膵臓がんと告知されたお母さんの日記(第15話:「決断、死ぬまで生きる」)

二、三ヶ月でもいいから、普通のお母さんに戻りたい。

不定期でブログを投稿させていただきます、西口洋平です。妻と小学生のこどもを持つ、一般的な37歳男性です。「ステージ4のがん」であることを除いては。

がんだと宣告されたときに、おぼえた孤独感。仲間がいない。家族のこと、仕事のこと、お金のこと......相談できる相手がいない。同じ境遇の人が周りにいない。ほんとにいなかった。

それなら自分で仲間を募るサービスをつくろうと、ネット上のピア(仲間)サポートサービス「キャンサーペアレンツ~こどもをもつがん患者でつながろう~」を、2016年4月に立ち上げました。

こどももいて、地元には親もいる。仕事やお金...... 心配は尽きません。 そんな僕みたいな働き盛り世代で、がんと闘う人たちをサポートしたい。そんな思いから、抗がん剤による治療、副作用と付き合いながら、仕事と並行して、地道に活動を続けています。

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西口洋平

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*****************膵臓がんのナオさん。

2015年6月にがん告知を受け、手術や抗がん剤治療を経験。2016年に再発し、抗がん剤、放射線など様々な治療を行うものの、現在は無治療で生活。小学校一年生の息子さんと旦那さんの三人暮らし。

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ナオさんがキャンサーペアレンツに登録したのは、2016年9月。

発信するのは苦手とのことで、キャンサーペアレンツに登録するまではブログや日記などを書いたこともなく。そんなナオさんの日記を、ご本人の了承のもと、これから一つずつご紹介をさせていただきます。

※キャンサーペアレンツは、子育て世代・就労世代のがん患者のコミュニティであり、様々な社会的な接点の中で生きています。こども、家族、仕事、地域、普段の生活、将来への不安。がん患者への偏見や誤解など、まだまだ「がんと生きる」ということに対する理解が乏しいというのが実態です。キャンサーペアレンツでは、ここに集う方々の意見を『声』として広く世の中に発信し、がんに対する理解を広げ、がんになっても生きていきやすい社会を実現すべく活動を行っています。

■投稿日

2017年5月17日(水)

■タイトル

決断、死ぬまで生きる

■本文

具体的に死について、余命の話が出てきます。

つらく、怖くなってしまう方は、読まない方がいいかもしれません。

すみません。

***

前回の日記に、たくさんコメントいただきありがとうございました。

決断したので、ものすごく長文ですが、報告させてください。本当に副作用がつらかったFOLFOX。続けるのか、やめるのか。ようやく抜け出した5月12日金曜日、主治医の診察へ。

主治医は私の顔を見るなり「すごくしんどかったんだって?」と言いました。退院後、主治医と一度も会えていなかったので、何があったか一通り話して。主治医が「息子さんは、それを見たの?大丈夫だった?」と。息子の不安そうな顔を思い出し、涙が出そうになったけど、ぐっとこらえる。一度泣いたら号泣してしまいそうだったので。

「僕はいつも、抗がん剤はガンガンいっちゃう方なんだけど」と前置きして、主治医が、「もうやめておいた方がいいんじゃないかと僕は思う」と言いました。私をまっすぐ見て。

こんなにはっきりと主治医が自分の意見を言ったのは初めてだったので、驚いてドキっとした。いつも「どうする?」と患者に選択肢を与えるタイプの先生なので、今日もまず「どうする?」って聞かれると思っていたのです。

やめておいた方がいいと思われる理由を、主治医がゆっくり説明してくれました。

抗がん剤を減量しても、副作用もその通り減るわけではないこと。これまでも抗がん剤治療を長くやってきていて、身体が弱っていること。できればもう一剤使う(FOLFIRINOX)のが、本来の膵臓がんの治療であること(遠回しにFOLFOXでは膵臓がんにはあまり効果が期待できないという意味だと思う)。

主治医の見立てでは、私の場合FOLFOXは副作用が強すぎて、抗がん剤治療をする方が、残された時間が短くなる可能性が高いこと。やりたいことをやるなら今のタイミングしかないと思う、と。

抗がん剤治療はもちろんやろうと思えばやることもできる。でもそれを終えた時にはもう、家族で外出したりする余力はおそらく残されていない。今ならまだ、転移箇所も大きいけれどリンパ節のみ、腹水も溜まっていないし、しばらくは元気に過ごせる。

