既存のルールを使わず、国の信頼に傷つける愚 ~オプジーボの光と影(7)

「良い薬」が次々に日本から生み出され、世界中の患者たちを救っていく、そんな未来が待っているなら素晴らしいことです。ただ…

これから続々と出て来るであろう良い薬の恩恵に、果たして私たちはいつまで浴することができるでしょうか。とあるご縁をいただいたことから、ここ数年マズイ流れが進行中なことに気づかされ、そのことをお知らせしたいと思うのですが、その前に、オプジーボ(ニボルマブ)薬価問題への当局の対応は極めて罪が重く、きちんと総括しないと将来祟るであろうことを指摘しておきます。

10月初旬に横浜で開かれた日本癌学会学術総会の「高額医療費時代の次世代がん医療開発」というパネルディスカッションに呼んでいただき、「高額医療費時代に産学連携は必要か」というタイトルで約20分話をしました。この学会には、がんの基礎研究者が多く参加しているそうです。

パネルディスカッション座長の野田哲生・がん研究会研究所所長から事前に受けた説明によると、「そうしないと国から研究費が来ないということもあって、基礎研究者たちは創薬につながる研究を心がけるようになってきているけれど、薬になるかばかり意識すると科学の本質を見失う危険があるし、首尾よく薬につながったとしても、それが高額になり過ぎて患者さんの手に届かないとしたら、自分たちが一体何のために研究しているのか分からなくなってしまう」との問題意識から企画したとのことでした。

自分が医療従事者でも基礎研究者でもないことから、そのような視点で考えたことがありませんでしたけれど、問題意識の存在を知り、その立場から考えてみたことによって、今までと少し違った情景が見えてきました。

皆さんも、国から基礎研究者たちへ、自己満足の科学研究をするのではなく出口を意識した産学連携を推進せよと働きかけられていること、基礎研究者たちが順応しようとしつつも若干の違和感と不安を抱いていること、恐らくご存じなかったことと思います。

この流れの先に、「良い薬」が次々に日本から生み出され、世界中の患者たちを救っていく、そんな未来が待っているなら素晴らしいことです。

ただ私には、そう思えなかったので、癌学会での話も、そんな内容になりました。

既に危険水域

オプジーボが切り開いた地平から、この先、がんに対する「良い薬」が続々と登場してくることは間違いないと考えています。

よって、私が主に危惧するのは、それらの「良い薬」がきちんと患者の元に届くのか、世界中の人が恩恵に浴せるのかの方です。

これから出て来るものについて、我が国はドラッグ・ラグに悩まされるか、高値で売り付けられるかする可能性が高いということは、この連載の3回目(http://lohasmedical.jp/e-backnumber/130/#target/page_no=21)で指摘しました。

ただ、それ以前の問題として、実は今ある薬ですら既に黄信号が点灯しています。

今年になって複数の医療関係者から、化学療法を受ける肺がん患者が、職務には問題のない能力と健康状態なのに、職場で肩たたきに遭ったり、あるいは再就職できなかったりしており、健康保険組合による高額な薬剤費負担が原因になっているようだ、との話を耳にしました。

がん患者の就労を後押ししようという時代の流れに逆行している、ケシカランと皆さん思ったかもしれませんが、会社側がそうするよう追い込まれている理由まで考え始めると、大変深遠な話になります。

前回、英国NICE(国立医療技術評価機構)とメーカーとの間でオプジーボの英国での非小細胞肺がんへの保険償還について交渉が行われていて、償還されるなら、その価格は日本の10分の1程度になりそうだという情報をお伝えしました。その情報を調べて発表した全国保険医団体連合会(保団連)が推定の一つの根拠にしていたのが、1QALY得るために払う費用(ICERと呼びます)の上限を3万ポンド(約390万円)程度に定め、保険償還を推奨するかしないか無慈悲なまでに線引きしてきたNICEの実績です。

