『グローバル化のもとで日本的ギロンはどこまで有効なのか』第9回:閑話(2)『食品虚偽表示』の社会現象化を考える

2013年10月22日に阪急阪神ホテルズが、傘下のホテルなどのレストラン23店舗で、47品目に関してメニューと異なる食品表示を行っていたことを発表し、それを、マスコミは「食材誤表示で8万人が被害」と刺激的に報じた。

2013年10月22日に阪急阪神ホテルズが、傘下のホテルなどのレストラン23店舗で、47品目に関してメニューと異なる食品表示を行っていたことを発表し、それを、マスコミは「食材誤表示で8万人が被害」と刺激的に報じた。その後、この問題は他のホテルにも飛火し、東急ホテルズ、プリンスホテル、小田急リゾーツ、ホテルオークラ、帝国ホテル、リッツカールトン大阪などが、表示と異なる食材を顧客に提供していたことを発表した。この飛火は、ホテルに留まらず、11月5日の高島屋に始まり、有名百貨店(テナントを含む)の食品売り場やレストランにも波及している。阪急・阪神ホテルズでの発覚から2か月近くが経過しているが、マスコミを見ていると、まだまだ出てくる勢いである。まさに、社会現象化している感がある。

これを重く見たお上たる消費者庁は、今回のメニュー誤表示について、現物より著しく優良と消費者に誤解させた場合、景品表示法で禁じられている「優良誤認」に該当する可能性があるとして調査に乗り出し、阪急阪神ホテルズなど3社に年内に措置命令を出す結論に至ったようである。

しかし、阪急阪神ホテルズの問題で、優良誤認による景品表示法違反に当たるケースは、ある専門弁護士によれば、47品目のうち、「霧島ポーク」と「津軽地鶏」の二つくらいのようである。47品目が全て優良誤認にあたるかのように、47品目を列挙した阪急阪神ホテルズのマネジメントの記者会見対応のまずさもあるが、「とりあえず謝る」、つまり、謝まる前に合理的説明をすることを許さないという尊い日本の文化に照らせば、今回の阪急阪神ホテルズの対応もいたしかたないといえる。実際、彼等は、「だますつもりはなかった」として故意の偽装表示は否定している。

問題はマスコミの対応であろう。この程度の法律的知識もなく書きたてるマスコミの行為は、問題視されるべきであろう。マスコミの本来の仕事とは世論を煽ることではなく、世に対して、正しく中立的に報道することにあるべきなのだが、この程度の法律知識すらないマスコミでは、その役割は到底期待できない。もし、十分な法律的知識を持っていて煽ったならば、言語道断であろう。報道の自由を常に主張するマスコミとしては、法律違反と企業倫理の問題を意識的に混同して世論を煽ることに、後ろめたさを感じないのであろうか。

マスコミの不思議は、これに留まらない。実は、今回の阪急阪神ホテルズのメニュー誤表示が発表された約5か月前の5月17日に、東京ディズニーランドが、施設内のレストラン「キャプテンフックス・ギャレー」で、安価な紅ズワイガニを、高級食材の「ズワイガニ」として販売していたことを株式会社オリエンタルランド名で、「東京ディズニーランド○ 一部フードメニューの誤表記に関するお詫び」という文書として報道関係各位あてに発表している。さらに同月の30日には、東京ディズニーリゾートの3つのホテルで、ブラックタイガーを「車エビ」、国産牛を「和牛」、国産鶏を「地鶏」などと偽装表示していたことを発表した。3つのホテルとは「東京ディズニーシー・ホテルミラコスタ」「ディズニーアンバサダーホテル」「東京ディズニーランドホテル」で、事実上はディズニーのホテルと言える。ディズニー側の説明は、阪急阪神ホテルズと同様で、誤表記という「表記に誤りがありました」というものであった。

