在宅での看取りにむけて 結論を急ぐことはありません

「率直なところ、やってみなきゃ分からないんです」
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「ご家族に相談しましたが、自宅での看取りは難しいとのことでした」

先日の回診でのこと・・・、研修医がまっすぐな目でプレゼンしました。もちろん、患者さんのベッドサイドではなく、カンファレンスルームでのことです。

「ほうほう」と私は言いました。「なんて相談したんですか? 家で看取れますかって聞いてみたの?」

「はい。おおむね、そんなふうに確認したと思います」と研修医。

「そしたら、ご家族は何と?」

「不安だそうです。難しいと言ってました」

90代の高齢女性。長らく自宅で介護されてきましたが、今回は肺炎をきっかけに入院されています。感染症の治療は終了したものの、もはや経口摂取は望めぬほど衰弱され、いわば老衰と言わざるをえない状態となっていました。ご家族は経管栄養を含めた延命処置は希望しておらず、静かに自然経過に任せてほしいと望まれています。ご本人も同じ思いを伝えていたようです。

私の病院には、地域ケア科という在宅医療を提供するチームがあるため、研修医なりに考えて、ご家族に自宅での看取りを提案したようです。そうした選択肢を想起できる病棟医は素晴らしいですね。ただ、ご家族への相談の仕方がストレートすぎました。

私は言葉を区切りながら、こう話しました。

「ほとんどの家族にとって、自宅での看取りというのは未経験のこと。まあ、誰だって不安です。<できますか?>って聞いて、<大丈夫です>って人はまずいませんね。いくら言葉を尽くして僕らが説明したとしても、その不安は払しょくされないでしょう。率直なところ、やってみなきゃ分からないんです」

「たしかに・・・」と研修医。医師として2年目に突入し、いろいろと自分で判断すべきことが増えてきています。より家族の葛藤が身近に感じられる時期でもあります。

私は話をつづけました。

「実のところ、看取りの瞬間をどこで迎えるかなんて、現時点では、さして重要なことではありません。いま、ご本人の希望に沿って、家に帰れるかどうかを考えましょう。入院する前に比べて、ADL(日常生活動作)は低下してますか?」

「してません。もともと、寝たきり全介助でした」

「だったら、このまま自宅に帰れるんじゃないですか?」

「帰れると思います」

しかし、研修医は何かを探しているように見えました。あるいは彼の内側から、ご家族の不安がにじみ出ているかのようでもありました。大切な感性です。だから私は、その不安を否定することなく、こう持ちかけてみました。

「でも、その先が不安なんですよね。自宅に帰るにあたっては、いつでも連絡できるよう、24時間対応の訪問看護に入ってもらいましょう。それをバックアップする緊急往診の体制も整えましょう。それでもダメだと思ったら・・・」

「それでもダメなときは?」と研修医は繰り返しました。

「ご家族には、<いつでも病院に運んでもらって構いません>と伝えてあげましょう。でもね。ゆっくりと穏やかに、その時が近づくにつれ、むしろ不安は遠ざかっていくんですよ。ご家族から、<これなら家で看取れるかもしれません>という言葉が出てきます。もちろん、ダメだと思ったら病院に運んでもらって構いません」

「なるほど・・・」

「僕から、ご家族に話してみましょうか?」と私は言いました。

「いえ」と研修医は言いました。「もう一度、私から説明させてください」

たぶん、その方が良いでしょう。ご家族の葛藤に共感できている研修医こそが、より親身に説明してくれるはずです。

そして・・・、その翌日の研修医のプレゼン。

「ご本人の希望に沿って、ご家族が自宅に連れて帰るそうです。訪問看護もセットできました」

「ほうほう」と私は言いました。「良かったですねぇ。ところで、訪問診療はどうするの?」

「地域ケア科に依頼するつもりです」と研修医。

「もともとの、かかりつけ医は誰ですか?」

「A診療所のB先生です」

「だったら、まずはB先生にご相談してください。経過についてご説明して、そのうえで主担当を決める必要があります。かかりつけ医とご家族の信頼関係を尊重してください」

「なるほど・・・」

「僕から、B先生に相談してみましょうか?」

「いえ」と研修医は言いました。「私から説明させてください」

一歩、一歩・・・ 研修医は成長しています。