住民23人のピグミーの村でも差別は存在した。

ハンセン病をめぐる問題を解決するためには、国や地域によって対応を工夫しなくてはなりません。
インドネシアの回復者組織PerMataのスタッフらと。
インドネシアの回復者組織PerMataのスタッフらと。
日本財団

ハンセン病をめぐる問題を解決するためには、国や地域によって対応を工夫しなくてはなりません。回復者組織のあり方や社会復帰のための対策はもちろん、発見のための取り組み、薬の届け方など、地域によって異なる様々な課題があります。

インドネシアではインド、ブラジルに次いで毎年多くの新規患者が発見されています。この3か国で世界の総患者数の80%以上を占めています。インドネシアは国レベルではWHO(世界保健機関)のハンセン病制圧目標(有病率が人口1万人あたり1人未満)を達成していますが、州レベルでは12の州で未達成です。

2007年にはハンセン病回復者組織PerMaTaが設立され、4つの州に29支部を置いて、回復者とその家族の尊厳を回復するための活動を展開しています。彼らは、ハンセン病に対する偏見や差別が根強く残る現状や回復者の声を社会や政府に届け、大きな成果をあげています。ただし、インドネシアは34州、1万3000以上の島嶼から構成されているため、充分なネットワークを構築するにはまだまだ時間が必要です。それぞれの島によって環境や生活条件が大きく異なり、患者発見や薬の提供はもちろん、効果的な回復者支援も地域にあった活動が求められています。

そんな中で地域に根ざした回復者組織も誕生しつつあります。私が最近訪問した北スラウェシのTomotouもその一つです。患者や回復者を孤立させずに心の負担を軽くし、不当な差別を撤廃するために、ときには州政府とも直接交渉を行っています。他の地域で活動する回復者組織との情報や人的交流、ノウハウの共有を通じて、より効果的な回復者支援の活動を模索しています。

またアフリカも依然として新規患者の多い地域です。1920年代後半から英国救らいミッションと大英帝国救らい協会による救済活動が始まり、その活動の一端は、オードリー・ヘップバーン主演の映画『尼僧物語』でも紹介されました。

しかし広大なアフリカ大陸には、いまだに都市部や行政から切り離された多くのコミュニティが存在しており、救済活動や医療支援、そして人道支援を行き届かせるには、まだまだ難しい状況にあります。

エチオピアの回復者組織ENAPALの支援で、販売する手工芸品に刺繍を施している女性。
エチオピアの回復者組織ENAPALの支援で、販売する手工芸品に刺繍を施している女性。
日本財団

そんなアフリカにあって、エチオピアでは、1996年にいち早く回復者組織ENAPALが設立されました。参加する回復者自身が納める会費などで運営され、保健省と一体となって、ハンセン病についての啓発活動や回復者が経済的、社会的に自立するための様々な取り組みを実施しています。その活動の中でもユニークなのが、女性回復者グループによる刺繍を施した手工芸品の販売です。ハンセン病回復者であることに加え、女性であることで二重の差別を受けてきた中で、ほとんどの女性回復者は、生まれて初めて自分の力で収入を得ることができたといいます。ENAPALは、世界的に見ても目覚ましい成果をあげている回復者組織の一つで。

しかし、多くのアフリカの国では、患者を発見し、その患者一人ひとりに薬を届け、きちんと服用してもらうことでさえ依然として難しいのが現状です。コミュニティに辿り着くだけでも簡単ではありませんし、そのコミュニティの生活文化が障壁になることもあります。無償で提供される治療薬のパッケージには各国の言葉で服用の仕方が書かれていますが、そもそも文字を読めない人々も少なくありません。また錠剤を嚥下することも、それまで薬というものに触れたことのない人にとっては、たやすいことではないのです。

例えばコンゴ民主共和国やカメルーン共和国に暮らす森の人ピグミーのコミュニティは、極めてアクセスが悪く、これまでほとんど医療サービスが提供されていませんでした。そんなピグミーにもハンセン病の患者が存在していたので、患者に治療薬を提供しましたが、回復の状況が思わしくありませんでした。調べてみると狩りの獲物をコミュニティ全員で分配するように、薬も全員で分けて飲んでいるとのことでした。

カメルーンで暮らすピグミーの女性から、ハンセン病の差別について聞く筆者(右)。
カメルーンで暮らすピグミーの女性から、ハンセン病の差別について聞く筆者(右)。
日本財団

それほどの平等意識があるにもかかわらず、ピグミーたちも患者や回復者を差別していました。二家族23人が生活しているある集落には、二人の回復者がいましたが、私が「今まで虐められたことはないか?」と聞くと、「いやというほど経験しているので、もう言いたくない」と答えたのです。そしてハンセン病は「神様の罰か悪魔の祟りだ」とも言います。地域によって課題や状況は異なっても、多くの場所でハンセン病に対する差別があることを思い知らされた瞬間でもありました。

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