これまでも食品偽装は、度々話題になっている。しかし、それは、雪印食品であったり、「白い恋人たち」の石屋製菓であったり、ポッカであったり、一企業の産地・種類偽装、賞味期限切れ、防カビ剤は不使用などの虚偽表示であった。東京ディズニーランドの件も一社のちょっとしたメニューの偽装表示であったとも受け取れる。しかし、それは、阪急阪神ホテルズの件と酷似しており、それも、ほんの5か月前である。そうであるのに、これに対するマスコミの対応は、阪急阪神ホテルズと正反対で、一部の新聞とテレビが小さくとりあげたにとどまった。また、阪急・阪神ホテルズの事件の発覚後も、東京ディズニーランドの件を追及した様子はうかがえない。この違いはどこから来るのか、読者諸兄には深く考えてもらいたい。

東京ディズニーランド(TDL)は、アメリカ企業のウォルトディズニーカンパニー(WDC)を背景に持つ企業(TDLを運営するオリエンタルランドは、京成電鉄を筆頭株主とする日本の企業で、WDCとの資本関係はなく、WDCとのライセンス契約のもとでTDLの運営と経営を行っているが、ディズニーの商標権と著作権に関しては、ウォルトディズニージャパンが管理する)らしく、社長による弁明はしていない。

ホテル運営のミリアルリゾートホテルズが、サイトに「一部メニューの使用食材に関するお詫(わ)び」を掲載するという(この掲載記事は7月1日に削除されている)、広報部門の事務的な事実発表のみであった。事後対応も、阪急阪神ホテルズの全額返金ではなく、アメリカの飛行機会社がフライトの大幅遅れの時に出すような一律1000円の返金であったと聞いている。これらは、事実と中立を基本とするアメリカ企業の広報対応としては、普通ではあると思う。要は、日本人としては、外資は進駐軍で例外ということであろう。

一方、阪急阪神ホテルズのケースを良く見てみると、社長が登場し、「だますつもりはなかった」として故意の偽装表示は否定して、「誤表示」と説明したわけであるが、これが、「偽装」を認めずに「誤表示」と言って弁明したとしてマスコミ主導の世論の反発を買い、非難を浴びたわけである。弁明とは、「自らの立場を明らかにするための説明をすることで、相手の、自分への誤解を解くことに重きがある(類語例解辞典より)」ことを意味する。釈明とも捉えられるが、記者発表の時点ではマスコミからの非難はないので、「相手の誤解や非難に対して、自らの立場の正当性を明らかにするための客観的説明をすることで、相手に了解を求めるために行うもの(類語例解辞典より)」である釈明ではなかろう。しかし、正義と弱い者の味方を自認するマスコミは、これを聞いて、弁解≒言い訳(「失敗に対して、それにはやむをえぬ理由があるというような意で、自己を正当化するために説明すること」(類語例解辞典より))ととり、「要は、お前ら謝っていないだろう」、つまり、反省していないのはけしからんと言うキャンペーンを展開したかにみえる。

マスコミを筆頭に世間でも、阪急・阪神ホテルズの使用した「誤表示」という表現を問題視しているが、そもそも、今回の外食業界におけるメニュー表記の問題で、この「誤表示」という表現(正確には、ディズニーは誤表示ではなく、誤表記と言っている)を使ったのは東京ディズニーランドではなかったか。

もし、阪急阪神ホテルズの経営陣が、東京ディズニーランドの件を見て、自社での調査を行った(これは、想像にかたくない)とすれば、それは経営陣の誠実な行為であろう。そして、経営陣が調査の結果を発表しても、東京ディズニーランドのケースと同じ程度の反響であろうと踏んでいたと想像してもおかしくはない。しかし、実際には、同じことを、日本の会社が日本的に発表したら、所謂、地雷を踏んだと言うことであろう。阪急阪神ホテルズの経営陣の誠意は無視されたわけである。もし、阪急阪神ホテルズの経営陣が、東京ディズニーランドの件をみてもそのまま受け流し、自社での調査を行っていなければどうなっていたのであろうか。経営陣の誠意が誠意と受け取られないとは皮肉なものである。

