箱根のレース中に背中をぽんっ!"あの名シーン"のセルナルド祐慈さんにインタビュー

後ろから追い上げてきた選手が、前の選手を抜かす時に背中を「ぽんっ」と叩いた...。今年の箱根駅伝でも、様々なドラマが生まれました。

後ろから追い上げてきた選手が、前の選手を抜かす時に背中を「ぽんっ」と叩いた...。

今年の箱根駅伝でも、様々なドラマが生まれました。その中でも、4区で創価大学セルナルド祐慈選手が、駒澤大学のエース中谷圭佑選手の背中をタッチして抜き去っていったこのシーンは、大変なインパクトがあったと思います。チームメイト同士の励まし合いはあっても、他大学の選手とのコミュニケーションはなかなか目したことがありません。

あの時、どんな心境で「背中ぽんっ」をして抜き去っていったのか?その真相に迫るべく、今回はご本人、セルナルド祐慈選手にインタビューをしました。箱根駅伝当日のエピソードから、創価大学での練習について、更には今後の進路までたっぷりとお話しを伺いました。

順位を知らずに走った最後の箱根駅伝

まずは、箱根駅伝お疲れ様でした!スタートラインに立った時、どんな心境でしたか?

ありがとうございます。実際、スタートラインに立った時は「よしっ、俺の番だ!」と思って、前の大学に追いつきたいという気持ちでした。ただ、前半3kmくらいですぐにキツくなってしまって・・・。ペースが上がらずに苦しくなった時に、これが最後の箱根駅伝になるのだと実感が湧いてきました。

運営管理車に乗っている監督からも、「同期のメンバーの分まで走れ」と声をかけられました。そして、改めてタスキを確認した時に、「負けられない!」と思えました。

すごく楽しそうに走っているなという印象だったんですが、最後の箱根はどうでした?

今年はめちゃくちゃ楽しかったですね。2年前に創価大学が初めて箱根駅伝に出場した時は、自分の走りができませんでした。当時は5区で山登りをしたのですが、19位でタスキを受け取って、ずっと単独で走っていて、もうただただ苦しかったです。

それが今回の箱根駅伝では、7位でタスキを受け取って、自分の思った走りができて、2人を抜くこともできて、「駅伝をやれている!」と実感できました。前半はキツかったですが、後半はよく走れましたね。本当に楽しかったです。

でも実は、レース中は今自分が何位なのかを知らずに走っていました(笑)。付き添いメンバーからは「10位くらいじゃない?」と言われてたので、2人抜いて8位になったと思っていたのですが、走り終わってから5位だと聞かされて。正確な順位を事前に聞いていたら、もっと頑張れた気がします(笑)。

背中を「ぽんっ」の真相

あの時、どんな心境で中谷選手の背中をタッチしたんですか?

実は2年前の夏合宿で、駒澤大学の練習にお邪魔させてもらったことがあったんです。その時に中谷くんと親しくなりました。その後、関東インカレで、同じレースに出場したり。今回の箱根駅伝でも、走る前に「一緒に頑張ろう」と声をかけてくれました。

中谷くんは僕からしたらエリートの憧れの選手ですが、そんなこと全然関係なく気さくに話しかけてくれるんです。なので、箱根駅伝で一緒に走れることが嬉しくて、楽しみにしていました。並んで走りたかったんですが、駒澤大学は先にタスキを繋いだので「ああ〜行っちゃったな」と思ってました。

後から自分もタスキをもらったんですが、しばらくしたら前から中谷選手の背中が見えてきたんです。こんなところにいるはずがないので「あ、体調が悪いんだな」と思いました。

それでも、すごくお世話になった尊敬する選手なので、「一緒に前の大学を追おう!」「一緒に行こう!」という感情が抑えられなくて、つい背中にタッチしてしまいました(笑)

あれ、見た瞬間に鳥肌がたちました。すごい話題になりましたよね?

Twitterがとんでもないことになりました(笑)

「感動しました」とか「素晴らしい走りでした」というコメントを、本当に多くいただいて。通知が鳴り止まなくてスマホの電池が切れました(笑)。

あれ、ルール上は大丈夫だったんですか?

後から聞いたんですが、厳密には他の選手に触れてはいけないみたいですね・・・。往路が終わった後に主務の笹原くんが運営の方に呼び出されて、その時に「失格になるかもしれない」とビクビクしながら行ったんですが、結局おとがめはなかったです。いや〜本当に良かったです(笑)

キャプテンとして創価大学の1年間を振り返って

今回の創価大学の結果についてはどのように感じていますか?

