東京都知事と国連職員が同等の待遇でよいのか

舛添知事に対する個人攻撃でこの騒動を終わらせず、相対的に税金の使い方について社会全体で議論を始めてはどうだろうか。

舛添都知事による一連の騒動の発端になったのが、知事の海外出張経費が上限を大きく超えていたことだった。3ヶ月前までジュネーブで国連職員をしていた私は、東京都知事がニューヨークへ出張した際の一泊の経費上限額が4万2百円というのに驚いた。この額は、国連職員と同等レベルで、国連職員の場合、「上限」というものはなく、一律現金支給のため、知り合いの家に泊まろうが、高級ホテルに泊まろうが、自動的に4万円もらえる仕組みだ。

その後の報道で、静岡県の川勝平太知事も、規定額を超える海外出張が約8割にのぼっていたことが判明し、「静岡の知事の上限額はいくらなのだろう?」と見てみると、ニューヨーク、ロンドンで一泊2万9千円。人口350万人の自治体のトップより、国連職員の出張経費が1万円以上かかるというのはどういうことか。

国連の予算は、各国政府が支払う分担金で大部分が成り立っており、市民の税金を使っているという意味で、知事も国連職員も同等の身分だ。日本の分担金額は米国に次いで世界2位で、私が国連職員時代に使った飛行機のビジネスクラス代やホテル代の一定部分は日本の税金から出ている。

それでは、国連職員の出張とはどんなものなのか。

すでに書いたとおり、「上限」というのはなく、一律に決められた額が現金で支給される。ホテルやレストランの領収書は不要だ。知事の場合、上限が4万円で、ホテル代が2万円でも、その差額を自身のポケットに入れることはできないが、国連職員はホテルに泊まらなければ、そのまま全額ポケットに入れることができる。

次に、片道が9時間以上のフライトならビジネスクラスに乗れる。

そして、海外出張ついでに有給休暇を取得することができ、ニューヨークでの出張が終わったついでに、休暇取得が許可されれば、米国観光を数日間しても構わない。

最後に、国連職員なら、年次や階級に関係なく、出張経費待遇は同じだ。20代の新人職員だろうが、現地職員だろうが、本部の局長だろうが、同じ額が支給される。

ジュネーブ出張でも、一泊約4万円が支払われる。ジュネーブ勤務時代、日本人職員を含め、多くの同僚が、ジュネーブに出張で来て、同僚の家に何泊かして、10ー20万円の現金を受け取っていた。アフリカなどの発展途上国出身の職員たちからしたら、1日で、親戚が1ヶ月かけて稼ぐお金をもらえるわけだから、当然といえば当然である。

2014年3月、私は、仙台の防災会議に出席するため、ジュネーブから成田までビジネスクラスで行った。仙台と東京で計8泊、日当23万円を頂いた。ホテル代は合計15万円ほどだったため、8万円を食費やタクシー代などに使った。

出張終了後、新潟の実家で2日過ごし、それからマレーシアのリゾート地で妻と1週間過ごした。マレーシアからジュネーブまでは、出張の帰り便扱いになるため、ビジネスクラスで帰った。航空券代は約60万円。舛添都知事が、公用車で別荘に行ったことなどが批判されているが、出張ついでに公費でマレーシアのビーチリゾートで妻と楽しい時間を過ごした私からすれば、とても些細な問題に思えた。

日本では官公庁での税金の使われ方についてよくメディアで論じられるが、世界の税金で成り立つ国連での税金の使われ方は、ほとんど報じられない。

20代後半の新人国連職員がニューヨークに3泊出張に行って、同僚の家に泊まって、現金12万円をもらい、その同僚と高級レストランで美味しいものを食べるのは良くて、人口350万人を抱える自治体のトップが3万円のホテルに泊まって、「上限を超えている!」と批判されることに、私は一貫性を感じない。

税金の使われ方について、もっと相対的に議論するためにはどうしたらいいのか。

まず、メディアがもっと国連の税金の使い方について報じるべきである。国連職員の日当制度なんて、公の情報であり、調べれば簡単にわかる話だ。

そして、世界に700人いる日本人の国連職員の方たち。静岡の知事のニューヨーク出張経費の上限が1泊2万9千円と聞いて、何か思うところがあるはずである。SPを数人抱える東京都知事と国連職員が同じ額ということにも、違和感があるのではないか。世界のさまざまな国で税金がどういう使われ方をしたかを見ている国連職員は、物事をより「相対的」に見れる位置にいるはずである。もっともっと、母国の政策作りに声を上げてほしい。

最後に日本政府。2020年までに日本人の国連職員数を1000人に増やそうという目標を掲げている。日本政府が、35歳以下の日本人を選抜して、国連機関へ2年間職員として送り込む「JPO制度」で派遣される人数はここ3年で、年間30人から60人へ倍増。国連の分担金額2位の座を中国に明け渡すのは時間の問題で、国際社会での日本の存在を保とうと必死である。

しかし、邦人職員を増やす政策に年間数十億円の税金を投入することについて、一体、どれだけの市民の理解が得られているのだろうか。日本の市民が国連を身近な機関と感じてもらえなければ、いくら職員を増やしたところで、そこから市民がどんな恩恵を受けるのか、わかりづらい。静岡の知事のニューヨーク出張経費の上限額2万9千円が一般の感覚なら、国連職員の待遇は明らかに日本の一般の感覚からかけ離れている。

国連職員も人の子である。日本の自治体職員だったら新聞で取り上げられることも、国連職員だったら滅多に取り上げられない。紛争下で青いヘルメットを身に着けて、難民を助ける立派な国連職員というイメージ。無意識のうちに、私たちは国連を聖域化させてしまってはいないだろうか。

舛添知事の一連の騒動で、公務員の税金の使い方について関心が高まったのは良い事だ。舛添知事に対する個人攻撃でこの騒動を終わらせず、相対的に税金の使い方について社会全体で議論を始めてはどうだろうか。

注目記事