地雷と表現したが、阪急阪神ホテルズの件は、雪印乳業の脱脂粉乳食中毒事件の時にどこか似てはいないか。当時の雪印乳業社長が「そんなこと言ったってねぇ、わたしは寝ていないんだよ!!」と記者に向かって言い、これがマスコミを通して流布し、会社は一挙に世論の指弾を浴び、社長は辞任することとなった。阪急阪神ホテルズの「誤表示」という社長の弁明が、謝罪と反省のない往生際の悪い弁解にとられたのが、雪印乳業の当時の社長の発言にあたるのではないか。これが、同じことをしていた外食業界を震撼とさせ、同業他社の自首出頭の続出という社会現象化の引き金になったのではないか。

この背景にある「とりあえず謝る」という日本文化にも問題があろう。外資系企業はこの範疇には含まれない。東京ディズニーランドは、実は日本企業であるが、対応は極めてアメリカ企業的であり、コウモリとして、うまく、外資の聖域に逃れたと言うべきであろう。高島屋のケースも殆どはテナントの問題であり、本来テナントが対応すべき問題であり、高島屋が前面にでて頭を下げる問題ではなかろう。政治家の任命責任(この場合は大家責任だろうか?)という日本人の好きな論法なのであろうが、実際その責任を取った総理大臣を見たことがないのだが。しかし、よく考えれば、大家ではなく当事者である阪急阪神ホテルズのケースも社長ではなく、レストラン事業担当の役員かレストランの責任者が、まずは、その責任を取るべき問題であろう。こんなことをやっているので、日本の大企業のサラリーマン社長は、普段はどうでもよいが、いざという時に腹を切る「据え物だ」などと言われるわけである。いずれにしても、この「何であれ、まず謝り、収まりがつかなければ社長が辞める」という収拾の仕方は、問題を正しく捉えることを妨げてはいないだろうか。問題の定義は、解決の境界を自動的に決定するとするならば、このような日本的アプローチをとって、今回のメニュー表記/食品表示の問題を解決しようとすることは、消費者にとって、果たして正しい解決をもたらすと言えるのであろうか。

実際、冷静に考えて、マスコミに煽られる消費者が指弾するほど外食産業は、そこまでの悪意の塊なのか。ここまで火をつけられて糾弾されるほど、阪急阪神ホテルズや他の所謂偽装表示のケースは、真っ黒な違法・脱法行為なのだろうか。それは、マスコミさえも、「食材偽装」「メニュー誤表示」「食品偽装表示問題」不適切なメニュー表示などという多くの表現を使うことからして怪しいのではないか。無垢な消費者の信頼を裏切った、「奴ら」有名ホテルや百貨店が悪いという感情論的な正論を掲げるマスコミなのだが、問題はそれほどに単純なのであろうか。

実は、外食メニュー表示には明確な基準がないのが実情である。加工食品に対して生やフレッシュなどの用語を表示することを禁じているJAS(日本農林規格)法は、飲食店のメニューをその対象とはしていない。生やフレッシュなどの用語の使用は、それぞれの事業者の判断次第というのが現状である。飲食店では、顧客に直接説明し、顧客も確認できると言う原則論がこの背景にあると言える。また、メニュー表示について「優良誤認」であるというが、どこまでの表現が問題になるのかは、非常に主観的であり、具体的な基準は示されていないのが現状である。

実際、今回の件は、厳密には企業倫理に反する行為ではあるかも知れないが、外食産業界では、誰も、ルール違反という自覚はなかったのではないか。聞くところによれば、大きいエビ=クルマエビ・タイショウエビ、小さいエビ=シバエビというのが中華料理業界の半ば常識であったようである。今回問題になっているシバエビとバナメイエビ(輸入エビ)、クルマエビとタイショウエビとブラックタイガー(輸入エビ)は、どれもクルマエビ科に属するエビである。正確には、「クルマエビ科のエビ」か「クルマエビ科の何々エビ」と表記すれば問題はなかったのであるが、中華料理業界の常識を考えると、今回の代用を真っ黒な行為というのは難しくはないであろうか。