シード権獲得を目標に掲げていて、12位という結果だったので、目標は達成できませんでした。ただ、前回の箱根駅伝では9区でタスキが途切れてしまったので、そこから考えると本当に良かったです。他大学と勝負する駅伝ができたので、個人的には満足できる結果でした。

気持ちよく卒業できるわけですね!

そうですね(笑)。最高の箱根駅伝を経験できました。

創価大学のチームの雰囲気はどのような感じでしたか?

2年前に初出場したときは、みんなフワフワしながら臨んでしまったので、今回は気を引き締めていこうとしました。楽しむのではなくて、「勝つ駅伝」をしようと。全力でシード権を狙っていったので、それが今回の結果に繋がったのではないかと思います。

創価大学がそれほど強くなった要因はどこにあると思いますか?

そうですね。先輩たちが強さを作ってくれたと思います。1つ上の代に山口修平さんがいて、創価大学が箱根駅伝未出場のときから、「シード権を取りたい」と仰っていました。当時の自分は、そんな大きなことを言えるのは凄いなと、他人事のように考えていたのですが、修平さんは常に予選会でもトップで走っていて、チームを引っ張っていきました。そのうちに周りも動かされていって、本気になるメンバーが増えていって強くなったのではないかと思います。

修平さんが創価大学にいなかったら、たぶん箱根駅伝には出てなかったですね。

セルナルドさんはどんなキャプテンだったんですか?

修平さんは厳しめのキャプテンで、嫌われてもかまわないから、言うべきことはズバズバ言っていくやり方をしていたと思います。なので、僕もそのようになりたいと思いましたが、口だけだと誰も聞いてくれないので、背中で示すことを意識していました。「何を言うかではなくて、誰が言うか」という言葉が僕は好きです。背中で示していけば、言葉足らずでもついてきてくれるのではないかと思って動いていました。

這い上がってきた4年間

セルナルドさんは、今回の箱根駅伝で非常に素晴らしい走りを見せましたが、高校時代から速かったのでしょうか?

そんなことはなかったですね、5,000mのタイムが15分32秒だったので。ただ、高校ではそれでも速いほうだったので、意気込んで来たのですが、大学では周りに14分台で走る人が多くて焦りました。

そこから10,000mを28分台で走れるようになったのは本当に凄いですね。

ありがとうございます。やっぱり10,000mを走るのであれば29分を切りたいという思いもありました。それで28分台で走ることを4年間の目標にして、メールアドレスにも"2859"って数字を入れていました(笑)。常に目標を意識するようにしていましたね。

掲げた目標を達成してきているのは素晴らしいですね。その経験は自信になっていますか?

そうですね、何でもできる気がします、4年あれば!

これからの進路について

セルナルドさんは、これで陸上競技は引退と宣言されていますが・・・。

はい、引退します。東京マラソンにはエントリーしているので、最後にマラソンを走って引退しようかなと考えています。箱根駅伝を目指すために生活してきた中で、やっぱり仕事と陸上を両立させるのは無理だなと思いました。

22時に寝たり、週に2回のポイント練習を行うことはできないと思うので、中途半端になってしまうくらいなら、仕事一本に絞ってやっていきたいなと思っています。陸上ではないところで僕は輝いていこうかなと思います。

ちなみに仕事は何をされるのでしょうか?

地元の市役所に就職します。2年前に箱根駅伝で5区を走った時に、山の中にも関わらず、地元から応援に来てくれる方がたくさんいました。僕は富士宮出身なのですが、「富士宮頑張れ!」とか、「西小学校頑張れ!」といった声をかけてくれて。卒業した小学校までは雑誌などにも掲載されないので、地元の方が来てくれているんだなと思いました。

そんな風に地元の人の温かさを感じて、何か恩返しをしたいと思い、市役所を選びました。地元に貢献していきたいですね。

最後に下世話な話しなんですが、彼女はいるんですか?(笑)

いや、いないですね・・・。家に篭ってゲームをしてることが多いので、特に出会いもないです。

でも今一番モテますよね。

う〜ん、女性とどうやって喋っていいかあんまりわからないんですよ。出会い方も、何をしたらいいのかもわからないです(笑)悟られないようにしてたつもりですが、実は女子マネージャーと話すのも内心ドキドキでした。

そのエピソードでさらにセルナルドさんのファンになりました(笑)

本日はありがとうございました!

※同記事は『Runtrip Magazine』に掲載されたものを加筆・編集したものです。

【『Runtrip Magazine』とは】

"自分史上最高の波"を求めて旅をするサーファーの「サーフトリップ」のように、"自分史上最高の道"を探るランナーの「ラントリップ」。

『Runtrip Magazine』は、「ラントリップ」というライフスタイルを広く伝える、株式会社ラントリップのオウンドメディアです。

注目記事