教育書100冊読んで、子育てを考える

どんなことを学んで、どのような人間になって欲しいか。それを飛ばして、いきなり学校や塾などの、方法論だけ論じることは難しい。

子どもは何をどこでどう学ぶべきなのか。

親ならば、一度は考える話題だろう。

私は立場上、英語はいつ始めるべきか、お受験はどうか、インターナショナルスクールはどうかなど、いろいろな相談を受けることが多い。

しかし当然ながら、教育や子育てに絶対の正解はない。それぞれの環境や価値観で正解は変わるのだが、それだと素っ気ないので、自分なりの考えを書いてみることにする。

まず最初に考えることは、それはあの教育法がいいとか、あの学校がいいとか言う前に、「そもそも何のために子育てするのか?教育するのか?」ということだ。

子育ての目的を考えること 子育ての評価基準を持つこと

そもそも何のために子育てするのか?教育するのか?

これに対して各家庭なりに答えを持つことが、何より最初だ。

そんなことは当然だと、思うだろう。

でも本当にここに自分なりの回答を持っているだろうか?

あの塾に行くと記憶力が伸びるらしい、計算ができるらしい、英語ができるらしい、友達がいいと言っていた、友達が通っている、受験にいいらしい。

そうした情報に左右されて、なんとなく流されていないだろうか。もちろん、情報や選択肢に広がりがあることは素晴らしい。

しかし家庭なりの子育ての目的や方針、その評価軸がなかったら、情報洪水に埋もれて右往左往するだけだ。

例えばPCを買いたいと詳しい友人に相談する時、自分で何のために必要で、何ができる必要があるのか、予算はいくらなのか、など購買の基準が必要になる。これがあってこそ、良いアドバイスも成立するものだ。

各家庭により、子育ての状況や環境も違う。価値観も違うので、その目的や評価は当然違ってくる。

どんなことを学んで、どのような人間になって欲しいか。それを飛ばして、いきなり学校や塾などの、方法論だけ論じることは難しい。

私なりの子育ての目的

そんな中で、私が思う子育ての目的。

それは、天才を育てることではない。

幸せな人生を過ごせる人間になることだ。

当たり前な表現に聞こえるかもしれないが、これが全てだ。

幸せな人生とはなんだろうか。

実は同じような環境・条件で生きていたとしても、自分が幸せだと思う人もいれば、不幸だと感じる人もいる。

経験から皆わかっていることは、幸せかどうかは他人の判断ではなく、自分が幸せだと思うかどうかだ。

子どもには生きる中で、幸せな人生を歩んでいける力、幸せだと感じられる力を育んで欲しい。

では、そんなハッピーパーソンになるために何が必要だろうか。

ハッピーパーソンに2つの資質

子どもがなりたい自分になり、幸せになる。

そのための親の役割は、子どもに自信(自己肯定感)とイメージ(想像力)を与えることだ。

そもそも、子どもが幸せかどうかは親が決めることではなく、子ども本人が決めることだ。

親の最初の役割は、まず子どもの夢の実現にむけて、「あなたならできる」と生きる自信を与えることだ。

親や先生ができることは、能力を伸ばして最後まで結果を出させること、そのものではない。

そのきっかけや環境を与え、信じて励まし、自信を与えるのだ。

努力して頑張って結果を出したことが自信につながり、自己肯定感を育てるのだ。

「自信」と同様に大切だと思うことが、「イメージ」だ。

人は、自分のイメージや目標以上にはなれない。

例えばどんなにサッカーがうまかったり好きだとしても、地区大会優勝が目標だと思ったら、全国優勝することも、セリアAでプレイすることも、ワールドカップで優勝することもないだろう。もちろん目標が地区優勝でもW杯優勝でも、どちらが良くて一方が悪いということはない。

ここで言いたいことは、例え同じ能力や環境だったとしても、どこに自分のイメージや目標をおくかという視点の違いだけで、物事への取り組み方や、人生は大きく違ってくるということだ。自信があって、高いイメージがあるから、より頑張れる。たくさん頑張れる人間に育つのではないだろうか。

ではどうしたら、イメージを大きく持てるか。

1つは、周りが「おまえならもっとできる」「あなたならもっとやれる」「こんな考え方もある」「世界にはこんな人もいるよ」と励まし、世界を広げることだ。そして大きな夢や高いイメージを抱かせるのだ。小さな子どもに対して、「所詮人生とはこんなもの」「現実を見ろ」とばかり言っていたら、大きな目標や夢に向かって走ることはやめてしまうだろう。全幅の愛情と信頼を持って、高いセルフイメージを抱かせ、励ますのだ。

「Boys(and girls), be ambitious!

よく使われる言い回しだが、まさにこれだ。

もう1つは、子どもに言うだけではなく、親や友人など周りにいる人達が、イメージを高く持って努力し続けることだ。「夢は大きく持て」と子どもに説教をしたところで、その親自身が高いセルフイメージに向かって努力していなければ、説得力はない。勉強頑張れでも、自信を持てでも、高い目標を持てでも、自分ができていないことを子どもに強要してもしょうがない。子どもに勉強しろというならば、親が勉強している姿を見せた方がいいだろう。口で説教するより、背中で語れるようにし続ける姿勢・努力が大人にも求められるのではないだろうか。

そうしたハッピーな子ども達が、どう社会に貢献していくのかを考えられるようになって欲しいと思う。

アリヴェデルチッ!

(「教育本100冊読んでみた」より転載)