また、今回のホテルを中心とした食材偽装でホテルが儲けていたと言う非難をきくが本当であろうか。そもそも、食事の満足度は、「誰」と「何(材料と料理人の腕)」を「何処(雰囲気とサービス)」で食べるかで決まるが、顧客にとって、ホテルの場合は、「何処」の占める割合が高いのではないか。ホテルは、そのために箱モノや設備に投資をし、訓練したサービススタッフを厚くしており、そのための投資コストが圧倒的に高い。故に、ホテルはコーヒーにしても高いわけである。そうであるので、ホテルの料理の食材費比率が、通常の飲食業の3割よりも低く、一説には1割程度といわれるのもうなずける。そうであるとするならば、今回のケースで、ホテル側の食材のコスト削減意識が全く働かなかったとは言わないが、ホテルのレストランが大もうけをしたというのは、極めて例外的ではないであろうか。このホテルのコスト構造を理解すれば、自己判断を放棄して、食材が全てで、それもブランドが全てであるブランド妄信を持つ幸福な方々は、そもそもホテルに食事に行くべきではなかろう。また、ホテルでの食事の意味を知る人々にとって、今回のホテルでのメニュー表記の問題は、料理そのものの問題ではなく、ホテルでの食事の満足度全体を上げるためのホテルと顧客との了解事項という大人の理解という側面もあったのかもしれない。

繰り返すが、ホテルでの食事の付加価値は食材なのではない。もしそうであれば、ホテルのレストランやラウンジ、果ては宿泊も信用を失い、今どき閑古鳥が鳴いて、経営危機がささやかれるのではないだろうか。しかし、寡聞にして、そのような話は聞いていない。

また、話題になったレッドキャビアだが、キャビアは、黒いチョウザメの卵が有名であり、世界的にはキャビアの代名詞になっているだけである。ロシア語では、黒い魚卵(イクラー:魚卵のバラ子)がキャビアである。魚の腹子を意味するトルコ語からイタリア語経由で、現在の英仏語のキャビアになったので、欧米では、キャビアは魚卵一般も指す。レッドキャビアは、ロシアではサケ(マスはサケ科に属する)の魚卵(イクラー)を指し、魚卵に馴染みのあまりない欧米ではマス類の魚卵のことを指す。余談だが、ロシア以外では、海産のsalmon(サケ)は馴染みが薄く、淡水産のtrout(マス)という単語を使うだけであるので、同じものと考えてよい。つまり、レッドキャビアは見た目には、日本のイクラということになる。

ここで、問題になったレッドキャビアは、そもそもレッドキャビア添えと言ってだされており、キャビアがメインのキャビアの冷製パスタとは違い、収益上の意味合いが高いとは到底思えない。また、海外の通例どおりにイクラをレッドキャビアと言ってだしても、顧客は「これはイクラだろ」と反応するであろう。それであれば、キャビアは小粒のチョウザメの卵と思っている日本人に、飾りとして、同じ小粒の赤いトビ子をレッドキャビアといって、料理のプレゼンテーションを盛り上げたのだとしたら、それも指弾される行為なのだろうか。また、トビ子とレッドキャビアの価格差をあげつらう人もいるが、レッドキャビアは輸入品でないといけないと言っているのだろうか。しかし、レッドキャビアは、キャビアのように海外で商品名に頻繁に使われているのだろうか。海外の瓶詰は、フランスで言えばマスの卵(英語だと、サケのキャビアとも表記している)といっていることが多くはないか。そもそも、海外でのすしの人気が定着したとはいえ、キャビア程の認知があるとは思えないのだが。もしも、イクラをレッドキャビアと言って出したら虚偽表示なのだろうか。

