アベノミクスの目的を再考する――異端的論考(1)

グローバル化と技術の飛躍的進歩の融合的進展と少子化・超高齢化・人口減少が並行かつ急速に進行するなかで日本社会が抱える諸課題についての批判的とも、脱中心的ともいえる考察を「異端的論考」として展開していきたい。

昨年5月のハフィントンポストの日本への上陸に合わせて開始した連載『グローバル化のもとで日本的ギロンはどこまで有効なのか(日本人は、なぜ議論できないのか)』に代わって、グローバル化と技術の飛躍的進歩の融合的進展と少子化・超高齢化・人口減少が並行かつ急速に進行するなかで日本社会が抱える諸課題についての批判的とも、脱中心的ともいえる考察を「異端的論考」として展開していきたい。メディアも含めて、批判と疑念を排除し、一元的なものの見方に収斂する傾向が非常に強い日本社会に、過激ともいえる異端的視座を提供することで、さざ波を立てられればと思う。

第一回は、アベノミクスの目的についての異端的論考を展開したい。「異次元」というキャッチフレーズによって名を馳せた「アベノミクスの目的は」と問えば、今更アベノミクスの目的もなかろうとおっしゃる読者も多いかと思う。政府やマスコミ的には、大胆な金融政策、機動的な財政出動、民間投資を喚起する成長戦略という3本の矢による日本経済のデフレ脱却、そして、成長軌道への回帰となる。そのシナリオは、異次元の金融緩和によるデフレ基調からインフレ期待への転換による株高と誘導的円安による企業の好決算(むろん、円建て)と輸出競争力の強化による日本経済の復活による恒常的な賃金上昇という好循環の実現を目指すが、日本経済の成長軌道への回帰にとって非常に重要な3本目の矢である成長戦略の実行と結果には時間がかかるので、2本目の機動的財政出動という名の財政赤字を悪化させる大規模な公共投資の推進は妥当かつ正当であると言っているわけである。非常にうまくできたシナリオで、流石に優秀な霞が関の官僚が描いた論法である。

しかし、すでに指摘されていることだが、3本目の矢は、結果がでるまでに時間がかかる云々以前に、その内実が疑わしい。金融機関になにがなんでも融資しろという政策金利のマイナス化以外は、特区以外にアイディアのない岩盤規制改革、高度経済成長期を引き合いに出す「全員参加の成長戦略」など、威勢が良いだけの掛け声やわけのわからないものが多く、「何が何でもインフレ優先」の金融政策と「土建国家再来」の公共投資に比べると内実はほとんどない。

そもそも、統計が示すとおり、GDPに占める輸出の割合は15%程度であり、すでに多くの企業が製造工程を海外に移転しており、新興国の現地市場のニーズに合致した製品の素早い提供が一層求められることを考えると、現地開発・生産化の流れが反転すると考えることは難しく、円安にしても輸出は増えない構造になっているのである。そして、今年度は、昨年度のように2割以上という急激な円安を引き起こすことは難しいであろうし、そもそもそうなったら逆に危険であろう。また、円安による輸入原料のコスト増と海外市場での値下げの圧力もあるので、今年度の日本企業の業績が昨年度並みに好調であるとは思えない。マスコミと政治家のように日本企業復活と好業績に浮かれるよりは、むしろ、日本企業の好業績は、外的要因による一過性のものと考える方が現実的であろう。

それにもかかわらず、政治家が、マスコミを動員して、庶民感情という名の世論を形成し、企業に賃金の引き上げを迫るのは、グローバル化した自由経済システムの中においては、かなり奇異に映る。賃上げをしない企業は明らかに悪者扱いである。甘利経済再生担当大臣の「利益があがっているのに何もしないのであれば、経済の好循環に非協力ということで、経済産業省から何らかの対応がある」という、あたかも賃上げをしない企業にはペナルティだとする発言などはあいた口が塞がらない。その一方で、海外からの積極的投資の必要性を声高に言ってのける政治家の神経を疑うのは、筆者だけであろうか。

そもそも、長期サイドからみれば、日本の持続的な経済成長は難しいのは、経済学の基礎を知っていればわかるはずなのだが、なぜ、政治家と官僚が必死に成長という張り子の虎を維持したがるのか。それには、わけがあるのではないか。

