ヒトラーと安倍総理は「個性的」か。~ひ弱な総理が独裁者と呼ばれる理由~

総理大臣として野党と対峙せずに逃げだしてしまったこと。それをごまかして体調が悪かったんだと都合の良い話にすり替えること。これをひ弱と言わずに何と表現するのか。

先日、報道ステーションでドイツのワイマール憲法からなぜナチス政権が生まれたのか、という主旨の特集が放送された。このニュースは直接的な表現は避けていたが、安倍総理の憲法改正に反対する立場としての報道だと言われている。

安倍総理とヒトラーを重ねた批判は度々目にする。安倍総理がそこまで批判されるほど凄い政治家だとは思わないが、強く批判するためにヒトラーと同じという表現につながっているのだろう。

意見の違いは別にして、こういった批判は個人の性格、性質、思想信条によって問題が起きている、つまり該当する人物(今の日本なら安倍総理)さえいなくなれば問題は解決するという無意識の発想が根本にある。

安倍死ねとツイッターで書き込んでしまう人は安倍総理を危険人物とみなしているのだと思うが、自分から見ればこのような無意識の発想の方がより無防備であり、危険だと言わざるを得ない。先日、ジャーナリストの佐々木俊尚氏がまさにその点について言及していた。

■反権力が無意味な理由。

佐々木氏は漫画家の竹熊健太郎氏が「ジャーナリズムの基本は反権力であるべき」とつぶやいた事について、以下のように発言している(以下、ツイッターの連投を一部引用)。

「この時代状況で、私たちは権力=システムとどう向き合うのかという認識のありようをもう一度再構成しなければならない。反権力を声高に言っているだけでは、何も進みません。反権力を言うだけの人に対し「代案を示せ」という批判が増えてくるのは当然のことです。

もう一度再定義すべきことは、民主主義政体においては、われわれも権力=システムの一部である。それは選挙だけでなく、われわれの日常のさまざまな活動や言論にも拠るのです。公権力に対しては賛同する時は賛同して支え、異論があれば反論し、自分たちが社会を担うのだという意識を持つこと。

もちろん、時には反権力も必要です。権力監視という意味ではね。しかし反権力・反安倍政権を訴えているだけでは、それは何も生み出しません。

ついでに付け加えると、ひたすら安倍首相をヒトラーになぞえたがる人たちは、ヒトラーが存在しなければナチスドイツの第三帝国も生まれなかったと思っているのでしょうか。安倍さんさえいなくなれば世の中がよくなると?

歴史はただひとりの個人によって生まれるのではありません。歴史はその時代の状況・背景、さまざまなパワーバランスにおける相互作用によってダイナミズムを生み出してくるのです。個人は小さな役割を果たすにすぎない。

歴史にイフを言っても意味ありませんが、かりにヒトラーがいなかったとしても、WW1後のドイツの悲惨な状況では同じような政権が生まれてきた可能性は充分にあるでしょう。

ヒトラーがいなければ、安倍首相がいなければ......と捉えている人は、ひとりの悪者が社会を悪くしているという認識なのだと思いますが、権力=システムを形成するのはひとりの個人ではありません。社会の状況と国民の行動や言論、政治家のリーダーシップが重なるところにシステムは生まれる。

以上です。まあ「アベ政治を云々」と言ってる人たちには届かないかもしれませんが......。良識的な思考を持つ人たちに届けたいわたしからのメッセージでした。

佐々木俊尚氏のツイッターより 2016/02/11」

表面的に読むと支持者による安倍総理の擁護と誤読されそうだが、佐々木氏が書いている事は、象徴的な人物がいなければ問題は消えて無くなるのか? という極めて根本的な問題だ。

単純な例え話をするなら、お金が無く飢えに苦しんでいる人はそうでない人に比べて万引きをする可能性は高いだろう。これは万引きが発生する構造的な問題、つまり貧困という状況によって個々人の性格や性質とは関係なく同じ行動をしてしまう人が多数いる、とみることが出来る。

根本的な問題の解決方法は万引き犯を厳しく取り締まったり防犯を強化すること以上に、お金が無い人を減らす、つまり福祉を充実させる、景気を回復させるといった状況・環境を変えることが本来の解決策となる。

あらゆる問題は、同じ状況になれば誰もが同じ行動をとる、あるいは似たような人物が登場する、と「個人の性質」だけではなく「構造的な問題」と捉え直すことで全く違う世界が見えるようになる。

これは哲学や文学の分野で「実存と構造」と呼ばれる対立軸として考えることができる。ウェブメディア編集長として、政治を題材にその対立を説明してみたい(記事の目的は学問的に厳密な議論をする事ではないので、その点は専門書に譲りたい)。

■変人・小泉総理は個性的か?