厳格には企業倫理の逸脱であろうが、メニューの表示をめぐってのお客様の満足度向上のためのグレーゾーンになりそうな工夫をどう判断するかは難しくはないだろうか。率直に言って、メニュー表示の問題はかなり、複雑で、感度が高く、人々の外食の満足度につながる問題であり、簡単に白黒の線引きのできる問題とは言えないのではないか。

ブランドを妄信しつつ、その一方で割安感をもとめる日本の優れた消費者を満足させるための企業努力という側面を現在の論調のように完全に無視して良いのであろうか。そして、その行き着く先は、多くの消費者(一部の潔癖・完全無欠を自認する完璧主義を奉じる消費者や団体は除く)にとって望ましい結果になるのであろうか。

予想通り、この問題に対し政府は11月11日、消費者庁や農林水産省など関係省庁を集めた緊急会議を開催している。食品表示に関するガイドラインを早期に策定し、表示の適正化に向け態勢を強化する方針であると報じられている。1人に評価されるより、誰からも非難されないことがお役所仕事の基本なので、行政主導の表示適正化強化の結果はかなり明白ではないだろうか。恐らくは、現実的にみて非現実的な津波の高さに対応する堤防を作る(そうすれば、行政はことが起こった時に絶対に文句を言われない)のと同じようなケースとなるのではないかと思われる。事実、この流れは加速化し、安倍内閣は消費者庁以外の所轄官庁にも調査・指導の権限を付与して、管理の強化を目論んでいるようである。消費者は、この流れが、自分たちにとって、意図せざる結果を招かないのか、当事者としての結果を良く考える必要はないのであろうか。

このように日本で大騒ぎをしている状況を海外ではどのように見ているのであろうか。1か月ほど前にハフィントンポストジャパンに【日本のメディア報道を疑問視? 海外メディアの姿勢】という記事が掲載されていたのをご記憶の読者も多いのではないか。記事は、ウォール・ストリート・ジャーナル紙からの引用で、「今回の問題について、消費者の健康に影響する深刻な事態は生じておらず、そもそも「味の違いに気づいた人さえもほとんどいない」と報じている。また同紙は別の記事で、この問題に対する日本の報道について、どんなに些細な問題であろうとも、いかなる違反も許さない姿勢のようだ、と評している。」と伝えている。基本的に、悪質なものは法律に照らして罰すればよいし、被害があれば訴訟を起こせばよいと考え、リスクフリー(原理的にこれは不可能だが、これを日本人は安心という)を追求する国民の傾向と国民の不安を解消すると言う美名のもとに、国家(行政)がグレーなものまですべてを管理したがる家父長的な性格をもつことを想定しえないアメリカ人からすれば、極めて奇異な状況であろう。

また、記事にあるように、帝国ホテルに、米国で果実を絞り濃縮はしていないストレート果汁なのだが、それをフレッシュオレンジジュース表記するのは偽装表記と言わせ、ウェスティンホテルの焼きたてパンの表示を「顧客が口にするとき冷たくなっていれば、そのパンは「焼き立て」とみなされない可能性があるため撤回」に追い込むという個人的な見解の相違である主観的判断をも想定しろと言い自己規制を迫る日本のファッショ的空気は健在である。しかし、どちらも当事者は、「フラストレーションを感じる」と言うように違和感を禁じえないと言っている。これこそ、日本的な「私が我々になる」ことで、建前と本音が並立するという状況となる、お決まりの日本的事象であると言える。

記事は最後に、「消費者が落ち着くにはまだまだ時間がかかりそうだと伝えている。一般食材を高級食材と偽って販売したこの問題。過剰ともとれる日本の報道や企業の対応の裏には、世界的に評価の高い「おもてなし」への信頼を失うことへの危機感があるのかもしれない。」と結んでいるが、筆者はそこまでの深い思慮はなく、単なる日本人的な情緒的かつ身体的な反応であると考える。

