いスピードで技術が広く普及していけば、技術の価格も安価になり、さらに普及が早まるでしょう。目標を定期的に見直す中で、予定よりもさらなる削減が可能となりそうであれば、目標を更新する。このような正のスパイラルが実現できれば、この制度は成功と呼べるでしょう。

さて、本当に日本は、最貧国でも合意できる最低限度のことしかやってこなかったのでしょうか。そうではないでしょう。日本でPDCAサイクルが評価されるのは、評価されうる前提条件が他の制度等によって整備されているためです。前節で示した1つ目の「外部性」に関しては、国内の排出量を減らすために、さまざまな基準や経済的措置が講じられてきました。3つ目の「公平性」に関しては、多くの日本企業が自発的にCSR活動の一環として温暖化対策を行ってきました。2つ目の「時間的制約」については残念ながら達成できておらず、PDCAサイクルに依存した結末と言えるかもしれません。

日本では、2011年の原発事故以来、エネルギー政策の将来が見通しづらくなりました。エネルギー政策が固まらないと気候変動政策を議論できないという主張は、事故後1、2年の間は理解されました。しかし、今年で4年が経過したことになります。この4年間で、日本の温室効果ガス排出量は増え続けました。原子力発電所の停止は確かに排出増加の主な要因ではありますが、その裏で、他にできるはずのたくさんのことが手つかずだった状態が見えなくなってしまっているように感じられます。例えば、エネルギーの需要側対策や、HFC排出量削減は、エネルギー供給側計画の未定とは無関係に進められることです。また、ポテンシャルの大きい再生可能エネルギーの有効利用よりも石炭火力発電所の新設を優先させているようにみえる近年の動向は、気候変動対策に後ろ向きと指摘されても反論しづらい状況となっています。

エネルギーを賢く使う技術やノウハウ、住まい方、街づくり、交通体系等、多彩なメニューを組み合わせることで、わくわくするような明るい未来図が描けるでしょう。気候変動対策を原子力再稼動問題から一旦切り離してみることで、他の国を一歩リードしてCOP21に臨むこともできる気がします。

※この記事での意見は著者個人のものであり、所属する組織を代表するものではありません。

(2015年3月2日「Energy Democracy」より転載)

Energy Democracy <http://www.energy-democracy.jp> は、左右でもなく市場原理主義でも市場否定でもない「プログレッシブ」を場のエートスとする、創造的で未来志向の言論を積み重ね、新しい時代・新しい社会の知的コモンセンスを積み上げていくメディアです。

人・モノ・カネ・情報のグローバル化や、社会や組織、家族や個人のあり方や思考、価値観など「変化してゆく社会」のなかで、中央集中型から地域分散型へとエネルギーと社会のあり方がパラダイム的に変化する意味を考え、議論し、理解を深め、未来に進んでいくための手がかりとなる論考を、自然エネルギーがもたらす変革を中心に、気候変動対策、原子力政策、電力システム改革、エネルギー効率化など環境エネルギー政策に関する論考など環境・エネルギー・コミュニティを軸に、経済・社会・政治など多角的な視点から、環境エネルギー政策研究所(ISEP)による編集のもと、国内外のプログレッシブジャーナルとも連携しつつ、厳選された国内外の専門家や実務家、ジャーナリストが寄稿します。

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