近年、日本の政治家で最も個性的と言える政治家は小泉元総理だろう。小泉氏が総理になるまでの状況は構造と個人的な性質の関係を考える際に理解しやすい事例だと思われる。

※本文でいう個性的とは褒め言葉ではなく、単純に他者との差異が大きい人という意味である。

変人とあだ名された小泉氏は、自民党をぶっ壊す!と総裁選でアピールしながら、自民党総裁として総理大臣に就任した。これほど奇妙な行動をとる、つまり個性的な政治家は滅多に居ないだろうし、小泉氏のような政治家が自民党総裁に、そして総理大臣になったことは極めて珍しい出来事だと言える。

一方で、小泉氏の個性とは別に外部の環境・構造はどうだったか。小泉氏の前に総理を務めた森元総理は最近もオリンピックに関わる各種トラブルで度々名前が出るたびに批判を受けたが、政権末期に支持率は一ケタと異常な低さを記録した。

当時は民主党政権の誕生前であり、一度民主党にやらせても良いのでは?という空気が醸成されつつあった時期でもある。まだ政権交代に至るほどでは無かったが、森総理のもとで行われた衆院選挙でも与党は大幅に議席を減らし、民主党は躍進している。

これらの状況をざっくりと説明すると、いつかは選挙で大敗して政権の座を失いかねないという危機感が自民党内で極めて強くなっていたと思われる。つまり、このままでは野党に転落してしまうという危機感から自己変革を必然的に求められ、従来とは異なる「極めて非自民党的な政治家」が総裁となり、総理大臣となる土台・環境は確実にあったといえる。

このように、小泉総理の誕生という異常事態ですら構造的な視点から見れば必然性があったことが分かる。

ヒトラーの登場も同様だ。ドイツが第一次世界大戦で敗戦し、巨額の賠償金により国内は荒れてハイパーインフレも発生し、自国を窮地に陥れた弱い政治家と周辺国家への反発から、極めて民族主義的で強い政治家が登場する土台は確実にあったと推測される。

人類にとって最悪な事態はよりにもよってその結果選ばれた政治家がヒトラーだった事だが、ヒトラーがいなくとも、似たような政治家が生まれた可能性は高かったのではないか?

ということになる。これは佐々木氏も指摘している通りだ。

■原因と結果の取り違えが問題を悪化させる。

このような見方は、だから仕方の無いことだったんだ、ということではなく、何かトラブルが発生した時に、表面に現れたものは「原因」ではなく「結果」でしかない、という考え方をしない限り、問題の解決はできないということだ。

これは政治に限らない。最近では、奨学金を返せずに困っている人の存在が度々報じられるが、問題の原因は奨学金の存在ではなく、そもそも教育に投じられる税金が少ない、学費が高い、大学教育が就業・収入に結びついていない、という点だ。

奨学金の返済が出来ずに困る人の存在は原因ではなく結果だ。これは「奨学金の取り立てを強化すべき理由。」でも書いた。

最低賃金を上げろというデモも度々目にするが、これも低賃金は結果でしかなく、日本の生産性は低く、先進国の中では最低クラスに貧乏な国であることが低賃金の原因である事は明白だ。これは「なぜスイスのマクドナルドは時給2000円を払えるのか?」でも書いた。

表面に現れた「結果」を「原因」だと勘違いしてしまう、これは思想・信条や政治的な立場に関係なく、単純に読解力の問題だ。ネットで各種情報に簡単にアクセスできるようになった一方、SNS等でタコツボのように同じ考えの人だけが集まって考えを純化していくことで真理から遠ざかり、表層的な理解に留まってしまう人は増えているように見える。