原則として自己負担なく医療を受けられる英国の患者からすると、NICEの存在は薬へのアクセスの障害でしかありません。それが社会から支持されているのは、費用対効果を客観的に評価することによって、費用負担者である健康な国民の利益をも代弁しているからと考えられます。

我が国でも、一般国民は薬剤費が青天井で構わないとは考えておらず、その許容するICER上限は650万円程度であるとの調査結果があるようです。これを基準にすると、使い方と効果が現在のまま変わらないとするなら、オプジーボの薬価は5分の1程度まで引き下げないといけないことになります。

ただし我が国には、費用負担者である健康な国民の声を医療価格に反映する仕組みがほとんどなく、費用対効果を考える議論も始まったばかりです。結果、オプジーボの登場以前から、非小細胞肺がんで年間何万人にも行われている標準的な化学療法のICERが、軒並み1000万円を超えてしまっています。つまり、日本にNICEのような組織があったなら、オプジーボが登場する前の段階で既に、大幅な薬価引き下げか保険償還を認めないかの選択を迫られるべき状況になっていたのです。

その選択の機会がなかった結果、「健康な国民」の代表たる健康保険組合や、そこに費用拠出する企業が、患者の肩たたきをしたり雇用しなかったりという形で、実質的に薬剤費の支払い拒否を行っている、と解釈することが可能です。健康な人たちの我慢は限界に近づいているのです。

費用負担者たる健康な人にも納得してもらえるような理論武装をできない限り、高額薬剤の保険償還は、早晩認められなくなることでしょう。

健康な人は何に払う?

国民皆保険制度の根幹は、「困った時はお互い様」の精神で成り立っています。

裏を返すと、健康な人は、自分が困った時にも助けてもらえると信じているから、今すぐ自分にメリットがなくてもお金を払うということになります。この信頼感が失われた時、国民皆保険制度は、その命脈を絶たれます。

また普通の人は、気の毒な患者に代わって自分が困窮してあげようとまでは思わないわけで、払っても構わないと考える金額には、自ずから限度があります。そして、先ほども書いたように、がんの化学療法に関しては、一般国民の誰もが気づかないうちに対効果費用が上限を超えてしまっていて、オプジーボの登場によって、そのことに人々が気づき始めたという現状です。

この不協和な状態を解消するため、オプジーボだけでなく多くの薬や医療行為について診療報酬を下げたり保険から外したりということが必要になるはずなのですが、そこまで乱暴なことは当面不可能とするなら、健康な国民が効果に対して払っても構わないと考える上限を引き上げる、あるいは健康な国民が感じる薬の効果を膨らませる、そんな努力が必要ということになります。

要するに、健康な国民の考え方をガラっと変えられるか否かです。薬剤費を単なるコストと捉えるのではなく、これからも良い薬を手の届く価格で産み出すことに使われる投資だと捉え、現在は健康である将来の患者をも救うことになるのだから、健康な人が払う価値はあるのだと考えてもらうのです。

このような考え方をしてもらえるかどうかの重要なポイントが、「手の届く価格で産み出す」です。良い薬が出て来る可能性は高いけれど、保険に取り込んだら国民皆保険制度が破綻するほど高い、だからお金持ちしか使えない、そんな構図が拡大再生産されていくというのでは、健康な人が高い薬剤費を負担することは正当化されません。

癌学会で野田座長から説明された問題意識に通じるものがあります。

不透明・非合理な日本

薬の価格を下げよという社会の圧力が高まっていることに関して、やはり癌学会のパネルディスカッションで話をした厚生労働省の森和彦大臣官房審議官(医薬担当)は、「開発側のインセンティブが失われてしまうと(中略)またドラッグ・ラグの問題が起きるような、そういう心配もあります。(中略)散々苦労して10年近くかけてドラッグ・ラグ、審査ラグをなくすように血の出るような思いをしてやってきたのが逆行しちゃうというのは勘弁してほしい」と述べました。

