【自公、野党統一、無所属候補の三つ巴都知事選】現代の有権者が政治家に求めるものは一体何か?

都知事選の結果を通し、日本人が心の底から求めている本質的な疑問が露呈する気がする。
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TommL via Getty Images

7月31日投開票の都知事選が白熱している。最初に手を挙げたのは小池百合子氏(自民党前衆議院議員)だ。根回し不足を指摘され、さらには政治家同士の事情から自民党ではなく無所属で闘っている。

一方で自民党と公明党の推薦によって組織票を固めていく元総務相の増田寛也氏。さらには野党共闘の統一候補という立ち位置から鳥越俊一郎氏が出馬し、三つ巴の様相となっている。

この選挙を見ているとまるで昨年行われた我孫子市における県議選の構図と似ている、と市内有権者が口々に言う。我孫子市の県議選は3人の候補者が2議席を争う選挙であり、私自身は無所属で出馬し、自民党公認の現職といわゆる野党候補との激戦となった。

結果は自民党公認の県議と無所属の私が当選した形となったが、政党の公認・推薦一切ナシ(地方議員に政党は必要なしという持論)の筆者が「水野ゆうき」という単品で勝ち抜いたことは千葉県の奇跡とまで言われた。

外から見ればそうかもしれない。本来であれば組織票を持たない私は泡沫候補だ。ただし、私は市議時代に議会ごとの報告活動は欠かさなかったし、議会において提案や追及も手を緩めず、実際に改善したことも多々あったことを市民はみていたのだ。

従って無所属でたった一人の国会議員(若狭勝議員)と非自民・非民進系の改革保守勢力の一部の都議と演説をする無所属の小池候補の大変さは手に取るようにわかる。本来であれば、政党のバックなしで出馬すれば主要候補から外れるが、先週の調査では増田氏が小池氏を追う形となり、鳥越氏に関してはスキャンダルが出されるなど、3者の戦いはマスメディアが大きく絡み、明らかに不利であるはずの小池氏がトップ争いを続け、熾烈を極めている。

保守分裂ということから野党統一候補が優勢かに思えたが、最新の調査では小池氏と増田氏が競り合い、鳥越氏が追う展開となっている。今回の選挙はどうやら政党・組織うんぬんよりも『出馬の仕方』や『立ち位置』等が話題になっているようだ。

私は日本と米国の両方の学校教育を受けている。規律を重んじ、集団行動が多く、制服を着用し、給食を一斉に食べ、全員で掃除をし、学級委員を選挙で決め、児童会や生徒会によって会長をはじめとするピラミッド型組織を構築し、校則を守る日本。

一方で、好きな格好で登校し、休み時間にはお菓子を食べ、ランチは好きなものを自分で選び、ディスカッション型授業で学級委員などという制度もなく、掃除は外注の業者が行い、PTAも授業参観もない(※筆者が通った現地校)米国。こういった慣習が人の精神と行動に大きな影響を与えている。

どちらも一概に良い悪いは言えない。日本の学校教育では群集心理がかなり働く。輪からはみ出ることを恐れ、みんなと一緒でなくては安心できず、大きな組織に属したがり、結果一つの組織が膨大な力を持つ。そして大きな組織に睨まれた者はその組織が持つ『あらゆるチカラ』に勝つことはできずに潰されていく。一方で個人主義の米国では自分で選ぶことが大切で、責任も個人が持つ。

学級委員制度などもなく、誰かが中心になってクラスをまとめるということもなく、集団行動もほぼない。こういった相違から、学校で必ず問題となる「いじめ」の質も日米間で異なる。日本の学校におけるいじめはいわゆる一つの集団が一人の弱いターゲットを決めて単品の人間を狙い撃ちするという集団で行う陰湿で卑劣なものが多く、ハレーションも大きい。

自民党が今回流したお触れ文書が報道された際、私は授業中にクラスで回された「●●を無視。」などと書かれた紙切れを思い出した。結局人は自分が標的になるのが怖くて、仲間を作り、大きな組織に属することを求める。一方で個人主義が確立している米国の学校現場では個々同士の喧嘩が起きるのみであり、クラス・学校全体に影響が出るということは少ない。教師がお互いを注意して終わりというケースが多い。

都知事選は結果が出ないと何とも言えないが、与党として絶大な権力を持つ自民党が推す増田氏、野党複数の政党まとまった支援を受ける知名度抜群の鳥越氏と無所属の小池氏が接戦を繰り広げている背景には、組織に属しながらも理不尽や不条理に耐えながら生きていることに違和感を覚えている有権者たちが奥底で精神的な自由を求め、それらを代弁するかのように無所属で「個人の力」で立ち向かう女性候補に、その言葉では説明が難しい違和感を打破する『何か』を託したい、期待したい、のではいのだろうか。

一度しかない人生の中で自分でもおかしいとは思いながら、周りや世間や先輩や上司に嫌われないよう、はみ出さないように自分を押し殺し、魂を失くしながら生きていくことほど哀しいことはない……と筆者は考えているため、やはり地方議員でいる限り是々非々を貫くためにも長いものには巻かれずに闘っていく。私は組織に属していないので自分を誤魔化して黒を白と言わなくてもいい。言いたくもない。

私は組織に守ってもらえないことや孤独と引き換えに精神的自由とフリーな立ち位置を手に入れた。そしてもしこの政治・選挙の世界で良い大人が集団で襲ってきたら言える、「看板なしで自分だけの名前で一人で来い。」と。都知事選の結果を通して日本人が心底から求めている本質的な疑問が露呈する気がする。

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