フランスのGilets Jaunes(黄色い蛍光ベスト)運動を読み解く

まずはGilets Jaunes(黄色い蛍光ベスト)運動を理解するための前提【異端的論考32】
GUILLAUME SOUVANT via Getty Images

日本でもテレビ報道でパリのシャンゼリゼ大通りでの暴徒化した抗議行動が話題になっているGilets iaunes運動についての論考を連載で行いたい。

筆者は、現在大学の客員教授として、フランスのToulouseに在住している。昨年の117日(土)に第一回の動員が行われ、28万人が参加し、フランス社会に大きなインパクトを与えた。以降、運動への参加者は減少傾向にあるが、収束の目途はたっていない。クリスマス休暇を境に収束するとの見解もあったが、年末の29日にも動員はパリをはじめ、ここToulouseToulouseでは、12月8日(土)に第一回の動員があり、今回が二回目である)でも行われた。この大晦日にも動員を呼び掛けていたが、パリの凱旋門でのカウントダウンは厳戒態勢に入っていたこともあり、参加者は少なく、これと言った混乱はなかった。年明けの5日の第8回は5万人、12日の第9回は8万6千人と盛り返し、やはり収束の目途はたたない状況である。

日本の読者にとって、シャンゼリゼの映像はかなりショッキングであったのではないだろうか。私のところにも日本から、大丈夫かと言うメッセージが何件も届いた。実際、店舗の打ちこわし、材木や古タイヤなどに火をつけるなどインパクトの強い映像が流されていたと思う。それでも、フランス人の7割がGilets jaunes運動を支持していると言う報道も日本でなされていると思うが、一般の日本人にとって、Gilets jaunes運動の中心が生活に窮する庶民(主に地方)であり、その要求が生活にかかわるものであったとしても、この高い支持は理解に苦しむのではないでろうか。

今進行しているGilets jaunes運動を理解するには、フランス社会の前提と映像で流されているシャンゼリゼ大通りに代表されるGilets jaunes運動の動員の内実を知っておく必要がある。

今回の連載では、フランス社会の3つの前提について述べてみたい。

まず、フランスは、「私はあなたの意見には反対だ、だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守るJe ne suis pas d'accord avec ce que vous dites, mais je défendrai jusqu'à la mort votre droit de le dire)」と言ったといわれる、かの高名な啓蒙主義者であるヴォルテールを生んだ社会である。ヴォルテールは、その死後、フランス革命中にパリのパンテオン(フランスの英雄の祀られる寺院)に祀られた。フランス革命以来、この意識はフランス人に共有されていると思われる。

つまり、個人が意見を主張する(フランス語ではmanifestation)、つまり、意見を述べることのみなならず行動も含めて、その権利を尊ぶと言うことである。第3回目の動員が行われたあとのアンケート調査では、7割強の国民がGilets jaunes運動を支持しているが、積極的な支持は2割強、支持は5割弱であった。この5割は、Gilets jaunes運動参加者の意見の主張の権利を尊んだ、今の表現では、Politically correctの態度であるといえよう。フランス社会は、その根底から、同質圧力が強く、自己の意見を持たせない、言わせない日本社会とは正反対であることを理解する必要がある。

次に、人々の意識であるが、16世紀にフランソワ1世がフランス語を国語に制定して以来醸成されてきた強い国民意識と人権宣言を制定したフランス革命と言う市民革命を通して、フランス人は、フランスと言う国家をつくってきたのは自分たちであるという強い意識を各人が広く持っていると感じる。国営企業を解雇されそうになった時に、従業員がフランス国家を作った自分を解雇するのかと言ったと言う話がある位である。つまり、個人が国に文句を言うのは当然と言うことである。この自分あっての国という意識も、国あっての自分という日本人の意識と正反対である。

最後に、Gilets jaunes運動の動員のような、いわゆる街頭デモについてだが、Gilets jaunes運動はその組織化に違いはあるが、フランス人にとって街頭デモやストライキは日常であって、特殊なことではない。昨年の春から数か月に及んだSNCF(フランス国鉄)の継続的なストライキに対しても大反対の大きな声は聞こえてこなかった。

また、パリでもデモは別に珍しいものではない。迷惑だと思うのだが、大きな反対の声は聞かない。街頭デモでの行動であるが、フランスでは、サッカーのワールドカップの優勝時の街頭での浮かれ状態(昨年、フランスが優勝した時にシャンゼリゼ大通りに集まった大群衆をテレビで見た読者もいるのではないか)では、皆が広場に集まって、発煙筒などの火モノを焚く、車に登る、シャツを脱いで振り回す、車のクラクションを鳴らして走りまわるなどは普通に行われている。宴の終わった後に何かを燃やした後が散見される。

そうであるので、今回のGilets jaunes運動のパリでの動員での打ちこわしはやりすぎであるが、他の行為については、フランス人にとって大きな違和感はないかと思う。古タイヤなどを集めて火をつける行為は、Gilets jaunes運動に加わった高校生たちの街頭デモでも行われるので、該当デモの一つの形式なのであろう。これも、ハロウイーンで渋谷のスクランブルで軽自動車が一台ひっくり返されたくらいで、治安上大問題だと大騒ぎをする日本人とは正反対である。

以上の日本との違いを前提に、次回以降、Gilets iaunes運動について読み解いていきたい。

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