アベノミクスが、これまでに達成したのは、デフレ傾向からインフレ傾向への転換、株価の上昇、今年の春闘での大企業を中心にした賃上げである。つまり、「実質GDPではなく名目GDPの成長(物価の上昇)」、「平均賃金の上昇」、「株価の上昇による含み益の増加、言い換えれば資産運用率の向上」の3つである。

ところで、読者諸兄は、財政検証という言葉を聞いたことがおありだろうか。財政検証とは、保険料水準の固定方式を前提に、社会や経済の動向変化に伴う様々な要素を踏まえて公的年金制度(国民年金および厚生年金)の財政状況を検証し、少なくとも5年に1度、「財政の現況及び見通し」を作成することをいう。これは、2004年の年金制度改正により導入された厚生労働省が行う作業である。要は、「財政検証」とは、公的年金財政の健全性を検証(将来にわたる年金財政の維持可能性を確認)することを目的とした5年に1度の公的年金財政の健康診断といえるものである。2004年とは、自公連立政権が『年金100年安心プラン』を提示した年でもある。これは、急速な少子超高齢化を迎える中で国民の間での公的年金制度への信頼が揺らいできたことを示しており、5年に一度は、公的年金財政の健全性を確認し、公的年金は100年安心であることを国民に示すことが重大な政治的アジェンダとなったと言える。

政治的アジェンダとなった財政検証を行う上での前提条件は、

 ・将来推計人口(少子高齢化の状況)の前提

 ・労働力率の前提

 ・経済の前提

 ・その他の前提(国庫負担ほか)

の4項目であり、経済以外の3項目は、予測という名のもとに恣意的に前提を置くことが難しい。比べると経済の前提をどうするかの自由度は高い。経済の前提とは、具体的には物価上昇率、賃金上昇率、運用利回りの3項目である。

前回の財政検証は、2009年に行われたのだが、デフレ基調と成長停滞の真っただ中にあるにもかかわらず、長期経済の予測の中位ケースで、物価上昇率を1.0%、賃金上昇率を名目2.5%、実質(対物価)で1.5%、運用利回りを名目4.1%、実質(対物価)で3.1%という前提を置いたのである。どの数値も、現実とはかい離した数値であり、多方面からの疑義と批判を呼ぶこととなった。逆の言い方をすれば、このような数値を経済の前提に置かないと公的年金の健全性を示せなかったと言えるのである。2009年の財政検証の詳細に興味のある読者のために、下記の厚生労働省のURLをあげておく。

実は、今年2014年は、財政検証の年であり、現在財政検証はその作業の真っただ中にある。流石の厚生労働省も、2009年の時のように再び非現実的な経済前提を置くことはできないと考えていたであろう。そこに舞い降りたのが天恵アベノミクスである。アベノミクスがこれまでに達成した「実質GDPではなく名目GDPの成長(物価の上昇)」、「平均賃金の上昇」、「株価の上昇による含み益の増加、言い換えれば資産運用率の向上」の3つは、奇しくも、財政検証の経済前提の物価上昇率、賃金上昇率、運用利回りという3項目と一致するのである。そして、ご存じのように、この3つの成果の先への道筋に関しては、「異次元」発言を連発していた時の勢いを失っており、安倍総理大臣の国家主義への盲信・猛進の陰に隠れて、うやむやになりつつある。国家主義への猛進は、現在の社会保障制度が悪化させる世代間格差の拡大に対する現役世代の不満の矛先を変える絶好のプロパガンダであろう。この一連流れを、偶然とみるか、何らかの政治的恣意、つまり、永田町と霞が関のシナリオ(安倍総理大臣自身がこのシナリオを理解しているとは思はないが)ととらえるかの判断は読者諸兄にお任せする。

いずれにしても、今回の財政検証が、日本の公的年金は胸をはれる100年安心の制度であるとバラ色の報告書となることは間違いないであろう。むしろ、バラ色になりすぎて、厚生労働省の担当者は戸惑っているかもしれない。しかし、今回の政治的アジェンダとしての財政検証を無事に乗り切って安堵する官僚と政治家の思惑とは裏腹に、今回の財政検証の結果がどうであれ、日本国民が直面する年金制度の非常に厳しい未来には変わりはないのである。

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