思い切って、聞いてみる。

「私に残された時間はどのくらいだと思いますか?」

「このあとの展開がすごく早ければ......、二、三ヶ月かもしれない」

自分で思ったより、ずっと早かった。

痛みはあるもののそれ以外は元気なので、半年はいけると思っていた。腫瘍マーカーで一喜一憂したくなかったので今まであまり見なかったのですが、腹をくくって見ると、ここ1ヶ月で値は倍、倍に膨らんできていました。すごい数値......。

思い返せば一年前。

再発を告げられたときも、余命を先生に問いただしたことがありました。

「抗がん剤がまったく効かなければ、半年くらいの人が多い」と言われたっけ。

でも一年以上経った今も、私は生きています。

余命の推測なんてアテにならないのは、私が一番知っているのに。

具体的な数字なんか聞くんじゃなかった。

たった二、三ヶ月。健康だったら、あっというまに過ぎてしまう短い時間。

大好きな息子と、夫と、たった二、三ヶ月でお別れしなくちゃいけないかもしれないの?

また、息子の顔を思い出して、涙がこぼれそうになる。

ここは診察室。今は泣いちゃだめだ。ちゃんと考えなくちゃ。

次の瞬間、「抗がん剤、もうやめたい」と、口から勝手に出ていた。

家族に相談もせず。

やりたくない、やっぱり。

息子に嘔吐してるところ、見せたくない。

残りの時間は、息子と夫と元気に過ごしたい。

普通の毎日が過ごしたい。

家族のごはんを作って、洗濯物を畳んで、お風呂にいれて、一緒に眠りたい。

宿題をみてあげたり、テレビを見たりしたい。

いってらっしゃいや、がんばってねをベッドじゃなく玄関で言ってあげたい。

それがたとえ二、三ヶ月でも、悔いのない時間を過ごしたい。

二、三ヶ月でもいいから、普通のお母さんに戻りたい。

でもそれは、治る確率を0%にすることを意味するわけで。

最後の晩餐、という言葉が頭に浮かぶ。

私は死を決断しました。

来週家族を連れてきて、今後の話をする、ということになる。

今の病院には長く入院できる緩和ケア病棟がないので、何かあったときのために在宅ケアの準備を整えておこうね、と。

ぼんやりしたまま、はい、と返事をして、診察室を出ました。

用事はないけど、ずっとお世話になってきた化学療法室に向かう。

もうここに来ることもないんやなぁ。

カルテを見てすでに事情を知っていた看護師さんたちが出迎えてくれる。

抗がん剤をやめる。それは近いうちに死ぬことを意味する。

それはここの看護師さんたちが一番よくわかっている。

お互い、なかなか言葉が出てこなかった。

看護師さんのひとりが、背中をさすってくれる。

「困ったことがあったら、いつでもここに電話してきていいからね」と。

涙がこぼれそうになるのを我慢して、「また来週遊びにきます」と言った。

いいお天気、ぶらぶら歩いて帰る。

ほんとに、死ぬんだなぁ。

いつかはと思っていたけど、ほんとに、死ぬんだなぁ。

すれ違う人は、私がもうすぐ死んじゃうとは思わないだろうなぁ。

などと、考えながら帰る。

晩ごはんのお買い物をして帰る。

余命があと二、三ヶ月と言われた一時間後に、玉ねぎを買っている自分が不思議。

***

それから数日。

何も治療しないってもっと怖いかな、と思ったのですが

意外と落ち着いて日々を過ごせています。

時間を大事に。

今までの人生でお世話になった方々にお手紙を書いたり、日記をつけたり、読みたかった本を読んだり、友達とランチしたり、ずっと行けなかった息子の習い事について行ったりしています。

痛みはかなりあって、外出がつらいときもありますが、普通の毎日のありがたさを噛み締めています。

当たり前だけど、吐かないって素晴らしいなと思ったり。笑

この時間があってよかったと、言える時間に自分でするつもりです。

家族にとっても。自分にとっても。

楽しく笑って過ごそう。

息子にも、抗がん剤をやめるという話をしました。

また日記に書きたいと思います。

京都は今日もいいお天気です。

今日は元気です。

たぶん明日も。

いつまでかわからないけど、

限りある大事な時間をゆっくり過ごしていきたいと思います!

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(第16話へつづく)

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