「安定した雇用」という幻想。~雇用のリスクは誰が負うべきか?~

解雇規制の問題は企業が社員をクビできるようにすべきかどうか?という小さな議論ではなく、雇用のリスクを誰がどのように背負うべきか、という社会保障制度も含めた非常に重要な経済政策だ。
Matthias Clamer via Getty Images

先日行われた総選挙において、自民党は雇用が100万人も増加したとアベノミクスの成果を強調した。一方野党は、増えたのは非正規雇用ばかりだとその効果を否定した。

非正規雇用は安定した雇用ではない、だから良くない、という事は当然のように言われる。では、そもそも安定した雇用はあるのだろうか。

前回書いた「給料はどこから出ているのか?」という記事では、正社員でもアルバイトでも、給料は企業の売上・利益から出ている、そして企業の売上・利益の源泉は「リスク」であると指摘した。

「安定した給料」を「不安定な売上・利益」から生み出さなければいけない。

雇用にはそもそもこのような矛盾、リスクが根源的にあることも指摘した。つまり「安定した雇用」は幻想ということだ。たまたま長期にわたって国や企業が安定的に成長を続けた場合に、ごく一部で偶然生まれる産物が終身雇用であり、日本はその偶然が多少広い範囲で運良く長続きしただけだ。

企業収益が不安定である以上、雇用も不安定である。

これをふまえた上で、避けようの無い雇用のリスクにどのように対処すれば良いか考える必要がある。企業は雇用に責任を持つべきだ!と言った所で、そもそもその企業が不安定な存在だ。従来はここで思考停止されていた。

繰り返すが、雇用の責任を誰が持つべきは別にして「雇用は不安定なものである」という不都合な真実から目を背ける限り、この議論はスタート地点にすら立てない。

■雇用リスクの受け手は三つ。

雇用にはリスクがある。かと言って全てのリスクを従業員が負担べきでない事は明らかだ。では雇用のリスクをどのようにコントロールすべきか?どこが負担すべきか?

これは三つの主体がある。かなり大雑把だが以下のように分類してみた。

●アメリカ型 →従業員 自己責任型。

●北欧型 →国 国民全体の税負担。

●日本型 →企業 解雇規制が強く、雇用自体がセーフティネット。

それぞれ簡単に説明してみたい。

業績が悪化すれば解雇されてしまうアメリカ型は自己責任型と言えるが、雇用の流動性は高く、再就職しやすいことがセーフティネットになる。これは女性の社会進出は少子化の原因なのか? ~少子化を止める二つの方法~でも紹介したが、アメリカ・カナダでは再就職が容易なため、産休・育休が無くともさほど問題ではないという研究結果がある。出産に限らず退職した従業員全般に言えることだろう。

北欧型も業績が悪化すれば解雇される。ここはアメリカ型と違いはないが、国が提供する手厚い失業保険・職業訓練がセーフティネットだ。ただし、そのコストは国民全体で負担するため税負担が大きい。

日本型は他のタイプと較べて解雇されにくい事がセーフティネットだ。これは一見するとメリットに見えるが、解雇された後の再就職が難しいというデメリットがある。

かなりステレオタイプな分類・ネーミングになったが、日本型が他の2つと違うのは企業が雇用リスクを負っている点だ。

■社員の雇用は億単位の設備投資。

経済学者の池田信夫氏はツイッターで「正社員は1人4億円の、やり直しのきかない投資。そのリスクを減らさないと、雇用は増えない。」と指摘する。

企業経営にはリスクがあり、雇用でもリスクを抱えることを求めるとどうなるか。答えは単純で、企業は雇用を控える。売上が減った時に解雇出来ないのなら最初から雇用しないのが正しい判断だ。

人が足りない時は、まず残業をさせる。それでも人手が足りなければ長時間の残業をさせる。それでも立ちなければ非正規雇用や業務委託、請負などで可能な限り正規雇用を避ける。

つまり企業経営のリスクを社員の労働時間で調整しているということだ。これが違法なレベルになれば残業代を払わないという形になり、企業が吸収したリスクが最後には従業員に還流してしまう。ブラック企業が誕生する瞬間だ。

