「美しいってなんだろう?」現役美大生が語る美学と成功哲学

「良い・悪い」、「好き・嫌い」、そして、「美しい・醜い」、の判断基準って何だろう?
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左から:ジャスティン(30)、ケイラ(27)、アンドレア(20)、フランク(25)、ルイス(21)

5月下旬から6月上旬、アメリカの大学生は春学期の期末試験シーズンを迎えています。私が働く二年制大学も、つい先週最終評論会を終了させたばかり。美術学生たちは莫大なポートフォリオを作成しました。今回は、これから約3か月の長い夏休みに入ろうとしている5人の若い美術学生を迎え、美学と成功について考える、ちょっとした議論の場を設けてもらいます。

生まれ持った才能は必要か?

ユキ:みんなはこれまでにたくさんのポートフォリオを作成してきたけれど、まずは、美術作成の過程にあたって生まれ持った才能は必要だと感じる?

ルイス:生まれつきの才能は全く必要ないと思う。なぜなら、才能って技術を上達させることで築き上げられるものだから。俺はこの1年半の間、毎日2時間以上デッサンし続けてきて、周りから上手くなったって言ってもらえるし、自分でもそう感じる。 元々才能を持っている人の多くは、増進力に欠けているように見えるんだ。

フランク:同感。あと、競争心っていうのも大切だと思う。毎日練習しているアーティストの友人を見ていた時に、腕ってこんなに上がるんだって驚かされた。俺ももっと上手くならなきゃって感じさせられたし、良い意味で、その競争心が才能を築き上げるのを手伝ってくれる。スポーツと同じさ。

アンドレア: 私も、絵が上手な友達に嫉妬したことがあるけれど、それって自分自身が上達する良い機会になるだけよね。それに、情熱も必要。情熱はエネルギーになって、それが持続力に繋がるでしょ?

フランク:情熱は自分が感じるもので、誰かからもらうものじゃない。才能って自分自身の脳が作り出すんじゃないかな。物事に対する考え方って、行動や言動までにも影響すると思う。

ケイラ:上には常に上がいるし、情熱を持続させて、努力することで周りよりももっと大きくなることは可能だよね。

美しいって何だろう?

ユキ:「良い・悪い」、「好き・嫌い」、そして、「美しい・醜い」、の判断基準って何だろう?ある2人の哲学者がいてさ、彼らは美学に対して全く異なった意見を持っていたの。一人は、美しさは「観察者の経験と教育から判断されるもの(ヒューム)」、そしてもう一人は、美しさは「その物自体が持つもので、合理的でなくてはならない(カント)」と言った。

ジャスティン:認めてもらうには、物質そのものがある一定の基準に達しなければならないってところはあるよね。

ルイス:俺たちが美しいって感じるものの多くは、相手を受け入れるようなフレンドリーな立ち振る舞いをしているかな。

ユキ:例えば、バラは美しく、ゴキブリは醜いっていう概念は多くの人に共通する考え方だけれど、それはどうして?バラが美しいという思考は過去の経験から学ぶものなのか、それともバラそのものに適切な美のクオリティーがあるからなのか?

フランク:教育と経験じゃないかな。言語だってそうだ。意味を知らなかったら、見ても聞いてもその言葉自体に意味はない。

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ジャスティン:確かに。だけど、全く言葉がわからない海外の音楽を聴いて、いいなって思う時もある。

ケイラ:知らない外国語の文字を見て、素敵な形だって感じる時もある。

フランク:言語は全ての人間が使うコミュニケーションツールだ。外国語がわからないから学んでみようっていう姿勢は、俺たちがすでに英語を話すことができるっていう基礎があってこそ。意味を知ると、美しいっていう言葉がもっと美しくなるよ。

アンドレア:主観的な問題よね。

ジャスティン:母親がゴキブリで悲鳴をあげるのを見て育ったら、やっぱり負にとらえてしまうね。

ケイラ:醜いとされるゴキブリのような虫は、不衛生で、暗くて、臭う場所にいるので私たちが負だと捉える対象、逆にバラは凛としていて、太陽の光を浴び、いい匂いなので、私たちの過去の経験から判断すると正となる、ってことかしら?

フランク:その判断基準となる経験って、何世代に渡って繰り返されているもんな。それに、貧困国の人々に食べ物と絵画を見せれば、絶対に食べ物を選ぶだろ?彼らの環境、文化、生活から判断すると、キャンバスには何の価値もないんだ。

ジャスティン:教育や経験がなければ、美しいものを美しいと判断や説明するにも至らないかもね。

"いいもの"には"真実"が必要か?