前述したが、食事の満足度は、「誰」と「何(材料(未加工と加工=食材のブランドとはこれを指す)と料理人の目利きと料理の腕)」を「何処(雰囲気とサービス)」で食べるかできまるのだが、今回の虚偽表示でやり玉に挙げられている旅館「奈良万葉若草の宿三笠」が、3年連続でミシュランガイド関西に掲載されていると言う事実は、全体の満足度が高いことを意味している。今回の問題は、会席料理の一品として提供された「和牛の朴葉(ほおば)焼き」と表示したものが、実は、成型肉(これは、脂肪をいれるインジェクションといって評価すべき技術があり、オーストラリア産の肉だ(牛脂は国産)、冷凍だ、と成型加工肉を侮ってはいけない)であったこと(筆者もこの虚偽表示を積極的に支持するものではないが)である。これをして、グルメのはずの審査員も偽装を見抜けなかったようだと嘲笑する意見もあるが、ミシュランの審査員は、料理を食べて自分の舌で判断をするので、ブランドの能書で評価するわけでなない。批判する人間の方が、じつは、能書のブランドを見て判断するというむなしい、いや幸せなブランド妄信ではないのか。

そもそも、農水産物は、ブランドがつけば、なんでもうまいとは当然言えない。ヴィトンやロレックスとはわけが違うのである。工業製品ではない食材に関しては、同じブランドの中にも、ピンからキリまである。故に和牛のように厳密なランクがある(それも上のグレードしか意味をもたない)のだが、全ての食材にあるわけではない。そこで、調理人の目利きと素材をうまく料理する腕、すなわち技量と言うソフトが意味を持つのである。当然、これは、それなりのコストを意味するのだが、ハード(素材とともに有名シェフもブランドでありハードに近い性格であろう)に金は払うが、ソフトに金を払わない(日本人にとっておもてなしは、無料のサービスであろう)日本人から、技量というソフトでお金を取るのは実に難しく、外食産業の腐心のほどがうかがえる。

また、三笠では、食物アレルギーを申告した客には、アレルギー物質を含む豪州産牛肉を使用している成形肉に替えて伊賀牛を提供していたそうである。マスコミのように、調理現場全体で食材偽装を認識していた可能性を追及するのが普通なのであるが、ブランドを妄信しつつ、その一方で割安感をもとめる矛盾した日本の我儘な消費者を前提に、調理職人としての自負心(素材の目利きと調理後の味と盛り付け)と企業としての事業採算性(供給の量と品質と値段の安定性)の観点から、顧客の総合満足度を考えると、この調理現場の対応を読者はどのように受け取るであろうか。ある意味で、我儘な日本の消費者と外食産業の間での最適化とは言えないのだろうか。事実、海外メディアでも指摘があったが、消費者サイドから、味がブランド品とは違うというクレームは寡聞にして聞いたことがない。

今回の食品虚偽表示の社会現象化の今後の展開を予想するに、政府の規制の行きつくところは、安心と言う名のリスクフリーを目指す、リスクの排除の徹底でしかないのではないか。リスクを排除するために、エビという言う表記では、消費者の信頼を回復するには十分ではないといい、ゼロリスク=安心という非現実的な滅菌社会に粛々と向かっていくのではないか。

極論を言えば、エビではなく、大正エビもブラックタイガーもクルマエビ科であり、クルマエビ科のエビと表示するか実名で表示するかのどちらかになるのではないか。エビチリは、パナメイエビのエビチリになり、ホウレンソウの御通しは、中国産冷凍ホウレンソウのお浸し、えだ豆は、ミネソタ産の冷凍エダマメとなるのではないか。知らないで良いことも知ることになるのであろう。