嫌なら辞めれば良いのだが、辞めた所で再就職は難しい。辞めても地獄、残っても地獄、ということでうつ病は国民病となり、最悪のケースでは自殺に至る。

「調整弁」たる正社員は会社の意のままに働かなければ存在価値は無く、サービス残業、長時間労働、パワハラとありとあらゆる手を使う。

パワハラもサービス残業も立派な違法行為で罰則もあるが、経営者にとっては労働基準監督署から文句を言われる程度なら、会社が潰れるよりマシだ。つまり経営者は「ブラック経営」をするインセンティブがある、ということになる(だからサビ残を減らす直接的な方法は経営者を逮捕すれば良い。見せしめとして大手上場企業の社長がサビ残で逮捕・連行される映像が報道ステーションあたりで放送されれば経営者は自らタイムカードを血眼で確認し、アッという間にサビ残は消えてなくなるだろう)。

■ブラック企業は辞められない雇用習慣から生まれる。

もう随分前になるが、朝まで生テレビでブラック企業問題が取り上げられた際、議論の流れが一方は辞めてしまえば良い、もう一方は企業が悪い、と真っ二つに分かれていた。そんな酷い待遇でなぜ辞めないのかさっぱりわからない、と「辞めてしまえ派」は繰り返すが、それに対してはっきりとした回答は示されず、洗脳されているから辞められないなど不可思議な理由が挙げられていた。

答えは辞めても次の就職先が無いことがブラック企業に残る理由になってしまっている、ということになる。結果的に、残るも辞めるも地獄という状況で悲劇は生まれる。

大儲けしてる企業にだってブラック企業はあるじゃないか、潰れないためなんて大ウソだ!というのは利益の構造を知らない人だ。金額で言えば大儲けをしているように見えても、日本企業の利益率は総じて低い。5%もあればマシな方で、2.3%の企業もザラにある。

例えば飲食業ならば、FL比率は売上の60%以内に抑えろ、と言われる。Fはフード・原材料、Lはレイバー・労働コストだ。ざっくりとFとLが半々とすれば売上に占める人件費は30%となる。人件費が1割上昇すれば33%で、多くの企業で損益分岐点をウロウロするレベルになる。こういう数字を知れば企業が人件費を限界まで切り詰めようとする理由も分かるだろう。

ブラック企業と名指しされる会社で、売り上げに占める人件費率が高く、利益率が低い飲食業が多いように見えるのも偶然ではないということだ。

■企業はどこまで責任を負うべきか。

このような書き方をすると、企業に雇用責任は無くて良いのか?と指摘されるかもしれない。問題はまさにそこだ。企業に雇用の責任をどこまで負わせるべきなのか、という点について全く議論がなされていない。

上で挙げた三つのタイプは、どれが正解という事は無い。うまくいくのならどれでも良いが、重要な事は「雇用にはリスクがあり、誰かがそれを負担しなければいけない」ということだ。

アメリカ型ならば企業は楽だが、従業員は職を転々とする可能性がある。

北欧型は解雇されても安心だが、重い税負担がある。

日本型は企業が負担する。

結局は誰かが負担をしているので、個々のケースで見れば自分は北欧型の方が得なのにとか、ウチの会社はアメリカ型だったら楽だったのにとか、そういったケースはいくらでもあるだろうが、全体では「負担の総量」は同じと考えて良いだろう。

しかし、一つ問題がある。日本型はアメリカ型・北欧型と比べて雇用とセーフティネットが切り分けられていない。本来は雇用が失われた際にあるべきセーフティネットが企業に内在されているため、解雇されることが人生の転落につながりかねない。一時問題になった派遣村はまさにそれを象徴していた。多くの人に「ため」が無いため、派遣切りされた途端にホームレスに転落してしまうという指摘があった。

これは100%同意しかねる部分もあるが「雇用自体がセーフティネット」という、歪んだ、そして倒錯した状況を指摘したものであれば正しいということになる。そして最もセーフティネットが必要な非正規雇用者は失業保険を受け取る事すら出来ない。

