異端的論考30:大坂なおみ選手の快挙と日本の国籍法

二重国籍という観点からの大坂選手の勝利の意味合い

今回の全米オープンテニスの女子決勝は、男性主審とセリーナ選手との間でのジェンダー問題が表に出てしまうという大坂なおみ/Naomi Osaka選手にとっては不幸な試合であったが、大坂選手の全米制覇は間違いなく偉業である。大きな拍手を送りたい。

一躍脚光を浴びた大坂選手だが、彼女がアフロアメリカンを父に持つハーフであるが故に、長崎代表でミスユニバースの日本代表となった宮本エリアナさんの時と同様に、彼女は日本人ではないというジェンダーバイアス丸出しの意見(アフロアフリカンとのハーフが日本人でないというなら、オコエ瑠偉、サニブラウン・アブデル・ハキーム、ケンブリッジ・飛鳥・アントニオを公然と日本人でないと言うべきだが、宮本エリアナの時に比べると、そのような声は寡聞にしてあまりきかない)で盛り上がったように見える。

確かに、今回の大坂選手も宮本エリアナさんの時と似た状況ではあるが、宮本エリアナさんの時よりも、彼女は日本人だという擁護のギロンも多い印象である。その背景が、日本人もバカではないので世界的な議論の流れから学習したのか、はてまた日本人初の全米オープン優勝と言う快挙を強調したかったのかは、定かではないのだが。

大坂選手が日本人かどうかの議論であるが、国籍として大坂選手は明白に日本人である。大坂選手は、父親はハイチ系アメリカ人、母親が日本人であり二重国籍であるので、現在、国籍上の日本人でもアメリカ人でもあると言える。彼女は、テニス登録で日本国籍を使用している。確かに、3歳で渡米して以来、アメリカで長く暮らし、テニスのトレーニングを受け、日本語も母国とは言えないのも明白であるが、レベルが高く、競争の激しいアメリカテニス界を熟知しているので、あえてアメリカ籍ではなく、伊達・杉山以来実績のない日本女子シングルス界での自分の優位を念頭に日本籍を使ったのであろう。その戦略は成功したと言えよう。日清食品(所属契約)を筆頭に日本企業3社がスポンサーについている。優勝後は、早速、ニッサンがニッサンブランドアンバサダーに高額で採用した。

全米オープン制覇という偉業であるのはもちろんのこと、ながらく世界的に話題にのぼらない日本なので、安倍首相御用達の日本のマスコミとしては、ここぞとばかり日本人初の快挙と彼女を大いに持ち上げたいであろう。安倍首相の提灯持ちであるかどうかは置いておいても、今回の優勝を大きく取り上げることは確かに当然であろう。それくらいの偉業である。

ところで、日本人が優勝すると、いつもすぐに祝福する安倍首相からは、「大坂なおみ選手、全米オープンの優勝、おめでとうございます。四大大会で日本選手初のチャンピオン。この困難な時にあって、日本中に、元気と感動をありがとう。」というTwitterのコメントが上がっている(彼女の優勝にかこつけて、このtwitterを首相の顔写真付きでニュース報道するNHK(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180909/k10011620121000.html)を見るに、やはり日本のマスコミの首相へのおもねりは常軌を逸している)が、日本人初の快挙なので、総理官邸に早速招待してもよさそうなものであるが、今のところ、その気配はない。筆者としては、失礼ながら、オリンピックでの競技人口の少ないマイナーなスポーツの金メダルよりも全米オープン優勝の方が断然快挙であると思うのだが。もし、錦織選手が優勝していたらどうであろうか。勘ぐりであるが、やはり、純血がお好みの安倍首相なのでアフロアフリカンで日本語が母語ではない日本人はお気に召さないのかもしれない。

今回の快挙にたいしてのお祭り騒ぎともいえるマスコミの大坂選手の扱いは、バラエティ番組仕立てで、長島一茂氏が指摘している様に、テニスの試合とは関係のない質問をし、まるで芸能人のようで、ネットでの批判も多かったようである。テレビ局は、視聴率さえ取れればよいので、彼女が日本人であるとすることは、かなりご都合主義である可能性が高い。実際、なにがなんでも日本人にしたいのであろうが、日本社会の一般通念の日本人像とはかけ離れた大坂選手に、過度な日本人への同化を求めるのは、アメリカ人でもある大坂選手のことを考えると如何なものであろうか。

失礼だが、仮定として、もし彼女が社会的に反する行為を行ったら、日本のマスコミは、恐らく日本人ではなくアメリカ人というのではないだろうか。

この背後には、「日本国籍を有する日本人」と「日本国籍を有する「ガイジン」」と言う二種類の日本人が存在することを多くの日本人が容認していることがある。「日本国籍を有する「ガイジン」」は、「日本国籍を有する日本人」にとって、自分たちに都合の良いときは「日本人」、都合の悪いときは「ガイジン」になる実に都合の良い存在なのである。

本稿では議論しないが、日本人が「ガイジン」という認識を強固にもち続ける限り、早晩日本人は世界の「ガイジン」になる。いや、国際舞台ですぐに「日本人は特殊・特別だ」といいだす日本人なので、海外では、すでに、なかば世界の「ガイジン」であると思われているといえよう。

