琥珀色の喫茶店

昭和を生きた人なら、あれだけあった喫茶店が、店主の力だけでは抗えず、きれいサッパリ街から失くなってしまったのは、風俗の持つ宿命とはいえ、寂しいやら切ないやら、なんとも薄ら寒い気がします。

川口葉子さんの著書

『東京の喫茶店 琥珀色のしずく77滴』は、

東京に残る琥珀色の喫茶店を、

川口さんの素敵な写真と文章で紹介しています。

タイトル通り、

現存する琥珀色のお店を丹念にすくいあげ、

上梓されていますが、

この本を読んでくと、

「余命いくばくもない琥珀喫茶を看取ってあげたいの」、

という川口さんの愛が感じられます。

(そんなの井川さんの深読みですよと、笑われる気もしますが)。

でも。

昭和を生きた人なら、あれだけあった喫茶店が、

店主の力だけでは抗えず、

きれいサッパリ街から失くなってしまったのは、

風俗の持つ宿命とはいえ、

寂しいやら切ないやら、なんとも薄ら寒い気がします。

いまある百花繚乱のカフェだって、

きれいサッパリ街から失くなってしまう運命なんだ、

そう予感するからでしょうか。

かつて。

あすこには暗黙のルールがありました。

読書をする、小声の会話を楽しむ以外のことはしない。

客と店員とのほどよい距離を保つために、

店員はけして、明るさやフレンドリーさを出さない。

無駄のない店員の所作はひとつのインテリアで、

珈琲を淹れるときは、微動だにせずお湯を点々と

ドリッパーに置いてゆく(味はともかく)。

スピーカーはなるべく大きく、音量は小さく、

クラシックかモダンジャズ、たまーにシャンソンを。

パリのカルチェラタンにあるような

琥珀喫茶がボクは大好きでした。

よくよく通ってました。

こういうお店はいまでもとても必要とされている気がします。

もう一度、あの文化を復活させることができないのでしょうか。

結論から言うと、ボクはもうあぁいう店は作れないと思います。

琥珀喫茶の琥珀に一役買っていたのは、間違いなく煙草の煙です。

顔に刻まれたシワが、その主の生きざまを物語るように、

煤けた壁はその店の有りざまを物語っていたわけです。

客が日夜、煙草の煙のなかで思惑した時間が、

店を琥珀に染め上げていたのです。

ところが、受動喫煙防止を目的とする健康増進法という法律ができて、

禁煙もしくは、分煙の店が増えました。

そのルールのもとでは、

もはやあの頃のような琥珀喫茶を、新規開店するのは難しいのではないでしょうか。

当時、琥珀喫茶が相手にしていたのは男性客です。

それに比べて、いまのカフェは圧倒的に女性客が中心です。

これも、男女雇用機会均等法というルールができ、

女性が職場に増えたせいだと思います。

雀荘や居酒屋ではなく、

働く女性たちが語り合う場所が欲しいというニーズに

カフェがぴたりとはまっているのです。

そしてカフェは、どの店もガヤガヤしていますね。

(もちろん静寂の維持を努力されている何軒かのお店を除けば)

そして、イヤホンをしている人も多いですね。

そういうことは喫茶店ではあまりなかったことだとボクは記憶しています。

これを喜ばしいと受け止めるヒトと、嘆かわしいと取るヒトといます。

嘆かわしいと思う多くのヒトは、一昔前の喫茶店を懐古し、

昔はよかったと思っているのではないかしら。

スターバックスなどのチェーン店と、

うちみたいに小さくて店主が前面に出ているカフェはよく比較されますが、

ボクは似たようなものだと思っています。

似たようなというのはどういうことかといいますとね。

こんなことがあります。

採用面接をしていると、

「チェーン店のようなファストフードは、

ちょっと私は違うかなぁと思うんです。

お店でなんでも作って、

コーヒーも自分達できちんと淹れる。

なにより店員さんが明るく、楽しそうに働いている、

そういう感じがすごくするので御社で働いてみたいです」

これが、ボクがする面接時の応募者の常套句です。

なるほど、なるほど、ありがたいことですよね。

ボクらのような小さいカフェも存在意義があると励まされているし、

それに私も加担したい、と言ってくれてるんですから。

ところがいざ採用してみるとですね。

かなりの確率でスタバで働いていた店員が集まります。

これは皮肉です。

ボクがスターバックスがすごいと思うのは、

明るく、はきはき、フレンドリーな接客を、

カフェの当たり前にしたことだと思います。

そういう意味で、ボクらはスターバックスの作ったルールの上で

ニッチを探しているにすぎない。

スタバに異を唱えている人を集め、エイエイオーと言ってみたところで、

お釈迦様の手のひらの悟空なのです。

琥珀喫茶が再び息を吹き返すことがないのは、

そもそものルールが変わってしまったからなのです。

店の音楽やインテリア、細部に店主の趣味を反映させ、

無難な店は作らない。

そして、そういうものを好むコアな男女を集める。

そういうサロン的なカフェは残るだろうと思います。

そして、そのお店独自のルールというものを作り上げ、

貫くだけの根気と柔軟さが必要なんだと思います。

そういうルールを作り、貫いたところだけが、

この時代でも、琥珀色の喫茶店として、わずかに生き残っているわけですから。

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