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2018年05月28日 11時22分 JST | 更新 2018年05月28日 11時22分 JST

国連でハンセン病の人権問題がテーマとなった。

ハンセン病回復者が、世界の舞台で主役になった瞬間でした。

2005年国連人権小委員会で発言するネヴィス・マリーさん。
日本財団
2005年国連人権小委員会で発言するネヴィス・マリーさん。

私は世界を旅し、多くのハンセン病患者や回復者と会い、言葉を交わしてきました。

ハンセン病と診断されたため、仕事を失った人や離婚を強いられた人がいます。家族に棄てられ、患者、回復者らが暮らすコロニーと呼ばれる集団居住地に住むしかない人もいます。そして社会からの差別を恐れてコロニーを離れようとしない人もいます。

2000年を前後して、私はハンセン病の問題が、医療面だけでなく人権の問題でもあることを強く意識しはじめ、患者や回復者が置かれている状況が、国際社会で人権の問題として認識されなければならないと考えました。

私は、2003年の7月に、ジュネーブの国連人権高等弁務官事務所を訪問しました。約束のない面会でしたが、当時の国連人権高等弁務官代理だったバートランド・ラムチャランは、ハンセン病が重大な人権問題であることに理解を示し、全面的な協力を約束してくれました。

しかし、国連人権高等弁務官事務所職員に向けた説明会の出席者は、私たちの期待よりはるかに少ない、たった5人。当時のハンセン病問題への関心の低さを物語る結果となりました。次いで、国連人権小委員会で回復者や各国のNGO代表による日本財団主催のセミナーを開催しました。多忙な委員たちには、私たちのような民間人のセミナーを聞く時間はなかなかとれないだろうと考え、ランチタイムに委員を一人ひとりつかまえる作戦です。まず会議室の前に軽食の飲み物を並べました。食事をとりながら報告を聞いてもらおうと考えたのです。昼食のために本会議場を出てくる参加者に、日本財団のスタッフがパンフレットを手渡し、会議室へと誘導する、一種のキャッチセールスです。しかしここでも定員50人ほどの会議室に、やって来たのは10人ほど。そんな状況がしばらく続きました。

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2003年8月国連欧州本部の会議場で開催した写真展。

私が初めて国連で「ハンセン病と人権」について発言する機会を与えられたのは、2004年3月の国連人権委員会の本会議でした。私に許された時間は3分でしたが、53か国の代表者を前に、国連において初めてハンセン病と差別についての公式発言として記録されました。この発言をきっかけに、事態は少しずつ動き始めます。

この国連人権委員会での発言以降も、私たちは国連において、世界各国の回復者や関係者がそれぞれの国の差別の歴史と現状を訴える特別報告会を開くなどの活動を続けました。2004年8月には、国連人権委員会の議長だったインドのソリ・ソラブジが、自国インドにおけるハンセン病問題が深刻であることに心を動かされ、小委員会としてこの問題に取り組むことを提案。国連人権小委員会においてハンセン病の患者、回復者、家族に対する差別の問題を正式に議題として取り上げることが決議されました。ついに国連が本格的に動き始めたのです。

2005年8月、再び私は国連人権小委員会で発言するチャンスを与えられました。今回も時間は3分です。発言の直前、私はあることを決断しました。私とともに会場に来ていた、インド、ネパール、ガーナからの合計4人の回復者たちに発言してもらうことにしたのです。うち3人は、このような場に立つのは初めての体験でした。私が突然、「今日はあなたたちが主役です。一人30秒ずつ発言してください」と告げると、彼らは驚きと緊張で震え出しました。さらに会場に向けて、回復者の方たちが発言する旨を発表すると、会場の様子が一変しました。各国の代表者の表情が変わり、場内がどよめきました。中には立ち上がって回復者の顔を見ようとする人もいます。異様な雰囲気でした。

一方、回復者たちは、緊張しながらも毅然とした態度で、自分たちが受けてきた差別を堂々と語り切ってくれました。制限時間がオーバーしても、誰も彼らの話を止めることはできません。ハンセン病回復者が、世界の舞台で主役になった瞬間でした。

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2005年国連人権小委員会で発言する筆者。

その後、国連人権委員会が人権理事会へと改組されるなどして、一時的に事態は停滞しましたが、日本政府の協力によって「ハンセン病に関する人権問題」は理事会の議題となり、日本政府が「ハンセン病患者・回復者及びその家族に対する差別撤廃決議案」を提出します。私は理事会の主要メンバー27か国の代表部に対して、説明と説得を行いました。決議案は59か国の共同提案として2008年6月の理事会で上程され、全会一致で承認・可決されました。

さらに2010年9月の人権理事会では、ハンセン病差別撤廃のための「原則とガイドライン」を含む差別撤廃決議が、やはり全会一致で可決されました。12月にはニューヨークの国連総会で、「ハンセン病患者・回復者及びその家族に対する差別撤廃決議」とその「原則とガイドライン」が国連加盟国192か国の全会一致で決議されました。

人権理事会や国連総会での決議は、罰則規定もないただの「決議」であると言えなくもありません。しかし、この二つの決議と国連人権小委員会での回復者による発言は、世界中の多くの回復者とその関係者たちに、大きな勇気を与えました。