ギロンの本題に進みたい。今回の大坂選手の偉業は、期せずして日本社会に国籍と国の魅力という二つの点で大きな課題を提示していると言えるのではないか。

ひとつは、時代遅れとも言われる現在の日本の二重国籍禁止規定の是非である。現在、法務省は二重国籍を原則認めていない。二重国籍を認めていない国は、概ねアジアとアフリカに多く見られるが、世界的には少数派である。OECD加盟国を見ても、二重国籍を禁止する国は少ない。グローバル化が進む中で国境を越えた人の移動が頻繁になり、国際結婚も珍しいことではない中で、二重国籍禁止は、国家の面子などという荒唐無稽な考えは脇において、どのような意味を持つかを再検討する必要があろう。国籍変更ではなく、生まれながらの二重国籍者にとって、どちらかの国籍の選択は、彼らのアイデンティティにかかわる問題であり、選択を強要することが、彼らにとって正しいことなのかを、法務省は真剣に検討する必要がある。

国際結婚で生まれた大坂選手は、現在、出世時からアメリカと日本の国籍を有する二重国籍者である。現在、二重国籍をみとめない日本の国籍法では、彼女は、来年22歳までにアメリカ国籍か日本国籍のどちらかを選択することになる。

実は、この国籍法は罰則がないので、笊法とも言われ、正確な数字はわからない(おそらく法務省も正確には把握できていないのではないか)が、二重国籍者の9割は、22歳を過ぎても二重国籍のままであると言われている。いかにも日本的な建前と本音というダブルスタンダードであるといえばその通りであるのだが、今回の大坂選手の場合は、全米オープン優勝ということで、彼女が二重国籍であることは周知の事実となってしまった。法律なので、流石の法務省も、見過ごすことは難しいのではないであろうか。そうすると、公平を期する観点で、法務省はいままで見てみぬふりをしていたが、厳格に二重国籍解消をせざるを得ないのではないか。つまり、法務大臣からの国籍選択の催告と外国籍の離脱を証明する公式書類提示(http://www.moj.go.jp/MINJI/minji06.html)の厳格化を真剣に行わなければならないのではないか。もし、それができないのであれば、笊法といわれる形骸化した二重国籍禁止事項を国家の面子として維持するか、もしくは、これを機会に二重国籍禁止を見直すかである。筆者は、現実主義なので、二重国籍に賛成であるが、禁止見直しとなると日本では、大きな議論になるのではないか。問題の本質を無視して笊法のまま禁止規定を維持するというのも日本的な落ち着き先であるかもしれないのだが。

当人の帰国インタビューで2020年の東京オリンピックの話が出ていたが、オリンピック憲章規則41(どこかの国・地域の代表となっている場合、別の国・地域の代表にはなれない)に従えば、2017年の国別対抗フェド杯に続いて、今年4月のフェド杯世界グループ2部入れ替え戦の対英国戦に出場しているので、大坂選手は、東京オリンピックにアメリカ代表として出ることはできず、出場するならば日本からとなる。

しかし、残念なことに、来年2019年の秋に22歳を迎える大坂選手は、東京オリンピックの前に国籍選択を迫られることになる。そこで、どちらの国籍を選択するかは興味のあるところである。しかし、安倍首相が国威発揚の場と考える東京オリンピックを控えているので、自民党総裁の再選を果たした安倍首相の高度な政治的判断で、大坂選手の二重国籍問題を法務省がお目こぼしする可能性も否定はできない。

ここに二つ目の課題がある。つまり、日本国籍とは世界の中でどの位の価値があるかである。世界でもっとも多くの国に渡航できるので、偽造パスポートの対象として人気が高いのは事実であろう。しかし、問題は、国内外の有能な二重国籍人材が、国籍選択を迫られたときにどうするかである。彼らの中には、日本国籍を放棄するものもそれなりにいると聞く。果たして、日本国籍は、大坂選手に選ばれる国籍となるのであろうか。

普通に考えれば、全米オープンに優勝した実績、今後のキャリア、生活基盤、母国語などを鑑み、大坂選手が国籍選択を迫られた場合、日本国籍をあえて選択する可能性は高いとは到底言えまい。しかし、オリンピックのメダルもキャリアをつくるうえで、魅力的かもしれない。オリンピック後に放棄したアメリカ国籍を再度取得する可能性もある。その時は、帰化なので、明らかに日本国籍を放棄することになる。いずれにしても、国籍とは個人にとってありがたいものではなく、個人の市場価値を上げるための一つの手段になりつつあると言えるのかもしれない。

いずれにしても、我々は、大坂選手は日本人と浮かれる前に、真剣に二重国籍の問題を考えるべきではないであろうか。

そして、今回の大坂選手の快挙が、「日本国籍を有する「ガイジン」」は、「日本国籍を有する日本人」にとって、彼らは、自分たちに都合の良いときは「日本人」、都合の悪いときは「ガイジン」になるというご都合主義を排し、暗黙の日本人という定型的なイメージを変え、その拡張化と柔軟化、ひいては、「日本国籍を有する日本人」と「日本国籍を有する「ガイジン」」と言う二種類の日本人の垣根がなくなることに繋がることを期待したい。

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