家族を死の道連れにする「無理心中」という家庭内暴力を美化するのはやめよう

家族内の問題に対し、外部の者がどこまで入り込むべきかが改めて問われている。

東京で5歳の女の子が親からの虐待で亡くなる痛ましい事件から半年が経った。「子どもは親の所有物ではない」という声が上がり、家族内の問題に対し、外部の者がどこまで入り込むべきかが改めて問われている。

私が新聞記者をしていたころ、どうしても理解できないことがあった。今回の様に、家族が身内から暴行を受けて亡くなる事件が起きれば全国ニュースで大きく取り上げられるが、家族を殺害した後、加害者が自殺した場合や、親が小さい子どもたちと一緒に練炭自殺した場合、「無理心中」や「心中未遂」となり、一気にニュース価値が下がるのだ。加害者が自殺したとはいえ、子どもを死の道連れにする行為こそ、「子どもは親の所有物」と思っていなければできない行為ではないか。

そもそも、私は「無理心中」と聞くと、集団が同時に命を落とすことを美化した戦時中の日本を連想してしまう。太平洋戦争で劣勢に立たされた日本軍は国民への動揺を最小限に抑えるため、戦況を報告する際、「全滅」という表現を避け、「玉砕」(玉の如くに清く砕け散る)という言葉を使用した。敗戦を美化することで、軍の責任を回避したかったのではないかという専門家もいる。

本来、「心中」とは、男女が同意のもと自殺することを指し、「無理」と「心中」を組み合わせることは、「同意」と「強姦」を組み合わせるようなものだ。

今年3月7日、新潟の地元紙、新潟日報の社会面に小さい記事が出ていた。

6日午後5時すぎ、関川村土沢、無職、富樫宗男さん(72)宅で、富樫さんの妻カズイさん(71)と母マツさん(95)が死亡しているのを、訪ねてきた富樫さんの60代の妹が見つけ、110番通報した。駆けつけた警察官が敷地内の納屋で首をつって死亡している富樫さんを発見した。外部から侵入した形跡がないことから、県警は無理心中の可能性があるとみて調べている。

村上署などによると、カズイさんとマツさんは一階の寝室で見つかった。それぞれ布団、ベッドであおむけの状態で、首には圧迫された跡があった。抵抗した様子はなかったという。

富樫さんは3人暮らし。玄関は施錠されていなかったが、室内に物色された形跡はなかった。遺書などは見つかっていない。

妹は近所の人から「夕方になっても新聞が取り込まれていない」と連絡を受けて様子を見に訪れた。県警は、3人が亡くなったのは5日から6日朝にかけてとみている。

この記事には、不自然なポイントが三つあった。まず、「抵抗した様子はなかった」という点。宗男さんに首を絞められている際、2人はなぜ抵抗しなかったのだろうか?しかも、最初にどちらか一人が首を絞められている間、もう一人はただ見ていただけだったのだろうか? もし3人が同意のもと死ぬと決めたのだとしたら、もっと痛みが伴わない方法でするのではないか?

次に、「県警は、3人が亡くなったのは5日から6日朝にかけてとみている」の部分。死亡推定時刻にしては随分、幅が広い。解剖すればもっと詳細な時間がわかるはずだ。午後5時に警察へ第一報が入ったということは、次の日の朝刊締め切り時間までは6‐7時間しかなく、鑑識の詳細な結果はまだ出ていないだろう。だとしたら、なぜ、わざわざ、こんな情報を記者に伝達する必要があるのか?

最後に、無理心中と断定する根拠が「外部から侵入した形跡がない」の一点だけ。玄関は施錠されていなかったわけで、外部から侵入した形跡があるかどうかを短時間で確定できるものだろうか?

ネットを見ると、すでに「老々介護のしんどさからだ」とか「年金額が少なすぎるから」などと勝手な憶測が飛び交った。

私は、警察が何か隠していると感じた。村上署に電話を入れてみたが、予想通り「フリーランスって、どこの誰かもわからない人からの問い合わせには答えられない」と言われた。私は思い切って、車で2時間かけて現場に行ってみた。

関川村は人口5700人の長閑な山間地だ。富樫さん宅は十数件が集まる集落の片隅にあった。取材は難航した。近所の家を回っても、「本当に仲の良い家族で、何でこんなことになったのか誰もわからない」とか「今はそっとしておいてくれ」など、全く相手にされなかった。それでも、十数件訪ねて歩くうち、カズイさんと家族ぐるみの付き合いをされていた方2人からじっくり話を聞くことができた。

まず、わかったことは、老々介護や経済苦が事件の引き金になった可能性は極めて低いということだ。富樫さん宅は経済的には裕福で、マツさんは週2回デイーサービスに通い、会話もしっかりでき、付きっ切りの介護は必要ではなかった。

次に、事件発覚の際、カズイさんとマツさんの顔は傷だらけで膨れ上がるほどだったといい、寝室のテーブルの上に「お世話になりました」という宗男さんの直筆のメモがあったという。つまり、「抵抗した様子がなかった」も「遺書がなかった」というのも、警察のでっち上げだったということになる。さらに、その方が警察から受けた報告によると、カズイさんの体内からは5日の昼ご飯に食べたものがそのまま胃の中に消化されずに残っていたという。つまり、事件は5日午後にあった可能性が高いということだ。

