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2018年04月09日 16時18分 JST | 更新 2018年04月09日 16時18分 JST

あなたがもし事故で亡くなったら、翌日の新聞に顔写真を公開されたいですか?

遺族とメディアの間に溝ができれば、事件や事故の悲惨さを伝えるといいう本来の目的を達成できなくなる

黒岩揺光

先日、除雪作業中に亡くなった90歳男性の遺族を取材した。こういう取材で必ず必要とされるのが亡くなった方の顔写真。しかし、男性の長男は「いや、ちょっと写真はやめてほしい」と提供を拒んだ。私はその一言に、亡くなった父親への愛情を感じ、「変なお願いをして申し訳ありません」と頭を下げた。

私が、まだ毎日新聞で働いていたとしたら、ここからが本当の仕事になる。朝刊締め切り時間までに、男性の顔写真を探すため、近所の家や友人の家を走り回らなくてはならない。

しかし、フリーとなった今、私にそこまでする気力はなかった。1年半前、妻を亡くした直後の自分と遺族の姿を重ね合わせてしまい、「顔写真は公開したくない」という息子さんの意思を尊重してあげたいと思えてしまうのだ。

遺族の意向と関係なく、メディアは事故や事件で亡くなった人の顔写真を公開する。遺族の意向より、事件や事故の悲惨さを社会に伝えることの方が大切という論理で。故人が所属していた老人クラブの写真でも、高校時代の卒業文集でも、ありとあらゆる手段で顔写真を入手する。今ならSNSからより簡単に入手できるようになったが、私が新聞社にいたころは生写真を探し出さなければならなかった。

読者の皆さんは信じられないかもしれないが、メディアはこの顔写真取り合戦に恐ろしく執着する。特に複数の犠牲者が出た場合、A社だけ全員の顔写真を掲載できないなんてことになったら、その社だけ当たれていない関係者がいることが一目瞭然のため、A社のプライドは大きく傷つく(実際、そこまで見ている読者なんてほとんどいないのだが)。

新聞記者時代、上司に褒められることなんて滅多になかったが、顔写真を取ってくると、支局長、デスク、そして先輩記者まで全員から称賛されるため、私も感覚が麻痺し、大きな事件や事故の際は顔写真を取ることに集中した。深夜の住宅火災で3人が犠牲になった時は、私は夕刊締め切り時間(午後1時-2時くらい)までに全員の写真を取ったが、夕刊掲載後、間に合わなかった他社の記者から電話があり、「一生のお願いがある。最後の一枚、誰から顔写真をもらったのか教えてほしい。写真を見つけるまで会社に戻ってくるなって会社から言われてさ」とお願いされた。

私は前妻を亡くした直後、友人らにSNSで写真を載せられるのでさえ嫌だった。もし、メディアに勝手に掲載でもされていたら、かなりの精神的ダメージを受けていただろうし、メディア不信にもなっていたかもしれない。

除雪作業中に亡くなった方の長男さんに1時間ほど話を聞き、仏壇にお線香をあげさせてもらった後、「顔をぼかしてくれるなら写真を載せてもいいよ」と言ってくれた。私が、亡くなった方が愛用していたヘルメットを見ながら「これと一緒にいいですか?」と尋ねたら、「ああ。これならいいよ」と言ってくれた。

事件や事故の悲惨さを一番知っているのは遺族だ。顔写真を公開することで事件や事故をより明確に報道できるのかもしれないが、それで遺族とメディアの間に溝ができれば、事件や事故の悲惨さを伝えるといいう本来の目的を達成できなくなる可能性があるということも、私たち報道に携わる人たちは考えなければならないのではないか。