残された時間、生きた証・・・ステージ4のがん患者に奇跡は起きるのか。

今奇跡が起こっているのなら、これからも奇跡は起こると思った。奇跡を起こし続けてやる、と。

不定期でブログを投稿させていただきます、西口洋平と申します。

妻と小学生のこどもを持つ、一般的な37歳男性です。

「ステージ4のがん」であることを除いては。がんだと宣告されたときに、おぼえた孤独感。仲間がいない。家族のこと、仕事のこと、お金のこと・・・相談できる相手がいない。同じ境遇の人が周りにいない。ほんとにいなかった。

それなら自分で仲間を募るサービスをつくろうと、ネット上のピア(仲間)サポートサービス「キャンサーペアレンツ~こどもをもつがん患者でつながろう~」を、2016年4月に立ち上げました。

子どももいて、地元には親もいる。仕事やお金......心配は尽きません。そんな僕みたいな働き盛り世代で、がんと闘う人たちをサポートしたい。そんな思いから、抗がん剤による治療、副作用と付き合いながら、仕事と並行して、地道に活動を続けています。

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■これまでのコラム

■取材記事

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セカンドオピニオン――もともとは、積極的にやってみようとは考えていなかった。が、知り合いからの紹介もあり、抗がん剤の投与中止も重なり、主治医からも話を聞きにいってみても良いかもしれない、と言われていた。

胆管がんは抗がん剤の種類も少なく、治療方法が多くはない。通常は、リンパ節や腹膜への転移がある場合には、抗がん剤での治療が主となるが、年齢も若く、体力もあり、抗がん剤治療の成果も一定程度認められる状態で、一歩踏み込んだ治療をするかどうか探ることが、このセカンドオピニオンのポイントになる。つまり、積極的な治療として、手術をするかどうかということ。

ひとつの抗がん剤にアレルギーが出て、治療方針の変更を余儀なくされる

紹介されたのは、国内でも最大規模のがん専門病院。話を聞くのは、消化器系の分野に多数の実績をお持ちの医師であった。まずはその病院の巨大さに圧倒され、そして、ここにいるすべての患者の方が「がん」であると思うと、何か複雑な思いがした。

通院している病院から預かってきた資料を手渡し、待ち時間に病院内をウロウロ。とにかく、人が多い。患者だけでなく、病院に勤務している方も多い。また、エントランスから近い大きな広場では、もうすぐイベントがあるようで、準備に追われているようだった。アーティストのコンサートを見にきた観客になったようだ。

■医師はびっくりした表情で、ぼくを二度見した

30分ほど待った後、部屋に通され、医師との会話が始まる。医師は目の前にいる人間が、この資料に書かれた人間かと疑うような目で、ぼくを二度見した。そして、その驚きを隠すこともなく、「西口さんですよね? びっくりしました。信じられない」と。

標準的な治療の話から、患者個々のケースであればどうか――話はそういう流れで進む。基本的には、転移がある時点で、抗がん剤のみの治療となり、2種類の薬を併用して投与するというもの。ぼく自身も、その治療を例に漏れず行ってきた。抗がん剤の効果もあり、胆管にあるがん細胞は小さくなっている(大きくはなっていないだろう)様子。

もともとの転移は小さなものであっただけに、画像には写らず、開腹して初めて発覚したほどだ。そこでの仮説として、転移しているがん細胞も縮小(消失)し、当初の治療と考えていた「手術」ができるのではないか、というもの。

■手術は難しい、と告げられた日

結論としては、手術は非常に難しいということだった。今の抗がん剤による治療を続けていきましょうと言われた。手術には大きなリスクも伴う。そのリスクを最小限にするためには、転移がなくなっていることが条件になるが、その可能性は非常に低く、開腹して、転移があれば、またお腹を開いただけになり、体への負担も大きい。開腹前に内視鏡での検査もできるが、いずれにしても難しい。

手術は非常に難しく、今後も抗がん剤治療のみしかない

つまり、手術という選択肢は、現時点では考えにくいということであった。まあ想定していたとはいえ、ここまで大きな病院の、実績のある医師から言われたことで、動揺はあった。そして、主治医からもいろいろ聞いてこいと言われていたので、質問をぶつけてみた。

「余命について、ぶっちゃけ、どうなんですか」。

最初に医師がなぜそんなに驚いていたのか、ここでわかることになる。胆管がんの予後(※)は悪く、しかも転移があるならなおさらで、5年生存率は極めて低く、数パーセントとのこと。発見から1年以上経っていたぼくを見て、ここまで元気な姿でいることに対し、医師はびっくりしたのだという。

■今、奇跡が起きている理由、そして、これからどう生きるか

奇跡である、と。

治療をしなければ、半年の命であったのではないかとも。ただし、今から4年後(つまり、発覚から5年後)については、やはり楽観視はできず、依然として厳しい状態であることには変わりないと。余命は明確には告げられなかったものの、相当タチの悪いものを抱えているということは十分に理解できた。いよいよ準備をしないといけないかもしれないと。

病院を後にしたぼくは、厳しい状況を理解しながらも、今奇跡が起こっているのなら、これからも奇跡は起こると思った。奇跡を起こし続けてやる、と。

そして、その奇跡の裏側にあるのは、自身の病気を公表し、同じ病気で苦しむ方々のために何かできないかと、行動してきた結果なのではないかとも思った。行動すれば前向きになり、体にも良い影響を与え、奇跡とやらを起こせるのではないか。何のエビデンスもないが、それであれば、自分自身が実験台になってやろう。

その後、いつもと変わらない顔で会社へ戻ったが、仕事への向き合い方や働き方について、大きな転機となったことは間違いない。言い方を変えれば、やりたいことがハッキリしたのだ。命の長さとは何か、残された時間をどう生きるか、生きた証。そんなことで頭がいっぱいになり、その日の仕事は手につかなかった。

※予後

今後の病状についての医学的な見通しのこと。病気の進行具合や治療の効果、生存できる確率など、すべてを含めた見通し。これから病気が良くなる可能性が高いか、悪くなる可能性が高いかの見通しを指す場合もある。

(つづく)

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