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2019年01月18日 11時15分 JST | 更新 2019年01月18日 11時15分 JST

フランスのGilets Jaunes(黄色い蛍光ベスト)運動を考える

では、マクロン大統領は何を間違えたのか【異端的論考35】

GUILLAUME HORCAJUELO via Getty Images

Gilets jaunes運動は、マクロン大統領にとって合成の誤謬であると言ったが、今回は、なぜそれが起こったのか、つまり、マクロン大統領は何を間違えたのかを考察してみたい。

その個別政策は、限られた時間内でのフランスのターンアラウンドを行う改革政策としては合理的と言えるので、間違えがあったとすれば、その政策の出し方にあったと考えられる。

マクロン大統領が、政権を引き継いだ時の状況は、オランド前大統領が声高に叫んだ富裕層や企業への増税は失敗し、経済再生もできず、むしろ悪化し、残ったのは、世界有数の国民負担率の高い国家という現実であった。事実、最新のOECD調査によれば、2017年において、フランスは社会保障国家の代名詞であるデンマークを抜いて、その対GDP国民負担(税金+社会保障費)率は、世界一となった(https://www.oecd.org/tax/tax-revenues-continue-increasing-as-the-tax-mix-shifts-further-towards-corporate-and-consumption-taxes.htm)。

確かにフランスは、社会保障は手厚い部類に入るが、フランスは、日本のように赤字国債発行垂れ流しという将来世代へのつけで社会保障を維持することは許されないので、手厚い社会保障があれば、応分の国民負担が求められる。しかし、行政の肥大化と非効率が問題視されるフランスでは、デンマークと同等の国民負担であっても、社会保障に対する国民の満足度は、デンマークよりも低いと筆者は感じる。要は、国民には、国民負担は重いと言う不満がある。これは、所得の低い層になるほど強いと言える。

言ってしまえば、マクロン大統領の経済改革は、フリーハンドではなく、かなりのハンディキャップ、端的に言えば、オランド前大統領のつけ、即ち、負の遺産によるマイナスのスタートであったと言えよう。

マクロン大統領がこの国民の不満を実感していた(数字は当然理解していたはずである)のかは、さだかではないが、この高い国民負担率の上に、パリ協定に代表される地球温暖化対策でのフランスのリーダーシップの確立を最重要と考えるマクロン大統領は、燃料税の引き上げを2019年1月に予定通り実行しようとした。それに対して、Gilets jaunes運動は始まったと言える。

この燃料税の引き上げは、安全や環境保護を目的とした車検の基準強化とセットであるのだが、このセットがGilets jaunes運動の参加者の怒りを買うことになる。Gilets jaunes運動を始めたのは、相対的に貧しい地方居住者である。彼らにとって、車は日常生活の必需品であり、燃料の値上げは、すぐに彼らの生活に跳ね返る。

加えて、車検の強化は、その狙いは、環境に悪いディーゼル車の買い替えを促す意図であったのだが、いくら買い替えの補助を出すと言っても、貯蓄に余裕などないGilets jaunes運動を始めた人々にとっては、それは、買い替えではなく、車を手放すことであるので、それを認めるわけには当然いかない。そもそもディーゼル車を推奨したのは政府ではないかと怒るわけである。Gilets jaunes運動の参加者は、これだけ生活に苦労している我々の生活改善を蔑にし、むしろ改悪するのに、1%の金持ちを優遇するとは何事かと言う感情を抑えきれず行動に走ったわけである。  

そもそもフランス社会においては超高所得者は評判が悪い。歴史的に社会主義的エートスが濃く、左派の労働組合の影響力が強い社会であることに起因するのであろう。実際、資産家に75%という懲罰的な税金をかけた社会党のオランド前大統領はスーパーエリートであるが金持ちが嫌いな大統領と呼ばれていた。日本のような彼らはずるいことをしたに違いないという妬みの感情ではないようである。素直に嫌いであると感じる。この意味で、普通のフランス人の間では、超高給取りのゴーン氏の評判は良くなく、今回の件も、同情はあまりないと感じる。

しかし、近代法の基礎である推定無罪に対する考え方はフランス人に共有されているので、この反応とは別である。これは、イギリスのように階級を前提として、ブルーカラーの労働者の人々が、強い労働者階級意識を背景にオックスブリッジの卒業生をエスタブリッシュメントとして、ひとまとめに敵として、唾棄するのとは異なる。

この意味で、インパクトのある減税を先にすべきであったのかもしれない。3年かけての住民税の全廃の2018年での三分の一の納税額からの減額では十分ではなかったのである。

しかし、フランスが抱える公的支出に大きく頼るという社会的な問題を解決するために、財政の立て直しが急務である中で、Gilets jaunes運動の支持者に対して、譲歩を繰り返したことは、逆に財政の悪化につながり、マクロン大統領の考える抜本的なフランス社会の改革は遠のいたと言えるかもしれない。社会保障を維持し、国民負担を減らすと言う構図は、赤字国債の垂れ流し以外には、考えられまい。さりとて、国民負担を減らすので、社会保障レベルも下がると言うことに国民は納得するまい。

それゆえの非効率な公務員削減による財政の立て直しなのであるが、国営企業を含む公務員大国のフランスで、それを断行するのは容易ではない。それ故に、マクロン大統領は偉大なフランスの再興を唄い、愛国心の強い国民の結束を期待したのであろう。残念ではあるが、現状では、マクロン大統領の思う方向には進んでいない。

しかし、マクロン大統領は、前々稿でも論じたが、ゴーン氏並みにタフなリーダーであるので、彼の描く「Changeon ensemble(皆で変わろう)」を前提に置く抜本的改革をあきらめることはないであろう。マクロン大統領は、日本の不誠実、厚顔無恥、無神経な政治家とは違う。

マクロン大統領の支持率の低さを問題視する論調が多いが、読者には考えてもらいたい。そもそも支持率の高さを問題にする限りは、経済停滞という構造的な問題を抱える先進国にあって、国家間での競争力を高めることによる国力の強化の為に、国民の痛みが避けて通れないなかで、抜本的な改革など行うことができないのは明白である。

つまり、日本を見ればわかる様に、高支持率とは、バラマキであり、本当に必要な抜本的改革を政治家が行っていないと言うことである。これは将来世代へのつけでしかない。デジタルテクノロジーの革新スピードが速まり、変化が常態化するなかで、この抜本的改革を行うのにあまり多くの時間は残されていないという認識を欧米のリーダーは持っている。その一方で、日本は、国民の合意と言う名のもとに、時間稼ぎと既成事実で変化に対応してきたので、この時間の切迫感が全くないのとは対照的である。

次回は、GiletsJaunes運動の本質と映像の示すものの違いについて考察してみたい。