■企業のインセンティブをコントロールすべき。

何の話をしているのかというと、これは企業のインセンティブ(動機付け)の問題と大きく関わる。

雇用のリスクを企業に負わせると、すでに説明したように従業員にリスクは還流されてブラック企業発生の原因になり、池田氏も指摘するように雇用に強いブレーキが掛かる。例えば給料の一年分を払えば解雇できる、というルールになったらどうなるか。4億円の投資が一気に数十分の一に減る。これは城繁幸氏も指摘する方式だ。

例えば年収500万円で若い社員を雇うことは、解雇規制を考えれば億単位の投資となる。しかし一年分の年収でいつでも解雇出来るのなら雇用のリスクは億単位から一気に500万円まで下がる。結果的に社員を雇いやすくなる。つまりインセンティブが大きく変わり、クビに出来るから雇える、という事だ。

コレがわからない人は、クビに出来るから全員クビになると勘違いをする。リスクを受け入れる事で利益が増える......これは資産運用でもビジネスでも基本的な原則だ。預金と株の違いと同じで、安定と大儲けは両立出来ない。

もちろん、誰もがリスクを取りたいとは限らないが、歩合制で働く人を除けば殆どの人が「預金」しか選択肢が無い状況だ。

■解雇特区が日本を救う?

解雇規制を緩和した地域を作って企業を誘致しようというアイディアが当初アベノミクスにはあった。しかし、このアイディアは遅刻をすれば解雇するなど従業員に不利な雇用契約が結ばれかねない、と批判されて頓挫した。この批判もあまりにトンチンカンとしか言いようが無い。社員1人を雇う事がいかに手間がかかり、いかにコストがかかるか全く理解していない。企業が解雇のオプションを確保しておきたい理由は、企業経営のリスクを下げたいからだ。

雇用のリスクは誰が背負うべきか。これに現実的な答えをだすのなら、企業に集中していたリスクを国と従業員にも分散すればいい、ということになる。企業に集中していた雇用のリスク・責任を先ほどの例のように年収一年分など金銭解雇を認めることで限定する。

この限定というのが企業経営では重要だ。様々な条件をクリアすれば現在でも解雇は可能だ。しかしそれをクリアする頃には会社は潰れているかも知れないし、クリアしたつもりでも後から裁判でひっくり返されるかもしれない。つまり「雇用リスクは500万円」というように定量的に計算できない。計算できないからリスクとなり、雇用が絞られる。

そしてリスク負担の一部は失業保険と職業訓練の充実で国に、一部は解雇を可能にする事で従業員に、といった具合だ。年収一年分の負担はあくまで一例だが、企業のリスク負担としては金銭解雇の支払い分と雇用保険の負担を増やせば良い。

今の雇用保険料は給料のわずか1.5%だ(業種により異なる)。この料率は健康保険や年金の1/10以下であり、はっきり言って異常だ。病気になるリスクや長生きをして生活費が足りなくなるリスクと較べて、失業するリスクは1/10という事か。これは終身雇用の幻想を引きずったままだ。

シンプルに方針を示すのであれば、企業は徹底した競争を、国は手厚いセーフティネットを、という形で切り分ける形にすれば歪んだインセンティブを解消できる。

解雇規制の緩和については散々議論されてきたが、「企業は雇用を守れ!」とハチマキを巻いて拳を振り上げるレベルから一歩も進んでいない。解雇規制の問題は企業が社員をクビできるようにすべきかどうか?という小さな議論ではなく、雇用のリスクを誰がどのように背負うべきか、という社会保障制度も含めた非常に重要な経済政策だ。何度も繰り返すが立場や意見の違いは一切関係なく、雇用にはリスクがあり、そのリスクは誰かが負担しないといけない。

働き方については以下の記事も参考にされたい。

今のまま人手不足が解消されたら、またブラック企業ネタの記事が経済メディアで並ぶことになるだろう。もう同じ過ちは御免被りたい。

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