警察が大事な情報を出さなかった理由は一つしか考えられない。自殺した宗男さんに同情するあまり、事件の計画性や残虐性をできるだけ表に出したくなかったのではないか。ある程度の同意があった「心中」事件として美化することで、宗男さんに対する社会的制裁を最小限にとどめたかった。死亡推定時刻が確定する前から、「5日から6日朝にかけて」と発表したのも、家族が寝ている夜の犯行という可能性をほのめかすことで、無抵抗だったことに信ぴょう性を持たせたかったと言われれば納得がいく。

宗男さんの父親は戦時中、日本軍の幹部でとても厳格な性格だった。宗男さんは4人兄弟の長男で、一度も実家を離れなかった。好成績で高校を卒業し、地方公務員の試験に合格したが、父親からそれを辞退させられ、跡継ぎになるために農家になった。父親が定年退職した後は、そのままその会社の仕事を引き継いだ。体を動かすのが大好きで、自分の田んぼだけでは物足りず、友人の田んぼも請け負い、計5ヘクタールでコシヒカリを作っていた。区長を務めたり、おとなしい性格だが、周りからの信頼は厚かった。

カズイさんも関川村出身で、夫婦で体操教室に行ったり、農作業をしたりと、いつも行動を共にした。友人にも恵まれ、年に数回、6人ほどのグループで温泉旅行や花見に出かけた。宗男さんは時代劇が大好きで、お寺をめぐってはスタンプを集めていた。昨年秋には、宗男さんが「次の旅行計画私が立てるからね」と率先して周りを誘っていたという。

しかし、昨年10月、宗男さんが農作業中に脳梗塞で倒れ、入院した。11月に退院したが、車の運転はしばらく控えた。生きがいだった田んぼも、すべて友人に委託した。カズイさんは「これからは山菜取りやハイキング、旅行とかしてゆっくりしよう」と気遣った。12月から雪が降り始め、宗男さんは家から出ることがめっきり減った。前年までやっていた自治会の役職も離れた。何もできない生活をストレスに感じ、夜眠れなくなり、睡眠薬を飲むようになった。本が好きで、眠れない日は朝まで本を読み続けることもあったという。

2月ごろ、「俺は何の役にも立たない男になった」とつぶやくようになり、次第にカズイさんに「俺と一緒に死なねえか」と言うようになった。カズイさんは最初冗談だと思って受け流していたが、それが複数回続くようになり、友人の一人は宗男さんを精神科に連れていくことを勧めた。

それでも、週に一度ある公民館の体操教室には夫婦で通い続けた。しかし、そのコースが2月28日で修了となり、人生で初めて、宗男さんのスケジュールは通院以外は完全に真っ白になった。雪は解け始め、周りが農作業を再開する時期が迫りつつあった。

3月4日、カズイさんの誕生日で、遠方に暮らす娘さんたちが遊びに来たり、プレゼントを送ったりして、祝ってくれた。3月5日、カズイさんは友人宅で昼食を取り、春に計画していた旅行に宗男さんが行かないということを告げた。普段、外で昼食をとる時は必ず宗男さんに電話を入れていたが、カズイさんはこの日は電話をしなかった。昼食後、カズイさんは家に戻り、おそらくこの日の午後に殺害され、翌日、事件が発覚した。

私が「カズイさんが宗男さんと一緒に死にたかった可能性はあるか?」の問いに、友人は「カズイさんは生き続けたかったと思う。春の旅行には宗男さんなしでも行くつもりだったし、最後に会った時も、『親戚が危篤だから喪服買わないと』とか話していました」と言う。

高齢者の心中事件についての論文がある中央大学の天田城介教授(臨床社会学)は「現行の介護保険制度だと、要介護の認定があればケアマネジャーがつくなど、セーフティネットに組み込まれるが、宗男さんの様に、完全に自立したわけではないが、認定を受けないケースは支援が届きにくい。高齢者の心中事件の加害者は7,8割が男性。男性は、しんどさや悩みを相談できず、体が健康な状態を前提とした人間関係しか作れないことが多い。自治体がイベントを開くなどして積極的に手を差し伸べる必要があるだろう。」と話した。

無理心中が殺人と比べると大きく報道されないことについては、「無理心中に特化した専門家というのはあまりいないし、年に何件発生しているか示すデータさえない。家族を道連れにするほど誰かが追い詰められるのは、社会制度に原因の一部があるわけだから、しっかり報道してほしい」と話した。

無理心中が矮小化されたり美化されれば、「自殺すれば、家族を殺すことは許される」という間接的メッセージを社会に与えかねず、さらに、宗男さんを追い詰めた現存の社会システムも改善されず、同じような悲劇が繰り返されるだけではないか。長男として家の大黒柱になることに人生をかけていた男性が、突然体を壊した時、どうすれば社会が精神的支えになってあげられるのか。

「子どもは親の所有物ではない」なら、「家族は世帯主の所有物」でもない。家庭内のことは家庭内でできるだけ解決するという日本の家族の在り方を根底から変えるのなら、「無理心中」という家庭内暴力に真正面から向き合い、どうすれば宗男さんの様な方たちを社会が助けることができるのか、議論すべきではないか。

「私たちがもっと宗男さんを支えてあげられることができたらこんなことにはならなかったのかも」とカズイさんからプレゼントされた手編みのセーターを見せながら話す友人
「私たちがもっと宗男さんを支えてあげられることができたらこんなことにはならなかったのかも」とカズイさんからプレゼントされた手編みのセーターを見せながら話す友人

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