朝日新聞と毎日新聞が教育勅語の教材化に反対するのが理解できない

「所属する組織やチームのために命をかけろ」という考え方は日本社会に浸透している。教育勅語の教えは「組織」の部分を「国」に変えただけで、根本的な考えは似ている。

私は自分の息子に教育勅語を暗唱させようとは絶対思わない。だが、教育勅語に似た考えを社会に広めてきた朝日新聞毎日新聞が教材化に反対するのは全く理解できない。

この二つの新聞社こそ、教育勅語の「国の非常時には命を懸けよ」と似た考え方を様々な形で社会に広めてきたのではないか。

例えば、両新聞社が主催する甲子園。高校生のスポーツイベントとしては、世界でも稀にみる注目度。読者の方たちは、両新聞社が、プロ野球の日本シリーズと甲子園、どちらに多くの記者を投入するかご存知だろうか?

答えは、ダントツで甲子園。全国津々浦々から若手記者が呼び集められ、日本シリーズよりも5倍から10倍の数の記者が投入される。大部分は野球をあまり知らない記者たちだ。

そんな記者たちが、どんな記事を書くのか。「チームの大黒柱、160球の熱投」とか「ケガをし、今は記録員としてチームを支える元エース」とか「昨年ひじを壊したが今大会見事復活」とか、選手のケガや体の酷使を美化する記事をいくつも作成する。

今年の春の甲子園では一試合196球投げたエースについて、そのチームの監督が「明日も先発でいきます」と言い放った。試合は2日後となり、その投手は先発し、130球を投げ、3日間で326球を投げた。にもかかわらず、その投手は、その次の日の試合にも「投げたい」と言った。

これがどれだけ異常なことなのか。野球の最高峰イベント、ワールドベースボールクラシックでは、投手は一試合、95球以上投げることができない。50球以上投げたら、その後4日間は試合で投げることができない。メジャーリーグでも1試合で100球以上投げるのは稀だし、私は米国で高校球児だったが、チームに後にマイナーリーグで活躍する絶対的なエースがいたが、最低中3-4日は空けて登板していた。

要するに、甲子園は野球の常識を超えたレベルで選手に体を酷使させており、相当数の選手生命を奪っていたとしても、主催している新聞社が話を美化させることで、深刻さが伝わりづらい。

朝日新聞と毎日新聞は教育勅語の教材化を反対する前に、まず、甲子園で多投して後に故障した選手だけでなく、甲子園を目指す過程で故障した選手の数をすべてリストして公開してほしい。

毎日新聞の新人研修で、「もうすぐ第一子が生まれるのですが、家族と仕事はどう両立しているのですか?」と同期が本社の幹部に質問した際、「本社のこの地位まで上り詰めた人っていうのは、それなりの犠牲を払ってきているということだから、察してくれよな」と部長が言いはなった。

「出世したいなら、会社のために命を懸けて働け」と私には聞こえた。

「所属する組織やチームのために命をかけろ」という考え方は日本社会の隅々に浸透している。教育勅語の教えは、「組織」の部分を「国」に変えただけで、根本的な考えは似ている。

もし、教育勅語の教材化に反対なら、社会の隅々にある教育勅語的なものに対しても反対する一貫性が求められるのではないか。16歳や17歳の若者たちに、特定の球場を神聖化させ、それがまるで人生のすべてであるかのように思わせるのは、あまりにも酷ではないか。

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