今回の食品表示の規制(お役所の言語では、調査・指導・管理になるのだろうが)の展開も、東日本大震災を受けて、今後予測される大地震で想定され津波の最高の高さ(理論値であうが)を算出し、確率とコストを度外視した、役人がいざという時に責任を追及されないレベルの堤防を造るという展開と同じ轍を踏むのであろうか。恐らく結果として、消費者は過度の表示厳格化の代償としてささやかな夢を失い、現実を知るのであろう。

そして、今回のメニュー表示偽装の行き着く先は、松平定信の寛政の改革を皮肉った川柳にある「白川の清きに魚のすみかねてもとの濁りの田沼こひしき」の再来になるのではないだろうか。しかし、大きな違いは、今回の引き金を引いたのは、松平定信という為政者ではなく、消費者自身であることであろう。まさに主権在民の大衆民主主義の世の中での出来事である。

伝承であるが、秀吉の軍司であった、黒田如水が徳川家康の参謀であった本多正信に 「天下の民は、いかに治めるべきや」と問い、本多正信が、「四角い枡に味噌を詰め、しゃもじで掬うようにするが、宜しいかと」 と答えたそうである。これと正反対である現在の厳格な単細胞的社会価値観強化の流れは、社会が、寛容度と遊びと善意を失っていくことを意味する。これは、個人情報保護法で自らを縄縛して、国民が不便を感じるケースと同じなのではないか。

伊勢海老もクルマエビも芝エビもブランド(国産)にこだわれば、一層高価になり一般消費者(≒)庶民の口から一層遠のくのであろう。事実、今回の一件で、イセエビの卸売価格は2割ほど上がっている。今は、虚偽表示をしていた業者があわてて買いに走ったことによる高騰であろうが、今後は高値で安定するであろう。国産天然ウナギも取れたとして、うな重で時価(8千円程度)になっている。回転寿司の今後のメニューの書き方も興味深い。結局、ブランドを妄信するのであれば、値段に見合った食材しか食べることができないことを知ることになるのであろう。消費者がB級グルメの強化など、どのように合理化をするのかは不明だが、消費者としては、たとえ、意図せざる結果であっても、今回の騒動の結果を受け入れるかしかない。いずれにしても、ブランドを妄信しつつ、その一方で割安感をもとめる日本の消費者の願いは、成就しないのではなかろうか。

しかし、今回の偽装表示の一件が、食にも感染している、ネコも杓子もブランドという自己判断を放棄した愚かな傾向への警鐘となればよいのではないであろうか。この延長線上に、ブランドとは切り離して、素材の選択は料理人に任せ、消費者が満足して評価するものを作れる技能を適正に評価することにつながれば良いのではないかと思う。シェフが有名であっても、出される料理が必ずしも美味なわけではないので、自分の舌を信じて、食事の全体の雰囲気を楽しむことに価値を見出すことが再考されることになれば良いのではないであろうか。ラベルを見て、まずいボルドーの方が美味なチリワインよりもうまいはずだと思う人とラベルに関係なく自分が美味とおもえるものが良いと言える人とどちらがよいのか考えるべきであろう。

この流れは、食材に関するブランドの意味合いのなさを消費者の間に広めることになる可能性を秘めている。それは、政府や地方自治体の考える地域ブランドを推奨する政策とは一致しないであろう。しかし、規制強化をしたのは政府であり、これも、まさに、意図せぬ結果になるのではないだろうか。今回の一件で、だれが得をするのか考えてみるに、役所が権益と仕事を増やした以外に、消費者も外食産業も生産者の誰も得をしないのではないだろうか。

今回の一件を受けての外食産業の自主規制とお上の規制強化の結果を消費者が最初に実感するのは、おそらく既製のおせち料理であろう。品書きを見て、興ざめになるか、適正な表示で騙されていないと安堵するか、実質的な値上を実感するか、果たしてどれであろうか。この大騒ぎの幕をどのように引くか、興味深いところであり、読者諸兄と見守ってみたい。

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