Q1.選挙結果はどうなりましたか?
2016年11月8日に米国で大統領選挙(正確には一般有権者による大統領選挙人に対する投票)が行われました。
その結果、図表1にあるように、共和党のトランプ候補が選挙人を279人獲得した一方で、民主党のクリントン候補は228人にとどまりました(情報は16年11月10日午前7時時点)。選挙人による投票は12月中旬が予定されており、これを受けて翌17年1月上旬に大統領及び副大統領が正式に決定されますが、この間に結果が覆ることはまずありません。そのため、トランプ候補が17年1月20日に、第45代の大統領に就任する見込みです。
同時に行われた上下両院の議会選挙でも、トランプ候補を擁した共和党が勝利しました(図表2)。
事前の結果予想では、民主党が上院を制する公算が大きいとされていましたが、それが覆された形となりました。なお一連の選挙結果を受けて、年明けから開催される115議会(17~18年)では、112議会(11~12年)以降米国で続いてきた「分割政府(大統領の出身政党と議会の多数派である政党が異なる状況)」が解消する運びになりました。
選挙戦終盤の支持率は、民主党から出馬した元国務長官のクリントン候補が共和党から出馬した実業家のトランプ候補を上回っていました。
双方が醜聞合戦を繰り広げる異例の展開となる中で支持率は拮抗し、選挙戦後半にかけてトランプ候補の失言を受けてクリントン候補が支持率を大きく伸ばす局面もありましたが、選挙戦終盤に私用メール問題(クリントン候補が国務長官時代に公務で私用のメールアドレスを使用していた問題)を巡ってFBI(連邦検察局)がクリントン候補に対する捜査を再開したことなどを受けて、支持を決めかねていた有権者の浮動票がトランプ大統領に流れたと考えられます。
Q2.なぜトランプ大統領が誕生したのでしょうか?
トランプ候補を大統領に押し上げた最大の推進力は、米国民の間に広がる現状への不満、つまり変化を求める声にあったと考えられます。
国民が抱く現状への不満は多岐にわたりますが、その1つに、深刻化する所得格差の問題があります。所得階層ごとに米国の実質所得の変化率を08年と14年で比べてみると明らかなように、米国では08年に生じた金融危機以降に経済格差が顕著に拡大しました(図表3)。
つまり「富める者はますます富み、貧しき者はますます貧しくなる」という「マタイの法則」の状態に、米国は陥っています。この間、株高が進むなどしましたが、そうした恩恵は「富める者」に集中したことになります。
また世代間格差の問題も深刻化しており、その端的な例として、大学授業料の高騰が挙げられます。06年から15年までの10年間で、米国の消費者物価指数(CPI)は17.6%の上昇にとどまりました。しかし、教育関連費に限れば、その上昇率は48.4%にまで高騰しています(図表4)。米国でもまた大学を卒業するかどうかで生涯賃金に大きな差が出るため、学生は多額のローンを組んでまで大学に通うことを選択します。しかしながら、低金利とはいえその返済の重みに耐えきれずに自己破産をする若者が後を絶たず、深刻な社会問題になっています。
さらに、時代の変化から取り残された人々の不満も高まっていました。産業構造の変化や宗教観・価値観の多様化についていけない人々の不満が、米国では着実に高まっていました。そうした人々を中心に、中南米からを中心とする移民に対する排斥の機運も強まりました。現状に強い不満を持つ有権者にとって、そうした環境を作り出したのは民主共和両党の主流派、つまり中道政治に他なりません。
言い換えると、中道政治の担い手であったヒラリー候補や共和党の多数派には米国の将来を委ねることができないわけです。発言に一貫性がなく失言も多い、まして政治経験が一切ない人物でも、浮き沈みが激しいながらも不動産王として財をなし、既存の政治の枠組みに納まっていないトランプ候補であれば、現状を打破してくれるかもしれない。そういった有権者の声が、トランプ候補を勝利に導いたと考えられます。
Q3.米国経済にとってどのような影響がありますか?