グーグルは神に例えられるほど便利だが、自ら疑問を持って検索をしない限り答えは示してくれない。神は自ら助くる者を助く、ということだ。

■ひ弱な総理が独裁者と呼ばれる理由。

さて、では安倍総理が独裁者とかヒトラーとまで言われてしまう理由はどこにあるのだろうか。最初に言えることは、近年安倍総理ほど「ひ弱」な総理はいないということだ。これは第一次安倍政権の退任を思い出せば良く分かる。

当時の安倍総理が退任理由として語ったことは、野党が話し合いに応じてくれないから、ということになっている(当時の民主党代表は小沢氏)。退任のあいさつはネット上にあるので確認して欲しいと思うが、一言も病気には触れていない。しかし現在では当時の安倍総理は体調を崩して辞めたということになっている。

以前TVの情報番組で、安倍総理はお腹を壊して総理を辞めたと司会者が揶揄した発言をしたのに対して、「病気に苦しんでいる人をバカにした酷い発言だ」と安倍総理本人が猛反発したが、退任のあいさつでは健康問題に一切触れていない。

これは政治学者の上久保誠人氏も指摘している客観的な事実でもある。(5年前の首相辞任理由はねじれ国会での困窮"チーム安倍"の問題点と「本当の課題」|上久保誠人のクリティカル・アナリティクス 2012/10/10)

当時から体調悪化は度々報じられてはいたものの、公式見解としては野党が話し合いに応じてくれないから辞めると公表したからこそ、政権を放り投げた、総理の椅子はそんなに軽いのか、と徹底的に批判され、馬鹿にされ、自民党の野党転落へはずみをつけた。

その後の転落の切っ掛けを作ったという意味において、安倍総理は民主党政権の生みの親と言っても過言ではない(体調不良が原因と公表していれば同情が集まり、民主党政権誕生は無かったかもしれない)。

総理大臣として野党と対峙せずに逃げだしてしまったこと。それをごまかして体調が悪かったんだと都合の良い話にすり替えること。これをひ弱と言わずに何と表現するのか。安倍総理を支持している人も、ヒトラーとか独裁者と批判している人も、そんな酷い状況だった事を全部忘れてしまったのだろうか。

これは現在の安倍政権が、従来なら一発で失脚しかねないほどのスキャンダルを連発している状況を考えても、安倍総理が政権をコントロールできない弱い政治家である事は明らかだ。

■安倍総理が独裁に見える理由は野党のせい。

そんなひ弱な総理がヒトラーとか独裁者と呼ばれるのは失笑モノとしか言いようが無いが、その原因となっている状況・構造は明白である。

野党がもっと弱いからだ。

特に野党第一党の民主党は何を言っても、何をやっても与党であった頃の同様の失敗を責められ、与党を批判するたびブーメランと言われる始末だ。国会でのやり取りを見ていても、保育園に関する匿名ブログを取り上げた民主党議員のように、野党の雑な質問を総理が小馬鹿にしながら適当に受け流す、というやりとりが度々目撃される。このような態度になる理由は野党を全く恐れていないからだ。

民主党の掲げる政策を聞かれてまともに答えられる人はほとんど居ないだろう。それだけ野党として対抗できていない、対案を提案出来ていない、つまり弱いということになる。

そして数年前まで与党の立場にあった民主党は党名も消滅し、維新の党と合併することになった。これからは他の野党と組んで自民党と対決するつもりのようだが、その言いだしっぺは「確かな野党」をうたい、政権を取る気すらない少数政党の共産党だ。一致団結して自民党に勝つどころか、一網打尽にされて全ての野党が泡沫政党になりかねない。

もし今後、安倍総理が本当に独裁者と呼ばれるほど強権を発動するようになれば「野党の自滅によって独裁者になる」という、史上初の珍事として歴史に名を残すだろう。

野党支持者は安倍総理を批判する前に、自身が支持する政党を、政治家を「あんなひ弱な総理に負けるとは一体どうなっているんだ」と批判すべきではないのか。

今回の記事が現在の奇妙な政治状況を考えるきっかけになれば幸いである。

【参考記事】

中嶋よしふみ シェアーズカフェ・オンライン編集長 ファイナンシャルプランナー

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