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2017年12月22日 18時59分 JST | 更新 2017年12月22日 18時59分 JST

セカンドキャリアのモデルケース

2人のセカンドキャリアについて書いてみた。

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来年の春の選抜甲子園へ向けて、夏の終わりから新チームとなってから初めての公式戦として臨む秋季大会が各地で繰り広げられた。ご存知の方は多いと思うが、この秋季大会の成績が春の選抜へと繋がる。地方大会で優勝や準優勝したチームが近畿大会や関東大会などに出場し、今度は各地区での対戦が行われ、べスト4以上に入ると選抜に選ばれる可能性がグッと高くなる。またその地区大会を制したチームは、明治神宮大会という秋の全国大会に出場することとなる。

今回、甲子園ではなくこのタイミングで記事にしたのは、特徴のある指導者がこの秋季大会で活躍したからである。一人は関東大会を制して初優勝し、明治神宮大会にも出場した千葉県にある中央学院高校の相馬幸樹監督。そして、京都大会で初優勝し、近畿大会もベスト4まで勝ち上がった、以前私の記事

https://www.huffingtonpost.jp/yoshinobu-sawai/athlete-second-career_b_7253740.html)にも登場した、乙訓高校の染田賢作部長である。この二人は元アスリートであり、競技引退後、大学院に通い、学校の先生となった共通項がある。

相馬監督は、市立船橋高校で甲子園に出場し、大阪体育大学時代は64回2/3イニング連続無失点というリーグ記録を持つ。大学卒業後は、社会人野球のシダックスに入団し、野村監督時代も選手としてプレーした。その後、大阪体育大学の大学院に入り、修士号を取得。そして今の高校に採用された。中央学院高校はプロ野球選手も輩出し、県内ではいつも良いところまで勝ち上がるのだが、まだ甲子園には縁がない。6年前、中央学院のスタッフは、相馬監督、そして週3日コーチとして来る、当時大学生のOB一人、あと野球経験のない先生2人という環境の中、チームを作り始めた。社会人野球まで経験してきた相馬監督だか、普段は温厚で口調も優しい。野球に対する思いが強いのはもちろんだが、ただ単に練習をさせるのではなく、コーチ以下、組織というものを常に意識してチーム作りに取り組んできた。高校野球には珍しい、野球部のマニュアル本も作成したりしている。

大学院時代は「投手における心理状態尺度の開発とメンタルトレーニングの応用」の研究を行なった。大学院に行った理由は、「後に指導教授になる方が社会人入試というのがあると教えてくれて、野球辞めて社会で役に立つ自信がなかった。あと何で自分が野球選手としてダメだったのか、その原因を突き止めたかった。」と言っている。ここ数年間いろんな苦労があったと思うが、どのようなことを考えてチームを作ってきたのか。大学院時代の経験が今に生きているか聞いてみた。「先行研究から掘り下げて修士論文を書き上げる作業は、野球が上手くなるのと同じような感覚で楽しかった。マニアックになる感覚というのかな・・・。

その感覚で今仕事ができているので、その経験は生きている。」また相馬監督が考える指導とはどんなものなのかという質問に対しては、「指導というより「サポートと環境作り」を意識している。」と言う。これは自身の野球時代の経験、また大学院時代に研究する環境、サポートされてきた経験からそのような意識が芽生えたのであろう。また自身が引退後、会社に残ることを選ばず、今の職業に就いた。セカンドキャリアについてどう思うか?という質問に対しては、「セカンドキャリアは、野球の世界と社会に出た時のギャップを埋めることが一番難しかったので、野球以外でのアイデンティティをいかに作り出せるかが一番重要だと思う。要するに野球で学んだことを社会に活かす方法に気がつけるかどうかが重要なのではないでしょうか。」と言う。大学院時代、そのアイデンティティが磨かれ、コツコツと研究を重ねてきた経験がこの秋の結果につながったのではないだろうか。

乙訓高校の染田部長は、奈良県の郡山高校時代に甲子園を経験。同志社大学に入学し、4年生時には関西学生リーグでリーグ初となる完全試合を達成。高校時代はサードとピッチャーの両ポジションを守っていたが、大学時代、始めは内野手のサードとして入部してきた。入学当初はいきなりベンチに入ってバリバリ活躍するような選手では無かったが、先輩のバッティングピッチャーをしている時、そのコントロールや変化球がすごく良かったことから、本格的にピッチャーに転向。徐々に頭角を現し、3年生から先発投手として活躍し始めた。完全試合を達成した年、ドラフトで当時採用されていた自由枠で横浜ベイスターズに入団した。しかし、思うような結果を残せず、2008年戦力外通告を受けることとなる。その後ベイスターズのバッティングピッチャーを経て、2011年同志社大学大学院に入学。自身の経験から「プロ野球組織の社会化戦略~プロアマ規定を視点に~」というテーマで研究をし、教職免許を取得した。そして、京都の教員採用試験に合格し、2015年現在の乙訓高校の先生となる。乙訓高校も甲子園に縁がない高校であった。

染田部長は、「教職を取るため大学に通うことも考えたのですが、それだけではもったいないと思い、どうせなら+αで大学院に行って研究しようと思いました。」という理由で大学院に入学した。大学院時代の勉強を振り返り、今の指導にこう生きていると話す。

「プロ野球に入り引退するまで野球漬けの毎日でありましたが、大学院で学び始めて人生をしっかりリセットすることができました」。また、セカンドキャリアを研究してきて、今の自分の立場、キャリア形成をどう見るか聞いてみた。「現在は毎日が充実しているので、教員になるまで時間はかかりましたが、この道を進んで良かったと思います。ただプロ野球選手の時にもっと必至に野球しておけばよかったと思います。

特に今、高校生に教えるために本を読んだりすると自分は甘かったと自覚することがあります。また教員としてはまだまだ未熟なので、もっともっと成長しなければ駄目だなと思っています。」高校生の成長を指導していく立場として、もっと自分を成長させなければいけない、生徒の成長と共に自分も成長していけることが今のモチベーションにも繋がっているのであろう。また染田部長が考える指導とは?という質問に対しては、「勉強も野球も一つの道具に過ぎない。それらの道具を使うこと自分を磨くことが大切。野球という道具を使って、礼儀や忍耐力、努力することの大切さなどを学ぶことが大切だと思います。」と言った。「自分を磨く」。今でももっともっと成長させなければいけないと思っている染田部長らしい言葉であった。

相馬監督も染田部長もアスリートとしての経験や反省を今の指導に活かしている。特に今後の人生を考えるうえで重要な時期である高校生達の指導を行う立場で、2人の経験はとても生かされるであろう。

今回、2人のセカンドキャリアについて書いてみた。決して大学院に行くことが正解ではない。ただ、自分の人生設計の中の選択肢として大学院があったのだ。アスリートのセカンドキャリアには様々なモデルケースがある。何が正解で何が間違いかというのはない。ただ、社会で活躍されている元アスリートはもっともっといるはずである。そのようなモデルケースの成功例が世の中に出ていないだけではないだろうか?またこのようなモデルケースがあれば、是非書いてみたいと思う。

来年の1月末、選抜甲子園出場の吉報が二人に届くことを祈りつつ、二人の満面の笑みを見られることを楽しみにしている。

(2017年12月15日「MRIC by医療ガバナンス」より転載)