トランプ候補は演説や討論のたびに主張を変化させているため、一貫した政策ビジョンを必ずしも有していないと考えられます。実際、開票作業が進むにつれてトランプ大統領が誕生する可能性が高まると、金融市場では新大統領の政策運営に対する不透明感を嫌気してリスクオフの動きが加速し、ドル円レートは一時101円台に突入しました(図表5)。
その後金融市場の混乱はいったん収束し、ドル円レートは105円台まで水準を戻しましたが、今後もしばらくは政策運営を巡る不透明感が金融市場の不安材料として残るでしょう。年明け以降、新大統領の政策運営の内容が見えてくるにつれて、今後はその実現可能性が問われることになりそうです。
こうした中で米国の政策金利(FFレート)の先物カーブを見ると、大統領選挙後は若干スティープ化しており、追加利上げ観測が後退したわけではありません(図表6)。
連邦準備制度理事会(FRB)は金融市場の安定を確認しながら年内の利上げを模索するでしょうが、来年以降を見通しても、追加の利上げに対して慎重なスタンスで臨むでしょう。もっとも、金融市場の動揺次第では、追加利上げを当面の間見送らざるを得ない状況に追い込まれるかもしれません。
他方で実体経済面では、トランプ候補は法人税の引き下げやインフラ整備を進めると明言しています。確かに米国の表面税率は世界的に見ても高水準ですが、それによって米国よりも法人税率が低い国(例えばアイルランド)への投資が減り、国内に投資が回帰する保証はありません。インフラ整備に関しても財源の問題があるため、規模は限定されると考えられます。したがって、こうした取り組みが景気を押し上げるとしても、その効果は限定的にとどまる見通しです。
そして、現職のオバマ大統領の下で整備されてきた経済政策が大きな転換を迎える可能性があります。具体的には、医療保険制度(オバマケア)の廃止や環太平洋パートナーシップ(TPP)協定からの離脱などが考えられます。オバマ大統領が進めようとしていた移民制度改革も、移民を制限する方向に転じることになるかもしれません。
他方で、金融規制に関しては緩められる可能性があります。トランプ候補はオバマ政権下で成立した「ドッド=フランク法」をほぼ全廃する意向を示しています。併せて08年の金融危機を受けて誕生した巨大金融機関の解体を進めて、納税者負担を軽減する観点から「大き過ぎて潰せない」問題の解消を図る可能性もあります。一方で、FRBの業務に対する干渉を強めようとするかもしれません。
そして任期を通じて懸念されることは、米国が「政策停滞」に陥る可能性があることです。分割政府は解消されたものの、トランプ候補と共和党の多数派との関係は必ずしも良好ではありません。そのため、同じ政党が制したにもかかわらず、大統領と議会との対立が先鋭化するかもしれない状況です。
そうした中で、議会が可決した法案に対して、大統領が拒否権を発動する頻度が上がるかもしれません。あるいは大統領が特別教書で議会に対して立法措置の勧告を繰り返し、それを議会が否決し続けることになるというパターンが定着する展開も考えられます。
いずれにせよ、新大統領によってスムーズな政策運営がなされるかは不透明な情勢です。米国でも、いわゆる「決められない政治」が常態化する中で国民の間で政治不信が一段と高まり、米国の政治制度にさらなる亀裂がもたらされるシナリオも否定できません。
Q4.金融市場や世界経済に対してどのような影響が考えられますか?
トランプ大統領の誕生によって世界経済が大きな影響を受けることはまず考えにくいと言えます。もっとも、トランプ大統領の政策運営が世界の金融市場に対して与える影響を見極めるまで、相場は荒れ模様の展開が続くでしょう。金融市場の動揺の度合いによっては、世界景気に下振れ圧力がかかるかもしれません。
金融市場への影響を展望すると、まず株と債券に関しては、投資家がリスク回避志向を拭えない中で、株安・債券高の流れが世界的に定着すると考えられます。もっとも新政権下で減税など景気刺激的な政策が打ち出されるとともに、それが実現できそうだという期待が高まれば、米国で株高・債券安の流れが進むとみられます。それが投資家のリスクセンチメントの改善につながり、世界的な株高・債券安に転じる可能性も当然あります。
為替レートに関しては、当面は対ドルに対する動きが別れそうです。リスクオフの際に買われやすい日本円やスイスフランに対しては、ドル安基調が定着するとみられます。他方で売られやすい資源通貨や新興国通貨は、基本的にはドル高基調で推移する見通しです。リスク回避志向が和らいでも低リスク通貨に対するドル安基調は崩れず、FRBの利上げが緩やかなテンポにとどまることなどから、全般的なドル高局面が訪れることは考えにくい情勢です。
政治面でも、内向き志向の流れが世界的に広まる可能性が考えられます。17年には欧州で大型の国政選挙が立て続けに予定されています(3月にオランダ総選挙、4~5月にフランス大統領選挙と6月に同総選挙、9月にドイツ総選挙)。いずれの国でも移民問題や所得格差への反感が高まっており、トランプ大統領の誕生がこうした動きを刺激する可能性は否定できません。
Q5.日本に対してどのような影響が考えられますか?
大統領選挙翌日の11月9日の東京市場では、トランプ候補が優勢であることが伝わるとリスクオフの動きが強まり、円高株安が進みました。ただニューヨーク市場での株価上昇やドル高を受けて、10日の東京市場では円安株高の流れに転じました。先に述べたように金融市場が再び動揺するリスクは残りますが、現状の金融市場の状態が維持されれば、大統領選挙の結果が日本の景気に及ぼす影響は限定的と考えられます。
通商政策や外交政策(とりわけ東アジアとの関係)の見直しに関して見れば、トランプ候補の過激な主張がどれだけ実施に移されるかが明らかになるためには、一定の時間が必要です。したがって日本が何か直ぐ影響を受けることはないと考えられるものの、長い目で見ると様々な影響が考えられます。
通商・貿易面では、トランプ候補の勝利によって米国がTPPに批准しない可能性が高まったため、TPPの発効は難しいと考えられます。TPPをはじめとする経済連携協定の締結は安倍政権の成長戦略の一つに位置づけられていましたので、成長戦略の見直しも迫られることになるでしょう。
例えば、国内における農業改革は、事実上TPPの合意を前提としていたため、TPPが発効しない場合には、農業改革の進展が遅れることになるかもしれません。また日本からの工業製品の輸出がこれまで期待していたほど伸びないと考えられます。
外交面では以下で述べるような影響が考えられます。
トランプ候補は日米安保条約が不公平であり、在日米軍の経費負担を日本に求めると繰り返し述べてきました。そのため、日本の防衛関係費の積み増しなど財政負担が増加することになるかもしれません。また外交における孤立主義の立場を強める観点から、新政権が対アジア戦略を見直し、関与の姿勢を後退させるようになれば、アジアでの地政学リスクが高まるリスクがあります。
なお再び急激な円高が進んだ場合ですが、米国で保護主義的な志向が強まる状況下では大規模な円売り介入を実施し難いため、日本銀行の金融政策に追加緩和圧力がかかることも予想されます。
(2016年11月10日「けいざい早わかり | 三菱UFJリサーチ&コンサルティング」より転載)