たしかに、払う側の論理ばかりが突出して価格に反映されると、ドラッグ・ラグを招いて、「手の届く」が成立しなくなる可能性はあります。

ただし、やはり保団連の調査によれば、オプジーボを除いたとしても、日本の薬価は欧州各国より相当に高いです(http://robust-health.jp/article/images_thumbnail/2016/11/%E3%82%AA%E3%83%97%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%95-585.php)。

欧州各国で、それなりに薬が供給されているのだとしたら、ドラッグ・ラグが起きるのは単純に価格だけが問題ではないことになります。

今ドラッグ・ラグが起きるとしたら、森審議官が強調したように審査当局のせいではなく、メーカーが開発から申請という一連の流れを日本で後回しにするためと考えられます。

日本での臨床試験(開発)が欧米に比べて極めて少ない、つまり後回しにされていることは連載の3回目でも説明しました。もっとメーカーが日本でも開発を行うようにしないと、これから確実にドラッグ・ラグは起きてきます。

では、今後メーカーが日本で積極的に開発しようと考えるだろうかという観点から今回のオプジーボ騒動を眺めると、中央社会保険医療協議会(中医協)とその事務局である厚生労働省がしたことは、極めて罪深く、国益を大きく損ねたと言わざるを得ません。

10月末時点の情勢としては、(1)の段階(2015年12月)で患者数の増大に合わせて薬価を算定し直さなかったことが様々な場で問題視され、それを受けて中医協では後出しルールで最大25%の特例薬価引き下げを行おうとしています。

明らかに起こると予測されたことに対してルールの手当てをしておかず、その結果として年1000億円近く特定メーカーの売上が増えることになったわけで、業務に精通しているはずの当局の人間が誰1人として必要性に気づかなかったというのはいかにも不自然です。知っていて放っておいた理由が何かあるのでないか、裏で何か動いていたものがなかったのかという検証が、いずれ必要でしょう。

ただそこに関しては、必要性に気づかなかったという説明を信じるとしても、もっと不自然なことがあります。

この連載で何度か指摘していますが、実は(2)の段階(2016年2月)で薬価を算定し直すことのできる「用法用量変化再算定」というルールが、特例でも何でもなく存在します。主たる効能効果について用量の変更があった場合、1日あたり薬価を元のものに揃えるというものです。(1)の段階で再算定していない以上、オプジーボの主たる効能効果は悪性黒色腫のままのはずで、だったら(2)で再算定できるはずという理屈になります。それを適用して再算定していれば、引き下げ幅55.6%で米国の希望小売価格並みに納まっていたので、これほどの大騒動は起きなかったと考えられます。

よって今回も、遅ればせながらこのルールを適用するというなら話は分かります。

それなのに、その既存のルールを適用せよとの指摘が中医協委員から出ず、行政の継続性、つまり国の信頼性に傷をつけてまで特別ルールで最大25%の引き下げにしようとするとは、一体どういうことでしょうか。

「専門家」や「有識者」を集めた中医協が、ルールを超越した存在として、ご都合主義でメーカーや医療従事者を振り回す。医療に関して日本は、投資リスクの高い人治の国だと、世界に向けて宣言してしまったようなものです。TPPが始まった後で国益を守れるのか心配されている時に一体何ということをしてくれたのかと思いますし、ドラッグ・ラグを招かないかと心配でなりません。

10月25日の閣議後記者会見で塩崎恭久・厚生労働大臣が「25%というのは今のルールでありますが、それはルール全体ではありませんから、ルール全体をよく見て考えていくということではないでしょうか」と禅問答のような発言をしたそうです。社会の圧力に耐えかねて、用法用量変化再算定を適用する方針になったのかなとも思いますが、さも知恵を絞ったかのように大臣に言わせている場合ではないだろう、と怒りを覚えます。

(2016年11月14日「MRIC by医療ガバナンス学会」より転載)

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