ユキ:優れた作品(いいもの)には真実が必要だと思う?プラトンが唱えた真善美は、いいものを追求するという究極の目標を人間は生まれながらにして持っている、そして、いいものの背景には常に真実がある、という概念だよね。これは美術にも当てはまると思うんだけど、例えば、人物デッサンではプロポーションや骨・筋肉を学びながら、正しいバランスのとれた美しい絵の描き方勉強をする。でも、エゴン・シーレやキュビズム時代のピカソの人物画は、真実の姿を無視して完全に歪ませている。

フランク:ピカソもシーレも、知識と技術があった。だから、それを活かして新しい絵のジャンルに挑戦したまでだよ。人物デッサンや美術解剖はダヴィンチの時代から今日まで探求されている分野だけど、それは人間の体の奥、皮を剥ぎ取って筋肉や骨を見るときの真実に人々が魅了されるからなんだ 。

ルイス:現代の抽象画家の中の何人が正しい筋肉の動きを知っているかって考えたら、ほとんどゼロだと思う。

アンドレア:私は、いいと判断されるものには真実も偽りもなくて、常に不明確だと思う。だって、好きなものってその人にとって価値のあるもので、他の人が決めることではないから。

ジャスティン:俺がどんなに偽物だって思うことに対しても、絶対にどこかで誰かの需要の対象となるもんな。

ケイラ:真実が有る・無し、どっちにしても需要はあるんだから、自分と好きなことを信じるしかないわね。

成功するには運が必要か?

ユキ:みんなはこれからアーティストとして成長していくわけだけど、"才能"と"運"の関係についてはどう思う?例えば、世界的に有名なロックバンドのビートルズは音楽学校には行っていないよね。彼らの歌詞やメロディーには人々を魅了するスキルがあったけど、時代にフィットしていたっていう運命的な背景も一部あったと思うの。それに、毎日のように世間を賑わせているカーダシアン一家は多くの人から注目を浴びているけれど、彼らの才能って?また反対に、努力し続けて技術があっても成功しない人もいる。その違いって何だと思う?

ジャスティン:運っていうか、成功者のいる環境や目標に自分がどれくらい貢献できるかの違いじゃないかな。運はネットワークだよ。アート業界にはもの凄い才能を持った人がたくさんいて、正しい人物に近づこうとする姿勢を持ち続ければ、それは運に繋がるんだ。

フランク:運って、チャンスをつかむための準備期間と準備ができた状態のことを示していると思う。努力を怠って、誰ともコミュニケーションをとらなければ、絶対に何も起こらない。

ルイス:だけど、生まれ持った運もやっぱり関係はあるよ。元々、カーダシアン一家には資産と名声があった。

アンドレア:カーダシアン一家の才能は、エンターテイメントよ。例えば、SNSにどんな写真を載せればいいのか彼らは知っているし、注目を持続させて人々を楽しませ続けることができる。それは才能よ。

ケイラ:運も才能も必要だけど、やっぱり技術を身につけることの方が成功するには大切なんじゃないかって私は思うな。

ユキ:ということは、運をつかむには技術を身につけるなどの"経験の積み重ね"が重要で、同時に元々の運がある人には、それを"運営する能力"が必要ってことね?

全員:イエス。

ユキ:逆に、もの凄い努力を続けて、たくさんの技術を身につけても成功しない人たちはどうかな?

フランク:そもそも、 "成功"ってなに?その定義は?その意味のとらえ方って、人それぞれ違うよ。

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ジャスティン:確かに、「有名=成功」ではないよね。

ルイス:多くの人が、"有名になる"っていう属特有の目標を持っているけれど、俺は有名ってだけで人からチヤホヤされるのはどうかと思う。

フランク:俺は、これからもアートをずっと続けることができれば、それが成功だって信じている。それに、自分が周りにどれくらいのインパクトを与えられるか。つまり、自分を信じて、ゴールを目指し続けることなんじゃないかな。

アンドレア:あるロックバンドがいて、たくさんの曲をリリースしていたんだけど、ある日解散しちゃったの。お金がなくなって、普通の仕事をして家族を養わなくちゃいけなかったからよ。好きなことをし続けるには時間を費やさなくてはいけないけれど、 その基盤には資源だって必要。厳しい現実よ。

フランク:自信を持って好きなことをやり続ければ、人々は寄ってくる。その結果、自分に合うマーケットを見つけることができるんじゃないかな。

ケイラ:たしかに、自信や好意は作品に表れるし、アートにはそれが求められるわね 。 それに、成功には時代の流れを理解する能力も必要よ。好きなことをし続けるのは良いけれど、人々が何を求めているか、自分が何を提供できるのかを把握しなくてはいけないと思う。

ユキ:初めのトピックに深く関わりがありそうだね。

フランク:えーっと、質問なんだっけ?

全員:笑

二年制大学の美術教育は、それぞれの教科の基礎技術を学ぶことを目的としていますので、ほとんどのクラスでは、美学という哲学について深く考察する機会があまりありません。今回、5人の生徒たちには、美学と成功哲学というテーマを元に、「答えのない課題」について議論してもらいました。実は事前に、美術教授たちにも同様のテーマで議論してもらったのですが、驚くことに語られた内容がほとんど同じだったのです。生徒たちは20代から30代、そして教授たちは50代から60代と、彼らには大きな知識と経験の差があります。言い回しは違うものの、両者が考える美の真髄が交わりあい、そこには予想を超えた美術の世代間交流がありました。

参考:「でも、これがアートなの?- 芸術理論入門」シンシア・フリーランド(著)

Students from College of the Desert, Palm Desert, CA. USA:

Justin Scott

Kayla Garcia

Andrea Ruiz

Frank Lemus

Louis Lasarte

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